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古い日記を晒す感じで昨年の2月の限定記事をひとつ読んでいただきたく
このnoteは基本的に毎日、誰にでも読んでいただける無料記事と、メンバーシップに入っていただいている方にだけ読んでいただける限定記事の2本を日々交互に書いています。
限定記事のほうは時に「プロセス」的な話も多くて、今こんなこと目論んでるとか、近々こういう時間に突入します的な事も明け透け共有しているので、活動の内面を一緒に並走していただいてる感もあります。
(もちろんそういうレベルじゃないコアな話を書いてしまう時もあるのですが)
だからこそ、1年前は限定記事として書いていた事でも、今読み返してみたら普通に公になっている事が並んでいるっていう事もあるわけで、その時は限定に逃している話でも、時間が経ってしまえば特に限定公開としての価値が薄まる話題もあります。プロセスという観点で言うと。
さすがに言わんとしてることが伝わってるかと思いますがダメ押しで具体的に言うと、「母の日に向けてCDを作ろうと思います」的な事は、思い立ったタイミングでイチ早く限定のほうで書きましたし、その曲の制作過程もひたすら垂れ流していました。
後者の作曲時間に関してはともかく、前者に関してはもうその経緯も発信したうえで『Gift』というCDをとっくに発売しているわけで、今となってはその記述は限定としての価値はさほど無いみたいな話。
なんとなくふと「去年の2月って何してたかな」と思って、一年前の限定記事をあれこれ読み返してた時に、「もうこの話って限定じゃなくても」って記事もちょこちょこあると同時に、時間が経って今改めて読み返してみたらまた違う味わい深さもあるっていう話もあって。
ちょっと前置きが長くなりましたが、そんな経緯があったので今日はなんとなく1年前の2月の限定記事からひとつ引っ張ってきて、ここに公開してみようと思いました。
昔の日記を自ら掘り起こし晒すようなもので、実に小っ恥ずかしい行為ではあるのですが、たまにはそんな趣もアリかもなと思ったもので。
1年前はそんな事を考えてたのねって感じで楽しんでもらえれば幸いですし、当時を並走してくださってた方は「あったあった」って感じで懐かしんでもらえればこれまた幸いです。
よろしくお願いします。
さすがにおはようございますと言わざるをえない時間かと思います。
もう一日の終わりがいつで、一日の始まりがいつなのか全然分からない時間軸がずっと流れている日々ですが(なんか一日の括りがとっても大きい感じ)、とりあえずこの記事を書き終えたら一日の終わりとします。そしてちょっと熱めのシャワーを浴びたら一日を始めてみようと思います。
実に"人でなし"な時間軸で生きていますがけっこう元気なのでどうぞご安心ください。
というわけでアトリエ民の皆さまおはようございます。
西村です。
さて、おはようございますと言っているのでもう29日という前提で書きますが、ご存知4年に1度の閏日でございます。
そして4年に1度と言えばオリンピック。
驚くほどオリンピックというものに対してこれっぽっちも興味が湧かない人も一定数いらっしゃるので一概には言えないことは大前提としたうえで、それでもやっぱり基本的には人々が熱狂する代表格かと思います。
いつからかサッカーW杯とか世界陸上とかWBCとか、そこにきてここ数年はラグビーだとかバスケだとか卓球だとか…他にもいろいろ気付けば何かしら熱狂し続けているような気もしますが、やっぱり元祖はオリンピックかなと。
一体なんの話を始めてるんだと思われる方もいらっしゃるかもですが、一応本題の枕を始めているつもりです。
さて、なぜ我々はオリンピック(競技・選手)にあんなにも熱狂するんでしょう。
特に多くの人々は瞬間最大風速的に着火するかと思います。
いわゆるその時だけめちゃくちゃ応援する"にわかファン"というやつになります。
思い出すは高校生の頃。
冬季オリンピックが日本(長野)で行われた時に、スキージャンプ団体の金メダルとスピードスケートの清水選手とに大熱狂して何だったら大号泣しました。
それはただ金メダルを勝ち取ったということに対する歓喜の涙ではなくて、そこに至るまでのストーリーラインが半端なかったから。
前者のスキージャンプに関してはご存知の方も多いかもしれません。
団体メンバーの原田選手が大号泣しながら「ふなき〜ふなき〜」と祈っている映像はなんとなく皆さん見たことあるんじゃないかと思います。
(世代によると思いますが)
長野の一個前の大会(リレハンメル)で、当時団体エースの原田選手が普通に跳べば金メダルという状態で信じられないジャンプミスをしてまさかの銀メダルに終わって、そこから4年間ひたすらに誹謗中傷だったり家族への嫌がらせを受け続けたわけでして。
(今よりかなり誹謗中傷ってものに対して世の中が"なあなあ"だった時代でもあります)
そのとてつもなく苦しい4年間を乗り越えて長野オリンピックの舞台に立ったわけですが、そこで1本目のジャンプでまたもや原田選手はジャンプミスを犯してしまう。
「また自分のせいで…」みたいなところに追い込まれるわけですが、続く2本目でとんでもない大ジャンプを跳んで日本は一気にトップに躍り出て、その後アンカーの船木選手も綺麗にジャンプを決めて日本は金メダルを獲得したわけです。
そのインタビューで原田選手はもう嗚咽だらけの大号泣をしているわけですが、前回リレハンメルの時からのストーリーをテレビはずっと丁寧に描き続けていたので、そんなもんこちらも感情移入して号泣するに決まってるわけです(その辺りは案外感化されやすいんで)。
そしてスケートの清水選手。
こちらはスピードスケートとして日本人初の金メダルという快挙だったわけですが、こちらも前フリ(という言い方はちょっとライト過ぎますが)が実に丁寧にテレビで描かれていて、確か清水選手が高校生の頃にお父様を亡くされたんです。
小さい頃からお父様と二人三脚でスケートのトレーニングに励んできたわけですが、そのお父様は息子の晴れ舞台を見届けることなくこの世を去られてしまい、そこからはお母様が女手ひとつで(確か肉体労働で)息子を育て上げた。もちろんスケートのトレーニングを存分にできる環境面も含めて。
その母子二人三脚の時を経て迎えた長野五輪で見事金メダルを獲得。
映し出されるは客席で号泣しているお母様。その胸にはお父様の写真。
号泣不回避。
そしてその後の表彰式が終わると清水選手は足早に客席に向かい、お母様の首に金メダルをかけてあげるというダメ押し付き。
無理無理さらに大号泣。
(その辺り本当に素直な高校生だったんですよ僕)
思い返したらどんどん熱くなっちゃって、そして持ち前の謎の記憶力も相まってずいぶんと語っちゃいました。
朝っぱらからすいません。
とにもかくにも、普段全く着目してないのに(スケートとかジャンプとか全く見てなかったし)そんなにもいきなり熱くなるのは、そういう背景・ストーリーが見えたことによるものであることは間違いありません。
例え高校時代に…とか4年前の大会が…とかみたいな壮大な前フリじゃなくても、2009年のWBCでずっと打てなくて苦しんでいたイチローが韓国との決勝戦で優勝を決める一打を放った時の感動みたいに、例え短期でもそういうストーリーラインがあるとやっぱり人の感情曲線は極端に動く。
そしてそれは「結果を残す」というところもセットで。
金メダルという結果や決勝打という結果があることで、そこにたどり着くまでの全てがしっかりとストーリーとして繋がるという部分はやっぱりあるんだろうと思います。
言葉がちょっと軽く聞こえちゃう気がして忍びないですが、まあでも分かりやすいので使いますが「前フリ」からの「オチ」というラインが繋がるといいますか。
ですので、そこに至るまでの過程を知ってるか知ってないかで同じ結果でも感動や熱狂が全然違うっていうのは、めちゃくちゃ当たり前の事なんであります(熱闘甲子園の感動とかエグいっすもん)。
それは分かったけど一体全体ずっとなんの話をしているのか。
まさかそんな未来があるなんて一ミリも思ってなかったけども、今年に入って僕という人間にもなんだか気付けばストーリー的なものが少なからず生まれ始めました。特にドキュメンタリーに家族まで出たのでなおさら。
実際に母に対する熱いコメントもいただく機会が増えました。
気付けば僕だけじゃなくて母(ならびに祖母)ぐるみで応援してくださってる方もいらっしゃると思います。
話があちこち飛びますが(でも本筋は一緒です)実はやたらめったら母からのラインが増えました。
去年までは特別な用事がない限りやり取りすることなんてなかったんですが、今年に入っていろいろあった末に諸々少し落ち着いた今、他愛もないラインが日々やたら届きます。
で、何往復かしたのち「仕事の邪魔してごめんねもうやめとくね」みたいな向こうのひと言で終わります。
正直、今までの空気感を考えるとありえないやり取りで、それは今回の日々を経てひたすらに心と心で言葉を交わしまくったことで生まれた部分かとも思いますが、おそらくですが多少まだまだ心細い部分もあるのかなぁとも思います。ただの子供の第六感ですが。
でも昨日に関してもそんな他愛もない連絡があったのは余震があって程なくしての時間でしたし、その時のひとしきりのラリーが終わったと思ったらその次にこれまた他愛もない連絡が来たのは深夜1時半とか。
なんかやっぱりどこかでまだまだ落ち着かなくてちょっと気晴らしに頼ってくれてるのは正直なところなんでしょう。
やっぱり今年に入って事あるごとにずっと一緒の時間を過ごしながらあれこれサポートし続けてきたので、去年までは日常だったはずの僕が居ないっていう日々がまだアレなのかもしれません。
夕方に他愛もないやり取りをしたにも関わらず深夜にまたそんな連絡が来た時に、強烈にジレンマを感じた事実があります。
昨日あれだけ「ワクワクワクワク」みたいなことを書いておいてアレなんですが(アレアレすいません)。
話をまとめます。
ものすごく個人的な話で。
先ほど、お母様に金メダルをかけてあげるという話がありました。
めちゃくちゃクサいことは百も承知です。
そして実に個人的な感情なのも百も承知です。
深夜にまさかの追いラインが来たあとに、そのやり取りをしながら缶コーヒーを買いに外に出て、いろいろ考えながらボーッと空を見上げててふと思ったわけです。
「曲作ろう」
みたいな。
性格上そんなこと考える日が来るなんて一ミリも思ってなかったけども。
今こそ母に一曲作るべし。
んでそれをちゃんと作品にして母に届けるべし。
多分、それが今一番カッコいい。
子供として。
もちろん今あれこれ作っている曲たちの制作もちゃんと進めますし、現に第一次レコーディングの日程も抑えたわけですし。
それとは別として、一曲なのか数曲入りの一枚なのか分からないけどものすごく個人的な母への一枚を残しておこうと思っちゃったわけなのです。
ただのクサいクサい親子愛の一曲(一枚?)でしかないんですが、ひょんなことからここまで明け透けになっちゃった親子ですから、どうせならとことん見届けていただきたいなと思います。
で、思い立った時の気持ちを大切にしたくて実は家に戻って即浮かんだモチーフは残しました。
けど、共有するのはもうちょっとあとにしておきます。
(実はこの記事のオチで共有するためにアップロードしたんですけど消しちゃいました)
この文章を書いてるうちに、やっぱりもうちょっとしっかり作り込んでから共有したいなと思ったものですから。
変にカッコつけずに恥ずかしがらずに良い意味で切り売りしてもいいのかもなって吹っ切れたところもありまして。
せっかくこれだけのストーリー性が生まれているわけですし、なんだったら母も「あなたのためになるなら」ってことでテレビに出るってことを受け入れたわけですし。
実は「お母さんがキツく映っててあなたに迷惑かけてないか(ファンの人たちに悪く思われてるんじゃないかと)心配」とつっかえていたりもします。
こちらがどれだけ「そんなことないって!」と言ってもなかなか素直に安心してくれません(僕の代わりに言ってやってください誰か)。
ここまできたら作品に落とし込まないと、ひとつの証として残しておかないと、しっかりとオチを用意しないとストーリーが完結しないじゃないのってことで。
ですが、端的にこのクサいクサい親子物語にいきなり言及するのが実にハードルが高かったものですから、2月29日なのをいいことにめちゃくちゃ回りくどくオリンピックの前フリから入ったということで。
そして気付けばずいぶん長くなっちゃいましたしもう朝も朝。
(書き始めた時は6時台だったのにな)
まあ、言うなれば母が居なけりゃ僕のピアノもこの世に存在しなかったわけですから。その人に一枚くらい残すのは当然かもしれませんね。
徹夜テンションで恥ずかしげもなく書き散らしたことをあとでバチバチに後悔すると思いますが、しっかりこのまま投稿ボタンを押そうと思います。
まあ、相変わらずの巻き添えでございます。
見届けてやってください。
今日も良い一日になりますよう。
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