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【2024年】 震災がきっかけで生まれた時間・縁と共にひたすらに過ごした一年だったみたいです 【振り返り】
「もう一年か、早いなぁ。」
こういうセリフを、友達との会話なり独り言なりで漏らした事がある人が大半かと思います。
それは時にご自身の誕生日かもしれないし、誰かとのアニバーサリーかもしれないし、同業者の方で言えば何かしらの主催イベントからかもしれないし、「もう一年か、早いなぁ」の手前に付く「アレから」の部分は実に様々かと思います。
そんな中、万人が共通で「もう一年か」と思えるのが年の瀬というやつで、どんな人でもなんとなくふわっと振り返る時間が訪れたり、また新たに頑張ろうかみたいな区切りの気合いが入ったりする、実に便利なシステムだと思います。年末年始というやつは。
そして、後ろについてくる「早いなぁ」は本当に年々早くなっています。
「年をとればとるほど時間ってとんでもなく早く感じるよ」と、小学校四年生の時の体育の先生に染み染みと言われた事を覚えています。
(なぜに体育の時間のその話をしたのか知らんけども)
その時は「ふーんそんなもんか」と思ってましたが、自分が当時の先生くらいの年齢をもはや追い越してそうな今、いやはや本当に1年経つのが毎年毎年早すぎてビビるというのは本音であります。
が…
今年ほど「早っ!!!!!!!!!!」と思った事がありましたでしょうか。
そして、日頃ここを読んでくださってる方からしても、近いレベルでその気持ちは共有できているのかもしれません。
本日の日中に地元に帰ってきました。
昨年同様、天才万博の日々を終えて大晦日移動で。
そして今、実家の部屋からパソコンをぽちぽち叩いています。
最近割とずっとバタバタっとしてたから何だか久しぶりに帰ってきたなっていう感覚なんですが、振り返ってみたら9月の下旬ぶりみたいです。
(七尾・能登食祭市場でのライブ以来)
すなわち3ヶ月前に帰ってきてる事になるわけですが、そこで「久しぶり」という感覚を持つことこそが2024年という年を表していると思います。
18歳で大阪に出てから何かしらイレギュラーな事でもない限り、実家に帰省するのは盆と正月の年2回(時に年始の1回)くらいなものですから、従来のペースでいくと3ヶ月なんて全然空いたうちに入らないわけで。
ですが今年はやっぱり3ヶ月空いただけで「随分久しぶりだな」という感覚になるわけで、本当に今年はここによく帰ってきたなぁ…と染み染み思います。
2024年を振り返ると、震災に付随した何かしらが次々と浮かんできます。
「震災があった年」とか「被災した年」という点みたいな話じゃなくて、それがきっかけで生まれた時間や、新たな縁と共にひたすらに過ごした一年でございました。
そもそも1月は避難所生活も含めて大半をこちらで過ごし、2月は週の半分ほどはこちらで給水等の家族サポートをしつつ、週の半分は大阪に戻って少しずつ仕事を再開したのでした。
本格的に仕事にバリバリ復帰できるようになったのは3月に入ってからで、その頃には水も復活したし余震もほぼほぼ来なくなって、こちらも何の気兼ねもなく現場仕事に集中できるようになったもので。
そこから4月には初めて”西村広文”という名前で、ピアノ一本でイベントに出演させてもらう流れになるのですが、大阪で能登半島地震チャリティーイベントを開くので、ぜひゲストとして来てほしいというお話を頂いたのがきっかけでございました。
5月には地元・石川の音楽イベント『ガルガンチュア音楽祭』に2日間も出演させていただけることになるわけですが、これもまた「地元出身の被災者として同じ思いをされた方々を西村さんのピアノで勇気づけてほしい」というお気持ちからのオファーでございました。
避難所での音楽室ライブの記事を、実行委の方がご覧になられたことが発端です。
そして6月はオンラインライブ。
年明け早々(ほんと1月2日とかよ)、キングコング西野さんならびにタケダPが僕の救済の意味で企画してくださったオンラインライブ。
いつも応援してくださっている僕のピアノを好きで居てくださる方々、西野さんフォロワーの方々、これまで一緒にお仕事をさせてもらってきたミュージシャン仲間、先輩、後輩、そして身内のお友達、知り合いなどなど…
日々増えていく支援数にとにかく励まされて元気を頂いて、結果として避難所生活をアクティブに過ごし続ける事ができたというのは本当に言い過ぎでもなんでもありません。
この先いかなる時でもあの時の気持ちと環境は絶対に忘れないように、支援数2865という数字はしっかりスクショして残してあるほどです。
7月は『スナック西村』を金沢と大阪で立て続けに主催していただいて、どちらも能登(石川)の応援をしっかり関連づけていただいたりもしたわけで、その熱量も年明けの諸々があったから生まれてくれた部分もあるかと思います。
むしろわざわざ土地の応援を関連付ける必要性なんて本来ないイベント趣旨ですから、間違いなくそうです。
そして満を持して8月は『88鍵一本勝負』と銘打ったワンマンライブでございます。僕自身、初のピアノ独奏という形でのワンマンライブの開催でございました。
この辺りの話は当時けっこう暑苦しくいろいろ書いてるんで、よかったら2024年8月あたりの記事を読んでやってください(割愛!)。
震災との関連で言うと、8月は地元も地元の七尾市にあるTENKUというピアノが置いてあるカフェ(正式にはTENKU Cafe J,Road)で、超地元の皆々様、ならびに超地元まで来てくださった市外県外の方々の前でコンサートも開けたし、お店の方々とも素敵なご縁が生まれたし。
9月もこれまた超地元の能登食祭市場で、ストピ復活イベントに出演させていただいて、避難所ぶりの再会もたくさんあったし、食祭市場関係の方ともこれまた素敵なご縁が生まれたりもして。
10月は伊勢(三重)という、未だかつてライブとは縁もゆかりもなかった場所で満員のお客さんの前で2回公演なんてやらせてもらったわけですが、これもまた「能登半島地震チャリティー」の意味合いもあったコンサートで、震災をきっかけに生まれた縁による時間でございました。
(あそこはピアノが最高だったからまた絶対に演る!)
こうやってざっくり羅列して振り返ってみると、とにかく要所要所で震災をきっかけに生まれた縁に溢れた一年を過ごしてきたんだなと実感するわけです。
良かったなんて言い方はできませんが、あそこで生きた上でその後の時間をグッと踏ん張ったことで繋がった線なのは明白でございますから、まあ今年はよう頑張ったなと少しくらい思ってもいいかもしれません。
その上で、5月のガルガンチュア音楽祭の時も、6月のオンラインライブの時も、8月のTENKUや9月の食祭市場の時も。
七尾という場所でピアノを弾くと、当然ですがあの恐怖の正月を味わった同じ被災者としての気持ちが分かち合える方々がたくさん居てくださいます。
中には同じ避難所生活をしてた方とも顔を合わせますし、音楽室のピアノを聴いてた方も一定数居てくださいました。
あとは隣近所のお付き合いで、子どもの頃の僕を知ってる方々とか。
僕が元気で多方で頑張ってたり、どこかしらで活躍している様を見て、そういう同志とも呼べる方々の目が輝いたり日々が多少豊かになるんだっていう実感をした2024年でもありました。
地元のじっちゃんばっちゃんや、おにーさんおねーさんが、「あんたが頑張っとると嬉しいし元気になる」みたいなことを言ってくださることが地元に帰ると度々あって、「ファン」という存在とはまた別で、震災をきっかけに誰かにとってのそういう存在に自分がなったのは事実としてあって。
そんな感情を持って活動を頑張る未来が来るなど全く想像してませんでしたが、そういう人たちのためにも頑張ろうという気持ちがすくすく育ったのも2024年であり、やはりそれも震災から生まれた縁なのであります。
そう言えば、30年近くコミュニケーションをとっていなかったような同級生との再会もたくさんあったな今年は。
何をどう振り返っても、やっぱり震災というものがついて回ってくる2024年ですが、結果的にどこか全てポジティブです。
やっぱり良い一年だったと思います。
せっかく生かされてせっかく繋いでいただいた縁なのですから、その縁たちはより太く太く育みつつ、「あいつ頑張っとるな」と地元の震災を乗り越えた同志たちにも思ってもらえるためにも、来年もしっかり頑張りますか。
(元日早々さっそくこんなの出るよ)
https://www.youtube.com/watch?v=avD1AlcEYJM
このnote執筆を持って僕の仕事納めとなりそうです。
今年も一年、西村広文という存在をご愛顧いただき本当に本当に有難うございます。
良いお年をお迎えください。
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