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Feel different! 断章a「周辺化のシステム」

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"Think difficult!"から接続して、今回から、僕自身の考えていることそのものを、つらつらとまとめてゆく"Feel different!"シリーズを始めたいと思う。

"Think difficult!"においては、皆さんが抽象思考、メタ思考について意識を高めるためのヒントを散りばめてお話しした。一応、この"Feel different!"が本番である。メタ思考を駆使して、ちょっと普通じゃない切り口で世の中について語っていきたいということだ。ちなみに、"Think difficult!"は啓蒙の意味を込めて全文公開にしていたが、ここから先"Feel different!"は前提なく誰しもに読んで欲しい内容ではないので、無料公開はしない。

さて、さしあたっては、小分けにしながら断章形式でアイデアの羅列を行なってゆく、そんな手はずで進めてみよう。

これは、表現方法として吟味、選択された意味のある「断章」ではなく、あくまでスケッチ、草稿ゆえの断章である。いずれ十分な断章が蓄積され、僕自身の考えも全体としてまとまりが見えた際には、全ての記事を再編集し、完成版として、別途記事化(ないし書籍化)したいと考えている。

よろしくどーぞ。

◆断章a◆周辺化のシステム

- 歴史は重い

僕は具体的な事象を暗記することに、ほとんど価値を置いていない。実際に記憶力がさほど良くないこともある。なので、僕が記憶している知識量は極めて乏しく、クイズなどとてもついていけない。ただ、そうは言っても、これからの人類の未来を考えるのであれば、直近の人類の歴史くらいは知っておく必要はあるだろうとも思う。

『サピエンス全史』というベストセラーがあるが、あれは僕にとって人類の歴史を振り返るのにあまり役に立たなかった。あの本は、しっかりした抽象思考が先にあり、そこに歴史資料で肉付けを行なったものだ。つまり、歴史資料でぶくぶく太っているが骨格そのものは抽象思考なので、抽象思考では得られない「圧倒的史実の重み」というせっかくの特性が、ない。全ての歴史が抽象思考の肉付けのための道具として利用されている。

高度な抽象思考がベースである論考に、単なる具体例としてあそこまでのボリュームは正直不要だし、ポイントが散漫になるだけで、無駄である。僕の話も基本的に「抽象」であるため、具体性で太らせることはあまり効果的ではない。だから、冗長過ぎる歴史的考察はここでは避けて、ポイントだけを書き出してみる。

- ヘゲモニーの変遷「オランダ!イギリス!アメリカ!」

世界の覇権のことをヘゲモニーと呼ぶ。「直近」の歴史でヘゲモニーを握った国家は、ウォーラーステイン氏によると、三つだけだ。

オランダとイギリスとアメリカである。その経緯を詳細に分析することは歴史家に任せるが、世界規模で植民地経由の貿易で様々に分業を行ない、その世界規模システムの中での立ち振る舞いでヘゲモニー争いをしたのがオランダ、イギリスまでの時代である。いかにして周辺化した土地を資源供給地、消費地として機能させるか、うまくシステムに組み込むかが問題であった。自国内資源が乏しくとも地理的な拡大によって永久機関的に成長し続けるというのが、この時代までの先進国の成長戦略であった。しかし、いずれ周辺化という塗り絵は終わり、ついには世界とは地球全てであることと同一になったとき、余白を失った勢力同士が衝突し世界戦争が起こることは避け得なくなった。その後、アメリカとドイツのヘゲモニー争いにアメリカが勝利を収めたことは言うまでもない。アメリカはそもそも自国内に広大な国土を持っていたことがオランダやイギリスとは大きく違った。ある意味、国内に中央と周辺の構造を内包していたとも言え、農業生産でも優位を確保した。圧倒的経済力で工業分野の優位も確立した。加えて、金融においても、ドルの優位を確立し、あらゆる面でヘゲモニーを確立したと言える。

- グローバリズムと失われた「周辺」

いまや、世界は「グローバル」であり、世界規模のシステムの在り方も変容した。

グローバリズムとは、外部としての「周辺」が失われ、全てが「内部」となってしまったシステムのことである。「世界が一つになった」というポジティブなものではなく、あくまでも「外部が失われた」というネガティブなものだ。

グローバル経済の実情については僕などではなく本職の経済学者の意見を聞いてもらいたいが、「周辺」が失われているわけであるから、全世界的システム内部における名目上の「正義」の戦いはあれども、明示的な国家間の「侵略」はもはや存在せず、したがって、かつて低開発化を強いられた「周辺」国の表面的な発展にも、このグローバリゼーションというやつはそれなりに寄与したのだろうと思う。しかし、ヘゲモニーの在り方は、いまや国家という枠組みすら逸脱してかなり複雑なレイヤーを持ち始めているため、表面上の分析だけでは現実が把握できない。現実には個人のレイヤーで、とんでもない富の偏在と格差が生み出されている。

しかし、それだけの偏在と格差があるということは、「侵略」があるということだ。つまり、「周辺」は失われていない。まだ存在しているのだ。

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