テイラー・バートンの配信公演を観て「西野作品」はただのストレートじゃないってことが改めて腑に落ちた話
先日、東京キネマ倶楽部で公演があった舞台『テイラー・バートン』を観劇に行ったんですが、今日はそのテイラー・バートンの配信公演を観て改めて見えてきた自分なりの「西野作品」の雑感を書いてみようと思います。
毎度烏滸がましさもございますが「西村さんの感想おもしろい」という声は有難いことに少なからずいただくので、今回も遠慮なく書かせてもらおうと思います。
そんなわけで遅ればせながら昨日、テイラー・バートンの配信公演を観ました。
この配信公演は、まずカメラが12台入ってるということも圧巻なのですが、よくある定点カメラで寄り引きくらいの動きしかないものではなくて、お客さんを入れた状態でまず一公演分をまるまる撮ってからお客さんを出したのち、要所要所のシーンを別撮りして差し込まれているという仕上がりのもの。
要は普通のライブ配信と映画やドラマの撮影手法のハイブリッドな感じで、各キャストさんの表情のドアップや、ちょっとした手の仕草なんかもかなりピンポイントで抜かれたものが差し込まれていたりします。
故に、臨場感が凄まじくて本当にその場で観ているような感覚になれるんですが、同時に「なんでこのタイミングでこの人の表情が一瞬抜かれているんだろう?」「なんでこの一見意味のなさそうな些細なこの人の動きがここでインサートされているんだろう?」みたいなおもしろみも湧いてくる。
そしてこのテイラー・バートンの配信を観られた方の感想の中でそこそこ目立ったのは「一度観ただけでは気付かなかったけど伏線がしっかり張られていたんだ!」みたいな声。
今回改めて「西野作品のおもしろさ」のコアのひとつはここにあるのかもなぁ…と思った次第です。
と言うのも…
西野さんって人は作品を創ることにおいて常々
「玄人受けなんか狙ってんじゃねーよ!」
「クリエイターの自己満に走ってんじゃねーよ!」
「変化球に逃げてんじゃねーよ!」
「そんなことは全員を黙らせるストレートを投げれるようになってからにしろよ!」
みたいなことをとにかく仰っている方。
(なかなかイカつい言葉たちが並んでいますがこれ全部公言されてきたこと)
そこには「大人から子供まで誰もが楽しめるエンターテイメント」というひとつの理念があるからこそで、「観る人を選ぶ」とか「通好み」「分かる人には分かる」みたいな部分とは一銭を画している印象です。
むしろある種のアンチテーゼすら感じる。
(あくまで個人の雑感です)
ですので、今回のテイラー・バートンを劇場で観た時もそうですし、映画『えんとつ町のプペル』を映画館で観た時もそう。
とても単純明快で分かりやすいお話だったりする。
(そもそも「本」が素晴らしいのと予算の掛け方が半端ないのでクオリティがエグいのは大前提として)
特に奇をてらったり逆張り的な要素を散りばめたり、それこそ通好みみたいな雰囲気は一切なくて、大筋は本当に単純明快なファンタジーでありコメディだったりする。
キレのいいスライダーやフォークやシンカーなんてのは野球ファンには堪らないんだけども、野球をまったく知らない人からしたら何がすごいのか全然ピンと来ない。
ただ、誰が見てもおそろしく早いストレート(直球)というのは、野球をまったく知らない人でも「うわ!早!すご!」みたいな感動を感じることはできる。
そんな感じでご本人が仰る通り大人も子供も、おねーさんも誰が観てもシンプルに分かりやすいお話を作られているのは事実かと思います。
ただ…
ここで先ほど書いたテイラー・バートンを改めて配信で観た方々の「伏線が…」みたいな感想に紐付いてくるんですが、実はそんな単純明快なストレートでもないっていうのが西野作品の魅力というか魔力だと僕は思っていて。
映画『えんとつ町のプペル』はある程度上映期間が経った頃に「西野亮廣本人による副音声付き公演」なるものが始まったんです。
※専用アプリでイヤホンで副音声を聴きながら映画を観るという形
僕は初見で普通に観た時にただただ感動して「いい話だなぁ〜」とシンプルにそのストレートに打ちのめされたんですが、後日その副音声付き公演を観に行った時にいろいろ驚愕したわけで。
副音声で要所要所のシーンの時にご本人の声で聞こえてくるのは「実はここはアレの伏線になってるんです」とか「これは今作ではこうですけど次回以降のためにこうなってて…」とか「さっきと違うでしょ?なんでこれは違うかっていうと…」みたいな伏線に次ぐ伏線のオンパレード。
最初に観た時にまったく気にも留めていなかったことが実はとっても重要な伏線になってたり、額面通り受け取ってたことが全然違う意味を持ってたり。
で、それを聴いたうえで改めて観たらもう最初に感じたストレートとは全然違う景色に見えたりする。
もちろん今回のテイラー・バートンもそう。
先日劇場で観た時と今回配信公演を観た時で「やっぱりおもしろいな〜」っていう同じ感想にはならず「あ….だからこれがああなってて…」みたいな考察が始まった感じ。
僕の中では映画プペルの時の副音声の役割が、今回の配信公演のキャストさんの細かい表情や仕草の寄りみたいな位置付け。
というわけなので…
結局のところ西野作品というのはストレートをおもいっきりぶち込んでいるようで一概にストレートとも言い切れない。
いや、間違いなくストレートなんだけども。
僕は野球が大好きなのでここはストレートの権化である野球で例えると非常に分かりやすいんですが…
例えば球速160kmのストレートと150kmのストレートだったらどっちのほうが空振りしそうですか?と聞かれたら、一般的には前者と答える人が多いと思います。
しかし実は160kmで全然空振りが取れない(なんだったら簡単にホームランを打たれるような)ピッチャーもいれば、150kmだけども全然バットに当たらないというピッチャーもいたりします。
その違いは球の「回転数」の差だったりする。
あまりそこを深く解説すると眠くなる人が多いと思うので我慢しますが、要はいくら早いストレートでも単純明快すぎちゃうと簡単に打たれるんですが、回転数が乗ってることでストレートはストレートなんだけども球筋がホップする(手元でさらに伸びて少し浮き上がる)とか微妙に最後に少しだけ動く…みたいなストレートはどんなプロのバッターでもそう簡単に打てません。
ストレートはストレートでもただ早いだけのストレートなのか、回転数が乗って手元でホップしたりシュートしたりするストレートなのか。
いつも伏線が張り巡らされる西野作品は後者のようなストレートなんだろうなと思います。
真っ直ぐと分かってても打てない。
ただ早いだけじゃなくて回転数もエグくて「彼のストレートは魔球だ」とまで称された全盛期の藤川球児(ex阪神)はオールスターで「ストレートしか投げません」と事前に宣言して、パ・リーグの強打者たちからバッタバッタと三振を取りました。
ストレートがただのストレートじゃないからやっぱり打てないんです。
結論。
「西野作品=藤川球児のストレート」
こんなところで。
(怒られませんように)
以上です。
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