「譜面を外す」という状態がもたらせてくれる恩恵とか
譜面を外すっていう言い方。
すなわち暗譜という事で、譜面を見なくともなんの問題もなく曲が演奏できる状態になった際に譜面を置かなくなる事を「譜面を外す」って表現します。
本日はアカシアオルケスタで仙台ワンマン(なんと5年ぶり)があるわけで、もう少ししたら機上の人になります。
昨日はそのためのスタジオリハーサル兼ゲネプロがあったわけで、そこで改めて「譜面を外す状態」がもたらす何かしらを掘り下げてみたいと思います。
その話をするに際してまず最初に…
おそらくほとんどの方が経験した事ないかと思うのですが、自分(たち)で作った曲と人さまの曲では「覚える」というハードルの高さは雲泥の差であります。思ってる以上に。
そりゃ一曲、二曲の話ならどうってことないです。
ここで言うのは15曲〜20曲というレベルの話。
そしてもっと言うと、その15〜20曲のために何週間とか一ヶ月とか集中して費やせるとかじゃなくて、数日でその曲数をこなさないといけないというシチュエーションの話。
その前提の上で、僕は短期間で自分たちの曲を20曲近く演る場合と、人さまの曲を20曲近く演る場合の両方の立場を存分にしてきているので、コテコテの自分事として書かせてもらいますが、本当に驚くほどそこにはギャップがございます。
例えば自分のバンドで20曲演奏するってなった場合、定期的に演奏している曲は言わずもがな、もう何年も演奏していない曲とかでも多少の思い出し時間は必要ですが、それでもちょっとおさらいすればすぐに細部まで取り戻すことはできます。
(その場でいきなりとなったらさすがに何年も演奏してない曲になるとグダグダではありますが)
逆にサポートミュージシャンの立場として人さまの曲を演る場合は、基本的に譜面という存在がないとにっちもさっちもいかなくて、なんだったら「命綱」とさえ呼んでるくらいです。
そもそもオリジナルと人の曲では「覚える」という事に対するハードルにかなり差がある前提のうえで、サポートライブになると「サポートミュージシャンは普通に譜面を置く」という風習があるので、覚える必要がないっていう部分もあるから、そりゃなおさら覚えられないわけです。
とか言いつつ僕は同じサポートミュージシャンの立場でも、何年経っても譜面を外せない(覚えられない)現場もあれば、もうほぼ全ての曲で譜面を外している現場もあったりします。
この辺りはまた別で掘り下げがいのある話なのですが、ちょっとそこも経由するとかなり回り道になるので一旦今日は割愛。
ちょっと想像してみてほしいのですが、例えばソロのシンガーがセンターにドスンと居て(譜面を置いていない)、その脇を固めるミュージシャンたちがこぞって譜面を置いていても、その光景にあんまり違和感はないと思います。
あくまでメインはその人であり、周りの楽器隊はそのコンサートのための補佐っていう空気が分かりやすく出るので。
むしろ、周りが譜面を置いているという事実が逆にセンターの人を引き立たせるという言い方すらできそうです。
(究極の例で言うと“のど自慢”の空気感ですね)
じゃあこれがグループとしてのバンドとなると誰かが譜面を置いてたらやっぱり違和感はあるかと思います。
実際はそんなわけないのですが例えとして、ミスチルのライブに行ってベースの人だけ譜面置いてたらやっぱり変ですわね。
想像してみたただけでその光景は「なんでやねん」だと思います。
(ミスチルはあくまで例えでどのバンドでも)
桜井さん(Vocal)だけ何も置いてなくてあとの3人が譜面を置いてたら、それはミスチルのライブと言いつつ途端に桜井さんのソロライブみたいな空気にもなると思います。雰囲気として。
まあですからバンドのライブでオリジナル曲で埋め尽くされたワンマンで、メンバーの誰かが譜面を置いているなんて光景はあんまり想像できません。
アカシアオルケスタは現在、歌とピアノの2人体制で活動しています。
ので、バンドでライブをしようとなったらベースとドラムの存在が必要になってくるわけで、そこをサポートミュージシャンに補っていただいています(ギターは元々居ません)。
ベースはウダさんという方で、ドラムはヒコくんという方ですので、僕はお二人をニコイチで”ウダヒコ”と呼んでいます。
(ので以下楽器名で呼ぶのではなくウダヒコ呼びで統一します)
ワンマンを敢行するにあたりウダヒコのお二人に譜面台が立って居る場合、かなり分かりやすいライブの景色になると思います。
アカシアオルケスタってのはあくまでこの2人で、こちらの2人はサポートミュージシャンですっていうコントラストが譜面という存在によってくっきりと。前述の話を踏まえると容易に想像できるかと。
それは紛れも無い事実ですし、これまた前述した通り人さまの曲を覚えるっていうハードルの高さもよく知っているので、別にそれは全く問題ないのであります。
が、元々はオリジナルメンバーの4人でずっとやってきた過去があり、当然誰も譜面を置いていない中で数々ライブを重ねてきた時間があるわけで、ファンの人たちにも当然その光景は脳裏に焼きついているわけで。
すなわち誰かしらの手元に譜面が置かれた状態でその曲たちを聴く、ライブを見るという経験をしたことがない人たちです。
ライブってのは観る側として視覚と聴覚が相まってな世界ですから、理屈上いくら2:2の今だと分かっていても、いくらサポートだと分かっていても、ウダヒコの手元に譜面が存在してしまうとどうしても景色として、かつての姿に対して成り下がってしまうのです間違いなく。
なので、ウダヒコのお二人には一番最初にサポートしていただく時点でハッキリと「譜面置くのNG」を突きつけさせてもらいました。
丁重にお願いをさせてもらったんですが、サポートミュージシャン側からすると「突きつけられる」という表現が一番しっくりくる事態であります。
一旦絶望すらします。驚くほどライブまでの心身のコストが変わってくるので。
今日の仙台でのワンマンライブは、アカシアオルケスタにとって2024年の初ワンマンであり同時に年内ラストのワンマンであります(どんだけライブやらんねん)。
オリジナルメンバーである2人は、そんな頻度であれやっぱりオリジナルなのでちょちょいと復習すれば問題ないのですが、ウダヒコのお二人からしたら自分たちのオリジナル曲でもない十数曲をそのブランクの中で改めて思い出すのはなかなかになかなかであります。
ですがそこは実に誠意あるお二人で、一番最初に僕が突きつけちゃった条約をグッと守ってくださり、昨日も当然のように譜面を外した状態でリハに臨んでくれたのでした。
譜面を外している状態の恩恵やメリットとして、先ほどの“譜面台の存在からくる分断”的な景色の回避だけにあらず。
身体で覚えてくれているので単純に演奏・グルーヴが4人でものすごくスイングするっていう部分もあり、あと物理的に譜面に取られる目線の時間がなくなるので必然としてアイコンタクトの時間も増える。
さらに言えば「融通が効く」という点。
譜面で覚えている場合だと、時にイレギュラーに対応しにくい場合があって、なんかその場の勢いでアドリブ的に「ここもうちょっと長くしたい」とか「ここでいきなりこんなこと仕掛けてみたい」と、音が流れている最中に思いついちゃっても人によっては対処しきれない事故が起きるわけで。
律儀に譜面通り追いかけていると間違いなくそこでズレが出てくるので「本当はここもっと遊びたいけど無理かな」っていう妥協も生まれてきます。
その点、どこでどんなヤンチャをしてもまあ大丈夫でしょっていう信頼が「譜面を外している」っていう事実で担保されているので、音楽の中での“遊びしろ”みたいなものが急激に増える。
(いくら譜面を外していても丸暗記系では無理ですが)
「譜面を外す」という事実ひとつとって、実にたくさんの恩恵が潜んでいたりするわけで。それは演る側にとっても観る側にとっても。
昨日のリハで改めてこれらのことを思ったので、ガッツリ書いてみました。
と言ってるうちにぼちぼち準備しないと飛行機がヤバいのでこれにて。
乗りそびれたらさすがにシャレにならないので。
ちょっと専門的な話でしたが、最後まで読んでいただいて有難うございます。
以上です。
【追伸】
メンバーシップ「オンラインアトリエ」では無料記事とは別でメンバーシップ限定記事を毎日更新したり、1日1曲ピアノ演奏をアップしたりしております。
自分の作品創りのプロセス、最新の進捗状況(音源)の共有だったり日々の活動の中でのあれこれのかなりコアな部分を掘り下げてますので、よろしければ覗いてみてください。
【CD・グッズの通販はコチラで随時】
活動の継続と発展のためにサポートいただけたらめちゃくちゃ喜びます🎹