ブラタモリ高松編で語りきれなかったこと②高松城のお堀がすごい!
こんにちは、ブラタモリ高松編で案内人を務めさせていただいた香川大学の西成と申します。
ブラタモリの影響はほんとにすごいですね。
高松城、商店街、大井戸、栗林公園、シンボルタワー、屋島城、これらのロケ地を巡る人々が増え、まさに聖地巡礼が始まっているようです。(;^_^A
さて、前回の投稿は読んでいただけたでしょうか?
「高松城って何がすごい?」というテーマで、「天守がすごい!」「お堀がすごい!」という話を紹介させていただきました。
今回は、「お堀がすごい!」でまだ紹介しきれていない、あのこと、このことを紹介していきます!
②お堀がすごい!
では、前回紹介した水門から話を進めていきましょう。
皆さん、高松城の水門は城内のどこにあるかご存知ですか?
はい、こちらの地図で示した位置となりますが、お城の内堀から海までの距離が最も近い場所に水門がつくられています。
そして、水門から続く水路は石垣の下を潜り、お城の目の前を通る国道30号線の下を通って、直接、瀬戸内海につながっているのです。
まさに、海城らしい、海城特有ともいえる施設がこの水門なのです!
そして、現在でも現役で使われており、台風等で高潮が予想されるときは、事前にこの水門を閉じているようです。
海とのつながりを感じさせる現役の水門、貴重ですね。
海城特有・水門の役割とは?
さて、ではこの水門、高潮対策以外にどのような役割があると思われますか?
ヒントは海で毎日起こっている、海ならではの現象です。
さて、何でしょうか?
はい、皆さん、正解です!(笑)
海ならではの現象とは、潮の満ち引きですね。
瀬戸内海は、日本の中でも潮の干潮と満潮の差がとても大きいところです。
高松や瀬戸内海周辺に住まれている方にとっては当たり前かもしれませんが、東京から来た私にとって、この干満差はとても衝撃でした…!
城とつながる高松港周辺では、最も潮位差のある時期で約3メートルも潮位差があります。
仮にこの水門がなかったとしたら、高松城のお堀はどうなりますかね…?
そろそろお分かりの方もいらっしゃるかもしれませんが、この水門、日常時は海水の干満差をやわらげる役割があります。
そのおかげで、潮が引きすぎず、魚の生息にとって十分な海水量が保たれ、また、城舟の乗り降りをするときにも、ちょうどいい潮位をキープし続けてくれています。
海とのつながりを感じられる水門、なんだかロマンを感じますね。
高松城のお堀は、前回ご説明した通り、周辺から流れ込む水路はなく、全て水門を通じた瀬戸内海の海水のみで満たされています。
そして、瀬戸内海の大きな潮位差を水門で調整しつつ、常に新鮮な海水が出入りできる状態が保たれています。
海城の水門・潮の干満でどんないいことが?
さて、ではあらためて質問です!
瀬戸内海の干満を利用することで、お堀の水にとってあるうれしい現象が生じています。
さて、それは一体どんな現象でしょうか?
さて、少し考えてみてください。
この質問は前回の投稿でも少し触れたので、考えてくれた方もいるかもしれません。(思いついたらなんでも構わないのでコメントくださいね!)
こちらもヒントを出すと、海城ではない、他の城のお堀と比べてみるとわかるかもしれません。
ある人気番組で、〇〇の水ぜんぶ抜いてみた、という企画がありますよね。
〇〇にはため池やお堀などが対象となり、日本全国様々な場所で実施されていますが、結構、城のお堀が対象となることが多いんですよね。
実際、お隣の町である丸亀城のお堀でもこの番組企画が実施され、2019年正月に放送されました。
はい、ここまでくればわかった方もいらっしゃるかと思いますが、一般的に、お堀の水は流れがあまりないため、結果的によどみやすく、アオコなどが大量発生して環境被害なども出ています。
また、外来魚が繁殖して、人間にとっても危険な生物が生息してしまう状況も生み出しています。
そうしたお堀と比較すると、どうでしょう、高松城のお堀。
特に、今の時期(冬場)は海水も澄んでいるため、高松城のお堀はとても透明度の高い水で満たされています。
はい、ではここで正解を言いますと、高松城のお堀の水はよどみにくく、とても透明度の高い状態がキープされている、ということなんです!
しかも、こうした水の循環をモーター等の機械に頼らず、瀬戸内海の潮汐という100%自然エネルギーのみで循環しているのです。
こう考えると、とてもエコで環境にやさしく、SDGsにも貢献している持続可能なお城、それが高松城といえますね。
お堀1つとってもこれだけお話できてしまいました。
あらためて、私自身も海城の工夫に感動しました。
城のお堀話、最後に江戸の頃のお話を1つ紹介させてください。
江戸時代 お堀にまつわる海城話
時代は江戸時代初期、おそらく築城間もない頃の話となります。
高松城のお堀は、番組でも解説されていたように、内堀、中堀、外堀と、天守を中心に三重のお堀で囲まれていました。
この時期は、おそらく現代と同様、お堀の海水は常に満たされていたと考えられますが、ある時から困った出来事が生じるようになりました。
果たして、それはどんな困った出来事だったでしょうか?
これを想像するのはなかなか難しいかもしれませんが、少し考えてみてください。
ヒントは、潮の干満と当時の時代背景が関係しています。
さて、それでは正解をご紹介しましょう。
正解は、潮が引きすぎてお堀が空堀(水のない堀)となり、城の防御上の観点から困った状況となったのです。
こちらの状況ついては、歴史書『南海通記』にその旨が記載されています。
とても面白い記述ですよね。
ここでいう「大手の土橋」とは、おそらく江戸時代初期以降につくられた常磐橋のことで、外堀によって隔てられた城地と町人地をつなぐ、高松城下町でも重要な橋を指しています。
この常磐橋は、現在でいうと、高松三越から丸亀町一番街ドーム付近にかかっていました。
丸亀町一番街ドームに行くと、常磐橋が存在したことを説明する立派な看板が設置されているので、ぜひ見に行ってみてください。
干潮になったらお堀の水がなくなる?
干潮になると堀の水がなくなってしまうから、新たに水門をつくって堀に水がたまるようにした、こんなエピソードは海城ならではのお話ですね。
でも、ひとつ不思議なのは、干潮になって堀の水がなくなるのは、築城当時からわかっていたことなのではないでしょうか?
ここからは推測ですが、おそらく築城当時は干潮になっても海水はたまっていたのではないかと考えています。
築城当時から数十年の月日を経ることで、少しずつお堀に土砂が堆積し、あるときからお堀の地面がでてくるようになったのではないかと、私は考えています。
(皆さんはどう思われますか?)
さて、「お堀がすごい!」コーナーは以上となります!
お堀を通じて、海城らしさ、高松城にしかない特徴、こうした魅力を感じていただければ嬉しいです。
③海ー城ー町の配置がすごい!
さあ、続いて入門編とした書き始めた「高松城って何がすごい!」の3つ目の特徴「海ー城ー町の配置がすごい!」をご紹介していきたいと思います。
が、、、今回の記事もかなり長くなってきたので、ここは次回予告ぐらいで終わらせたいと思います。
「海ー城ー町の配置がすごい!」というテーマ、ちょっとわかりにくいですよね。
少しだけ説明すると、高松城および城下町を上空から見たときに、城を中心に、城の北側に海が広がり、城の南側に城下町が広がる、とても対称的で美しい都市構造となっています。
こうした構造を、ここでは「海ー城ー町」と表現しています。
ということで、このテーマの頭出しはこのくらいにしたいと思います。
徐々に「海城(うみじろ)」の核心に迫っていきますので、次回を楽しみにしていただければ幸いです。
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました。<(_ _)>
よければ、感想など一言でもいただければとてもうれしく思います。
あとがき
ブラタモリ高松編の放送が終わり(私自身はあくまでも案内人の1人でしかありませんが)、ありがたいことにとても多くの反響をいただいております<(_ _)>
このnoteでの投稿も2回目となりますが、前回投稿「ブラタモリ高松編で語りきれなかったこと①」は、なんと…今日現在で1万ビューを超えました…。
本当にありがたい状況となっておりますが、私欲に走らず、海城町・高松の魅力を伝えるお役目に徹したいと思います。
さて、前回の繰り返しとなりますが、これから先にご紹介していきたい内容は以下のような内容となります。
そもそもなぜ高松に巨大な海城がつくられたのか?
日本の海城のなかで、高松城がもつ唯一の特徴とは?
井戸だけではない高松の特殊な扇状地が生み出したものとは?
書き始めるとなんだか楽しくなってきて、今回の投稿ではついに動画まで投稿してしまいました。
次回の投稿をどんな内容にするか、実は私自身もまだ決めきれてないのですが、どなたか1人でも関心をもってくださる読者がいれば、とても励みになります。
ぜひ、フォローやシェアをいただければ嬉しいです。<(_ _)>