馳浩石川県知事にエンタメの極地を感じた話①
今日、こんなツイートをしました。
ジャイアントスイングでぶん回しているのが、僕の故郷の石川県の馳浩県知事(61)です。
ちなみにこの試合は元日に行われたんですが、3日付けの地元紙(北國新聞)の一面と社会面はこの試合の記事にがっつり割かれていました。
(あ、帰省なうです)
2日付の新聞は休刊なので今日の朝刊に載っていました。
試合の映像も見ましたし、今日その記事を読んでいて馳浩(敬意を持ってこう呼ばせてもらいます)について書きたいことが止まらずにいます。
先にお伝えしますが、馳浩については内容がかなり盛りだくさんです。
どう考えても長くなる気がするので数回に分けると思います(まさかの馳浩連載!)。
それくらいこの数十年、そして先日の試合を見ての彼に対しての万感の想いがあるんです。
お時間に余裕のある時にのんびり読んでください。
とはいえ一旦どこから話そうかな…と迷っています。
それくらいこの1枚の写真とその背景にはいろんなことが詰まっているんです(僕自身のことも含め)。
なので時系列にそって丁寧に噛み砕いていきたいと思います。
※あくまで僕の記憶の範疇で書きますので、なんかもし史実に間違いがあってもそこはちょっと許してください(もしめちゃ詳しい方が居たら)
新日本プロレスと全日本プロレス
まずはここから説明しましょう。
そもそも僕は熱狂的なプロレスファンでした(今はそれなり)。
特に中高生時代は当時の「全日本プロレス」のファンクラブに入っていましたから、ガチ中のガチの全日オタクです。
で、その全日本プロレスと人気を二分する団体がありました。
それが「新日本プロレス」です。
全日本プロレスの創始者は「ジャイアント馬場」
新日本プロレスの創始者は「アントニオ猪木」
で、この馳浩というレスラーは新日本の選手でした。
これは90年代くらいまでのプロレスを知ってる方なら分かると思うんですが、当時の「新日」と「全日」はとにかくイデオロギーのぶつかり合いで、それは団体同士もそうですが、輪をかけてファン同士のイデオロギーのぶつかり合いもすごかったんです。
大袈裟でもなんでもなく、プロレスファンが2人集まって「新日か?全日か?」という話になったら大喧嘩、大激論が起きたんです。
ちょっときわどい例え方をしますがどう考えてもわかりやすいので書かせてもらいますと、政治でいう右の人と左の人がお互いのイデオロギーをぶつけ合って議論ってレベルを超えてただの大喧嘩に発展しているあの感じ。
(ちなみに当方、そっちにはあんまり興味ありません)
ちなみに「馬場と猪木」は元々同じ団体に居たんですが、いろいろあって(※雑)袂を分かち、お互いに団体を作り交流を一切断ちました。
本当に東西ドイツとベルリンの壁みたいな世界だったんです。
あの頃の新日と全日は。
(本当に言い過ぎでもなんでもないんでそのあたりに詳しいプロレスファンの人に聞いてみてください)
そうなんです。
交流が絶たれていたからこそ選手同士で戦うこともないから…
「お前んとこよりこっちのほうが」みたいな争いが生まれるんですファン同士で。
※余談ですが当時の各団体の代表格で誰でも知ってそうな名前を挙げると、新日本の代表格は長州力とか武藤敬司、全日本はジャンボ鶴田とか三沢光晴
一体なんの話を聞かされてるんだ…とそろそろ思ってますか?
大丈夫です。ちゃんと繋がります。
興味のないことでもインプットする気概が大事ですよワトソン君。
衝撃だった馳浩の移籍
さあここでいよいよ馳浩です。
(すいません基本レスラーは敬称略です)
ここまでの前知識を踏まえていただいたうえで次の史実を聞いてほしいんですが…
馳浩という選手は「新日本」でデビューしてそのままトップ戦線まで上り詰めた看板レスラーの一人でした。
武藤敬司と組んでタッグのチャンピオンにもなってるくらいですからバリバリのトップレスラーです。
その彼がまだまだ全然動けるのに96年の1.4東京ドームでいきなり引退試合を行います。
まあ全日派の僕からしても驚きました。
「え?馳まだまだ若いじゃん」みたいな感じで。
ただ実はその前年の95年に彼は現役レスラーとして参議院議員に立候補して見事当選して国会議員になっています。
なのでさすがに国会議員をやりながらレスラーは…ということでの引退なんだろうなと思ってファンはみんなその引退を捉えてました。
しかし同じ年の秋に事件が起こります。
「馳浩、全日本プロレスに入団!」
というニュースがプロレス界に走りました。
どうでしょう?
ここまで丁寧に読んで下さった方ならさすがに少し驚かれたのでは。
「へ?」って感じで。
これ本当に衝撃でして。
全日ファンも面食らいましたし、新日ファンも「Why?」だったでしょう。
この衝撃というか「なんで?」感は本当に訳が分からなくて…
自民党の河野太郎さんが「政界引退します」って表明して政界去ったと思ったら、数ヶ月後に「河野太郎 立憲民主党入り」みたいな。
本当にそんなような話なんですよこれ。
(ファンからしたらね)
そしてすぐさま入団挨拶的なものと全日本での初試合が深夜のテレビ中継でオンエアされました。
これが全日オタクの西村少年がレスラー馳浩を本格的に見始めた瞬間です。
(もちろん週刊誌等で何年も情報は追ってたので存在とパーソナルは熟知しています)
歓迎ムードではあったんですが、当然ながら全日ファンの目としては「さてどんなもんじゃい?」という目線に否が応でもなります。
それは強いとか弱いという測り方じゃなくて、「ちゃんと全日イズムを分かってるんだろうね?」という角度の目線です。
さっきの政党移籍の話が本当にリアルな例えなのは、新日と全日はそもそも「プロレス」に対する価値観や運営方法や魅せ方が全てにおいて真逆だったので。
そんな中、馳浩というレスラーはしっかり全日ファンの心を掴んだんです。
試合を見ていたら、全日への敬意と全日ファンへの敬意、そしてしっかり全日イズムを理解した試合内容。
気付けば僕は立派な「馳浩ファン」になっていました。
(続く)