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千さんのこと

 noteをはじめたとき、ひそかにおそれていたのは、パクリと言われるんじゃあないかということだった。
 なるだけ、漢字は避けてかなにひらく。今ふうの言い方も、できるかぎり使わない。他人様のことを書くときは敬語を使う。他にもいろいろ。ここに書くときの文章作法は、すべて作家の石田千さんに倣っているから、知ってるひとにはすぐばれると思って、びくびくする。
 結果は明白。半年経って、誰にもなんにも言われない。ああよかった、怒られなかった。きっと、千さんを知っているひとに届くほど読まれていないんだな。うっすら卑屈になりながら、手元に届いた一番あたらしいご本をひらいて、もうひとつ納得と、がっかり。
 デビューから17年めの一年間に発表したエッセイを集めた『窓辺のこと』。持ち味の軽やかさはそのままに、どんどん水のように澄んでいく文に、目をみはる。剽窃を名指しされるかもだなんて、おこがましいにもほどがあった。思いあがりに、頬が熱を持つ。

 石田千さんは、2001年に『大踏切書店のこと』で第1回古本屋小説大賞を受賞し、文筆の道に進まれた。それまでは、やはり作家の嵐山光三郎さんの事務所に、長くお勤めでいらした。芥川賞の候補に3回ノミネートされ、いずれも逃した。エッセイと小説だったら、エッセイのほうが多い。ご著書は古風、とか穏やか、とか丁寧、とかいう単語とともに語られることが多いように思う。
 お名前を知ったのは、角田光代さんの対談集『酔って言いたい夜もある』だった。章の扉に「刑事じゃないけど、吐いたら、楽になるんですよ」とあった。文学的なありがたい教訓かと思ったら、とんでもない。「飲みすぎて気分が悪くなったら我慢せず吐け」という、ひじょうに含蓄に富んだ生活の知恵だった。

石田 ゲロはですねえ、あ、割り箸とばしちゃった。刑事じゃないけど、吐いたら、楽になるんですよ。
角田 そうですよねえ。
石田 だから、初めは涙を流したとしても、その先を目指すようになるんですよ。自転車とか泳げるようになるのと同じようなものなんです。
角田 ダメ、ダメ、石田さん。あんまり言うと石田さんのイメージが(笑)。

ー角田光代『酔って言いたい夜もある』

 面白いひとだなと思ったのと、角田さんによる紹介文に気を惹かれて、一冊めの単行本『月と菓子パン』を図書館で借りたのだった。

 石田さんの描写する町を読んでいると、書かれているのは現在なのだが、過去の町を見ているような気分になる。つまり、読んでいる私がいつのまにか六○過ぎのおばあさんになって、三○代の頃見た町を思い出している感じ。たぶん、本物のおばあさんになって読み返しても、きっとおんなじ感想を抱くと思う。そういう意味で、石田さんの文章は、ずっと残るんだと思う。どんな年代の読み手にも、不思議な安心感を与えながら。

ー同上

 それで、表題作「月と菓子パン」にやられた。
 話題の中心は、商店街で見かけるおじさんのこと。鳩に好かれるそのおじさんは、商店街のひとたちの手伝いを生業としている。道の掃除や、ちょっとしたおつかい。仕事のない日は、背もたれのとれた専用の椅子に日がな座っている。
 ある日、仲良くしているおじいさんに煙草をねだられているところを見かけた。おじさんは、聞こえないふりをしていた。

(中略)仲良くしているように見えても、煙草をおごってはやらない。おじいさんも気の毒だったが、おじさんの暮らしぶりをのぞき見たようで、うしろめたかった。

ー石田千『月と菓子パン』より「月と菓子パン」

 実は、かなの多いエッセイを苦手に感じることが多い。透けて見える丁寧自慢、ほっこり讃歌がしゃらくさい。育ちが悪くて、いけない。
 千さんは、丁寧を特別視していない。はたから見られそう評されるだけで、ご本人は書くことまちがえたかなあと首を傾げておられる。
 月と菓子パンを手がかりに、おじさんを描いた4ページ足らずのそのみじかい文で、千さんは、みごとに生きることの暗さ苦さを捉えた。綺麗なものと甘いもの、すてきですねと言いはなち、おのが眼鏡を誇っておしまいのひとではなかった。のちの芥川賞候補作につながる萌芽が、ここにある。

 日々の暮らし、ささやかな機微を淡々と描く、老成したひとのようでいて、情熱のひとでもある。情念と言いかえてもいいかもしれない。男女のあいだのこと、と読者に想像させることを、たとえばこんなふうに書かれる。

 声や表情は、もう思い出せない。つとめを見失わなかったのは、肌だけだった。その重さや体温だけ覚えて、あとはなにもわからなくなっていた。

ー石田千『みなも』より「葛」

 これも気に入りの一文で、そこのところだけ何度も読み返してしまう。

 すっかり着がえて宿を出ると、まんじゅうを蒸かす湯気があまい。まだ昼まえなのに、はだかじたいを更衣したようだった。脱ぐために着ていた、浴衣のしめりけ。

ー石田千『からだとはなす、ことばとおどる』より「きる」

 一度だけ、ラジオ番組でお声をきいたことがある。高めで柔らかく、みずみずしい。書かれるもののとおり、とっても素敵。目をハートにして、なんでこんなに好きなのだろうと、ふと考えこむ。
 好きなひとを眺めていると、自分が何をよしとするかがくっきりするので面白い。
 千さんの好きなところは、ものごとを冷静に見つめる目線と、対象から距離をとった視点。そして、発する言葉をよくよく吟味する誠実さ。
 桜を描くにも、桜と書かない。ひとことだけでたくさんの情報と思い入れを乗せてしまう危険をはらむ言葉は慎重に避けて、そのときのご自分の目に映った、肌が感じた、事象を厳密に字に置き換えようとなさる。
 一日に書くのは原稿用紙3枚だけ、というエピソードはファンには有名と思う。下手だからこそ丁寧に、とたびたび書かれる。
 そうして紡がれた文は、基本的に一人称を使わないので、慣れないひとにはきっと読みにくい。その読みにくさが、読者を今ここに連れてきてくれる。生きるということの本質を、声高に言わないで教えてくれる。
 そうして、そんなふうに言ったら、きっと、なんて大層な。目を丸くされるお人柄と想像する。そう思わせてくれる文が、とても、とても素敵。

 6月4日、虫歯の日。今日は敬愛する作家、石田千さんのお誕生日。
 『窓辺のこと』以来、新刊は出ていない。ただのファンは、どうかすこやかでおられますようにと祈るほかない。
 地に足の着いた暮らしを描くことが得意とされながら、旅のひとでもある。各地の民謡をめぐってみたり、ひょいとフランスに行ってみたり。この厄災がおさまったら、また千さんの眼をとおした景色を見たいとねがう。
 ちなみに石田さんとお呼びしないのは、知人におなじ名字の方がいてこんがらがるからなので、ご無礼のほど、どうかご容赦。

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