ゴール未設定

不登校児の親をやっていた者です。

今回は仕事上の経験から、不登校児の親をやっている人の共通点についてお話させていただきます。

当事者の方は読んだらきっとムッとすると思います。自分は違うと思うと思うんです。私自身もそうでした。そんなことより、他に原因があると言いたくなるかもしれません。きっと、他にも原因はあると思います。一つしか原因がないわけはないので。

直接お会いする方にはこんなこと言えませんし、言いません。誰宛てでもないネットだから言えることです。読む方の意思で読んでいただいて、参考にしていただければと思っています。


不登校児の親をやってる人のタイプには、ちょっとした共通点が見られます。

それは、子供に幸せになってもらいたいと思っていることです。

こんなこと書くと、「みんなそうだよ」と秒でツッコミが入りますよね。そうなんです。特別変わりなく、ほとんどの親がそうであるように、不登校児の親をやっている人も幸せになってもらいたいと思って子育てしているんです。

では、違うところは?


これは例えですが、生まれたての自分の赤ん坊を見た時、どんなことを考えるか。分かりやすく、2タイプを例に出します。

生まれたての赤ん坊を見て、赤ん坊が一人の人間として社会で生きていけるように育てる責任をずしんと感じるタイプの人がいます。そういう人は、子育てのゴールをざっくりとイメージして、ゴールに辿り着くために子どもが身に付けなければならないことをざっくり把握する人です。ゴールとはどんな所なのかもポイントを押さえているでしょう。


生まれたての赤ん坊を見て、ただただ愛情を注ごうと一生懸命の人もいます。見据えるのは少し先でしょうか。一か月検診くらいには少し大きくなってるかなあとか、首が座るのはどれくらいかなぁとか。子育て期間の全体を想像するには未知の部分が多すぎてイメージしにくいタイプ。ゴールとはどんな所なのか、それは行ってみないとわからないしねぇ。この子が行きたいところがゴールだわ。応援しよう。


不登校児の親をやっている人は後者の方が多いという印象です。もちろん、ひとそれぞれ違いますので2タイプしかないわけではありません。それにタイプが違う組み合わせの夫婦もとても多いです。

(説明を分かりやすくするために、タイプ別に強調してあります。)


ゴールを設定することは、実は重要なことなのです。ゴールを決めてしまうと子どもを縛ることになると考えてしまうかもしれませんが、そうではなく、ゴールはその都度変更していけばいいのです。単なる目安です。ナビを使って目的地に行く場合、住所がわからなくても、目的地近辺を適当に設定して出発することってよくありますよね。そんな感じです。

ゴールを設定するということは、スタートからゴールまでの全体図を描くことになるのです。


もう一つ例え話を。

保育園の帰りに子供が今どうしても公園で遊びたいと言っているとします。もう夕方で、保育園でも遊んできたわけだし、家に帰ってお風呂に入ってご飯を食べて早く寝たら、子どもは明日元気に目覚めることができるでしょう。しかし、「明日も元気な子ども」という比較の対象が頭にないと、判断の材料は「子どもの気持ちを叶える・叶えない」2択的になり、遊びたがる子供の気持ちに寄り添いがちになります。

「今遊びたい」という子どもの欲求に合わせて公園で遊んだとします。その時は子どもは喜ぶでしょう。しかし、その後の様子は違ってくるかもしれません。疲れてしまってお風呂に入れないとか、そこにお腹をすかせた家族が帰ってきて、ちょっとうまく家庭が回らない感じになるとか。

うまく回らなくて家庭の空気が悪くなるとか、結局お風呂も入らずご飯も食べず寝てしまうとか、そういうことがすぐにピンとくれば、「今、子どもの気持ちを叶えること」がそれほどいい選択でないと判断できます。今遊ばなくても、ゴールに近づくことができる。明日も元気に遊べるんだし総合的に見ると子どもは幸せ。


子どもに幸せになってもらいたいと思っているのは、どの親御さんも一緒です。ただ、「今の幸せ」と「総合的な幸せ」の優先度が違うというか、「総合的な幸せ」がイメージしにくいために、「今の幸せ」を捨てる判断が鈍ってしまうのが、不登校児の親をやっている人から見える共通点だと私は考えています。


ここまで読んでくださってありがとうございます。

まだ書きたいことがたくさんありますので、次回も読んでいただけると嬉しいです。






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