「男の価値は服で決まる」 - 語られるものと示されるもの…ペンよりも剣の方が正しい
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男の価値は服で決まる。
そう言うと多くの男性が反発するだろう。しかし、これは僕の中ではもう動かぬ事実だ。「ファッション」ついては、以前にかなり本質的な記事を書いた。
今回はより広く「服」の意味について書いておきたい。
男の価値は服で決まる。このセンテンスの意味を理解するには「男」「価値」「服」という3つの名詞の関係を把握せねばならない。
「男」とは、「価値」を生み出す者のことである。一体何を言っているのか。ひと昔前まで、仕事をするのは「男」の役割であり、むしろ、仕事をする者のことを「男」と呼んだ。いまでは、その「男」の領分は広く男女に開かれている。だが、本来的な意味で仕事をするのは「男」だ。これは、セックスとしてもジェンダーとしても性差別を意味しているわけではない。単なる歴史である。
以下、「」つきの「男」「女」は、歴史的な意味での言葉の「用法」を指しており、性別を指しているわけではない。「素朴」に読まないよう、強く念を押しておく。
さて、仕事をするとは何なのかを考えよう。これも時代によって意味は変わるだろうが、現代的な文脈で重要であろう意味を採用するなら、仕事をするとは「価値」を生み出すことである。仕事とは広義には食い扶持を稼ぐことだが、狭義には「価値」を生み出すことだ。交換可能な新しい「価値」を生み出すことで、結果として食い扶持を稼げるわけであって、直接生存に必要な食料を調達することは、現代においては仕事ではない。食料の調達すら、もはや他人のための交換可能な「価値」として、直接的な生存という目的からは分離されている。自分たちで食べるために農業を営むものは、現代社会には存在しない。
異なる利害を持つ共同体同士で「交換」という経済行為を遂行する者。
それが「男」である。
「男」とは交換に値する「価値」を持つ者のことなのだ。この「男」はどんな「価値」を持っているのか。「男」はそのポテンシャルを値踏みされる。「男」のカラダなどはどうでも良い。「女」は違う。「女」はポテンシャルではなく存在そのものの価値を値踏みされる。「男」は機能だが「女」は装置なのだ。「女」 は生存のための機能ではなく、人間を物理的存在としてつなぎとめるための極めて「身体的」な装置なのである。「男」は生殖においてすら、遺伝情報という実体のない「価値」の提供しか行なわないが、「女」は人類の存続をその「身」に背負っている。だから、「女」は身体そのものが値踏みの対象となる。「女」とは、服ではなくカラダなのだ。逆に感じるかもしれないが、「女」のファッションと「男」のファッションは意味が違う。
「女」は自分「そのもの」を飾る。
「男」は自分の「価値」を飾る。
「男」はどれだけの「価値」を生み出せるかという機能が値踏み対象とされ、身体的な存在に値段はつかない。もしカラダに値段がつくなら、その男は単に「女」として機能しているだけのことである。ともあれ、「男」は自分がどれほどの「価値」を作り出せる人間なのかを、機能として「示さねば」ならないのだ。
では、それをどうやって示すのか。
言葉を語るのか。
That is the question.
ここに大きな問題、誤解がある。
「価値」というのは示すことはできても語ることはできない。だから、「男」は多くを語らず自分が本物であることをただ示すことしかできない。これは古い価値観ではあるが、まさしく真理である。倫理ではなく原理である。詐欺師というのは、詐欺行為を行なうから詐欺師なのではなく、示すべきものを持たずに「ただ語る」から詐欺師なのだ。語られる内容を聞いてはいけない。これは人生において最大級に重要なことであるが、世の人々の、ほぼ全員が理解していない。話の内容をよく聞けばその真偽はわかると思っている。あまりにも浅はかな考えだ。いや、正確には逆だ。深く考え過ぎなのだ。真実はもっと浅い。
論理は嘘をつく。
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