西納はすみ

一人前の子供。キャラ設定は「意識的な軽薄さ」

西納はすみ

一人前の子供。キャラ設定は「意識的な軽薄さ」

最近の記事

日記(これは読み手にアピールする気の無い無個性なタイトル)

書くか... …久々に日記を。 最近はダラダラと怠けてばかりいるのですが、自分のそうした現状に恥ずかしさを感じない程度に無神経になってきたので、本当にどうしようかしらという状態です。 あらゆる価値判断を保留して、目の前に広がる複雑さを前に何かを決めつけることなく佇み続ける態度を規範的な態度だと思っているのですが、それが自分のことを無際限に許してしまう今の状態を招いている気がしてどうしようかという感じです。ここで規範的な態度という言葉を使いましたがより正確には、自分はそれを良

    • 関係性

      ※愛玩動物について話していた時の切り抜き。関係性というものをわたしがどう考えているかが分かる。 (野良猫と家猫のどちらが自由か聞かれて) 印象で言えば野良猫ですね。勝手に生まれて勝手に死んでいくあたりが自由な感じがします。一生にわたって誰からも何の役割も期待されていないところが良いです。 ところで一つ前の私のツイートの末尾「お互い自由であって欲しい。」について圧倒的に説明不足だったので私なりの意図を説明させてください。まず私がどのような関係性を好むかなのですが「相手に対して

      • 掌編:概念の権利保護団体

        概念愛護団体を名乗る女性が家にやってきた。なんでも概念の権利を保護する団体らしい。どうして概念の権利保護なんて行っているのか尋ねると次のように答えた。 「我々は権利と尊厳が認められる対象の広さこそが社会の発展を測る尺度だと考えている。奴隷制度や女性蔑視の歴史を見れば分かる通り、かつて"人間"は白人成人男性だけであった。我々の使命は物を言えぬ存在の権利を代弁してその権利の獲得を目指すことにある。"概念"は人間が理解できる形で何かを訴えることはできない。しかし、彼らが人間の言語

        • 海岸線の開拓、あるいは詩の言語について

          陸地:既存の言語で確定した意味が与えられている言葉たち。あるいはその陳腐な組み合わせ。(例:カレー、蜘蛛、楽しい人生、不幸な乞食) 海岸線:既存の言語の新奇な組み合わせで表現できる言葉たち(例:凶暴な優しさ、爽快感で脳がソーダになる、) 海:未知の概念。(例示不能) 詩の言葉が海岸線に属する言葉であって、それは使い続けられ生き残ることができればやがて陸地になる。たぶんその意味で詩人は世界の非公認の立法者と呼ばれる。海岸線の開拓が最近の一番の関心ごとです。 海のほうに寄りすぎ

          一首評:ウェルニッケ野に火を放てそののちの焦土をわれらはるばると征く

          ウェルニッケ野に火を放てそののちの焦土をわれらはるばると征く/松野志保 ウェルニッケ野とは脳の一部で他人の言語を理解する働きをしているそうです。それに「火を放て」という短歌です。燃えですね。火を放つべきウェルニッケ野は特定の個人の脳というよりは、人類全体の脳として呼びかけている歌だと思います。それは誰も他人の言語を理解できず相互理解なんて希望が完全に絶たれた世界ですが、絶対的に誰にも影響されない徹底的に自閉的な70億の輝ける私的世界が個々に立ち現れてくる世界であって、それは

          一首評:ウェルニッケ野に火を放てそののちの焦土をわれらはるばると征く

          完全に所有される奴隷は幸福だよねっていう

          ※2022年の奥歯忌に書いた文章です。 妻子持ちで、社会的な地位を確立していて、自分が所属する組織への忠誠と帰属を誇りにしているような成人男性と話すと「うわ~~ん!!わたぴはそうはなれないだろうし、あなたと同じものを良いと思える日は来ないと思うぽよ~~!!」って気分になってたのですが程度が違うだけでわたしも同じような気がしてきました。 わたしとしても、絶対的な信頼のおけるご主人様に完全に所有される奴隷が幸福であることは理解できていて、そうした幸福に憧れてそこに縋って安住し

          完全に所有される奴隷は幸福だよねっていう

          論理学のアナロジーで日常を営む意識の解体

          虚無と孤独を埋め合わせるために社交に頼ってるようなFAKE野郎といった意識に苛まれたりしてます。ここでの虚無の実質としては無常観と言ってもいい。つまり現在の自分が価値を感じている営みや、肯定的な感情に永続性が無いと自覚すること。そうした自分の内側の感覚は失われうること。そうした無常感を前提としたうえで思索を始めようとする態度の事です。こうした態度を採用したくなる積極的な理由としては、なるべく普遍的で不変的な思索の結果を引き出したいといった理由がある。例えば、現在の私がラーメン

          論理学のアナロジーで日常を営む意識の解体

          自虐

          ※自虐を対話にしたエッセーですが割と考えていることの核だと思う。 お布団に丸まって自分を罵倒して勝手に落ち込むなどといった無益な活動をしたので、その様子をお届けします。脚色・中途半端なスノビズム、ペダン、衒学・支離滅裂などが含まれています。これは一種のWriting to healです。 あるたーえご「お前の世界観は幼稚だ。ここでの幼稚の意味は、ある程度の年齢になると身に着けているだろうと多くの人間が想定している様々な信念や規範を持ってないという意味だ。そして実は俺はその

          半年たったのでVRC振り返り

          ※twitterに画像で上げた文章の再掲です。書いた文章を公開して保存しておきたい欲求のあらわれです。 VRCを始めて半年以上たったので少し振り返り。 一番感じる変化は、精神がすっかり社会化されたことですね。twitterを眺めて自分の話題が出ていると喜んだり、自分のいないところで盛り上がっていると少し妬いたり、気を惹くためというか関係性を構築しようとするために、感情的に強い言葉を意図的に使用したりといった、以前は別の生き物の習性だとばかり思っていた俗っぽい振舞いを自分で

          半年たったのでVRC振り返り

          奇蹟、あるいは感情についての冷めた所感ー叙景集475

          自分の中での叙景集熱が高まっているので気に入っているものを紹介。 自分がどれだけ忘れっぽい人間であるかを忘れないでいるための優れた詩編。 大きな橋に並行する水道橋に付属した、ひたすら一直線の金属の歩道で立ち止まる。 両岸に公園をしたがえた広い川は、霞むほど遠くまで視界を吸い込む。 雲の端がきらめき、きらめきを増し、雲の中から太陽が這い出してくる。遠景からこちらへ向かって、駈けるように明るみが押し寄せてくる。陽射しの波にさらわれるように、マガモの群れが飛び立ち、その腹を雲とす

          奇蹟、あるいは感情についての冷めた所感ー叙景集475

          それは誇りを取り戻す切欠となるべく紡がれた音楽 ーAuramorte『屋根裏童話』解釈記事 ー

          Auramorteさんの屋根裏童話についての解釈記事です。歌詞を詩として読みこんだ際の解釈です。音楽はリンク先から全編視聴できます。刺さる人には出だしの数秒で刺さると思います。不穏を煽る感じのピアノのトリルが曲の世界観に引き込む導入としてバッチリです。全体的な曲調はギターとドラムがメインの激しい音楽ですが、要所に聞こえるアコーディオンが歪で独特の個性を発揮しています。 ワタクシ音楽については疎いのでボロが出る前に早速本題に入ります。 ■『屋根裏童話』解釈概要屋根裏童話に関

          それは誇りを取り戻す切欠となるべく紡がれた音楽 ーAuramorte『屋根裏童話』解釈記事 ー

          私の精神変遷詩4(Goth)

          僕がGothを知るきっかけとなったのは蟻坂さんのブログだよ。この『私の精神変遷詩』シリーズで挙げている他のテーマも間接的には蟻坂さんの影響かもしれない。少なくとも本を読むようになったのは蟻坂さんの影響だね。 せっかくなので蟻坂さんのブログのリンクを貼っておくね。 ありんこ書房 Auramorte ■Goth(原理主義)Gothって聞いて何を思い浮かべるかな?日本だとやっぱりゴスロリかな。暗い色のドレスとひらひらのフリルとかかな。でもね、あれは歴史的にGothが誕生した経緯の

          私の精神変遷詩4(Goth)

          私の精神変遷詩3(分析哲学/本論)

          さてさて前回は分析哲学的要素がほとんど無かったけど今回はもう少し踏み込んでみるよ。 ■客観的な主張と主観的な主張の線引き最初のお題は「客観的な主張と主観的な主張の線引き」についてだよ。まずはデュエム-クワイン・テーゼを紹介するよ。(名前カッコイイよね!) 始めに問題提起として「ある主張が偽として棄却されるのっていつだろうか?」を考えてみるよ。 P:部屋の温度が20度である  といった簡単な命題について考えよう。 これが真だとするのは。以下の場合だとするよ。(本当はもっ

          私の精神変遷詩3(分析哲学/本論)

          私の精神変遷詩2(分析哲学/基礎づけ)

          ダサい前置きをすると手元に昔読んだ時の自分のメモしかなく原本を当たっているわけではないので正確な知識の紹介ではなくポエムぐらいの感覚で読んでね。「あなたのウィトゲンシュタインはどこから?私はすばひびから!」のにわかだから話半分で聞いてね。 今回は分析哲学の紹介だよ。なんでこの分野を紹介するかというと分析哲学の起こりから発展の歴史が僕の精神の変遷とよく類似しているからだよ。これは別に僕の精神が独立して発達した結果、偶然分析哲学の歴史と一致したというのではなくて僕が分析哲学の歴

          私の精神変遷詩2(分析哲学/基礎づけ)

          私の精神変遷詩1(客観期)

          なんというか反省文も含んでいる。最終的に「自分自身にのみ根拠を持つ価値観しか信じたくねぇなァ」といった所に行き着くまでの自分語りの一番初めの記事。この記事は反省文多め。 ■高校生ぐらいの頃のお話始まりは、自分は頭が良いと勘違いするくらい頭が悪かった頃のお話から。公的で客観的で論理的なものに憧れていた。”笑い”や”楽しい”といった感情を幼稚で唾棄されるべきものだと考えていた。そもそも感情自体が捨て去られるべきものだと考えていた。価値や評価が人間に依存して定まっているもの全体が

          私の精神変遷詩1(客観期)

          私の精神変遷詩5(二階堂奥歯編)

          最後は二階堂奥歯編だね。ここ1年半くらいの僕の価値観を大きく方向づけているのはこの方だよ。彼女についてまず説明すると『八本脚の蝶』といったブログで自分が触れた芸作品(主に書籍)を引用しつつ、そこから自身が掬い取ることが出来たものずっと書いていた人だよ。彼女の感受性、ある物事に出会った時にそこから何を受け取ることが出来るか、は常人のそれとは根本的に異なっているって感じがしたよ。どのように異なっていたかについて彼女を特徴付けていると感じた点を標語的に主張してみると「届かないと理解

          私の精神変遷詩5(二階堂奥歯編)