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プレイヤーの立場で“子どもの泣き声”が気になるかならないかの解

7月になりました。

「もう半年か〜」なんてさすがに思いますが、余韻だ区切りだに浸る事もなくゴリッとした話を書いてみます。

先日のオンラインライブの後に西野さんと久しぶりに飲んだ時間があったのですが、その中でふと西野さんから質問された事に対して、普段から思ってる事をナチュラルに答えながら「そうかそういう事か」と自家発電的に納得した話があったので、今日はその内容をシェアしてみたいと思います。

自分では日頃からナチュラルに持っていた考え(スイッチ)だったんですが、改めて聞かれて言語化してみたら(西野さんの合いの手も相まって)自分で腑に落ちた話で、演者側にとってはそれなりに大切なことなのかも..と思うので書いてみます。


タイトルに書いてる通り「子どもの泣き声」が気になる(突っ込んだ言い方をすると気が散る)かどうかっていう話です。

話の発端としては、オンラインライブの際に現地観覧には主旨的に(これが大事!)家族連れで来ていただいた方が多く、やはり小さなお子さまも多いわけで、どうしてもお子は泣いちゃうものですから、先日のライブ中もしっとりした演奏中にちょこちょこ泣き声や何かしらの「わー!」みたいな声がそれなりにカットインしました。

そこに対して西野さんから「ああいう時、プレイヤーとして(ピアノを弾いてる身として)気になるものなのか?」という質問。

対して僕は「今日に関しては一切気にならない。むしろ愛おしい」と即答しました。

この“今日に関しては“って部分がミソで、すなわち絶対的な「気になる」or「気にならない」の二者択一的な話でもないって事で。

その“今日”とされる先日のオンラインライブは西野さんが発起人となってCHIMNEY TOWNの主催・運営で開催されたものであります。

CHIMNEY TOWNという会社は「ファミリーミュージカル」と銘打った公演を打ったり、お子さまに絵本支援をしたり、事あるごとにイベントが子ども無料(もしくはものすごく低額)だったりと、とにかくファミリー(とりわけ小さなお子さま)を大切にするという文化がしっかり根付いたコミュニティを持っています。

なのでCHMNEY TOWNが主催する(もしくはそれに準ずる)イベントはどこを取っても子どもファーストで、小さなお子さんが泣いててもみんなで温かくその状況を受け止める空気も備わってるし、迷子の子が居たりしたらイベントの進行をストップしてでもステージ上で迷子アナウンスをしたりもします(幕張メッセで実際にあったよ)。

それはコミュニティが育てた文化...というか「空気」です。

で、当日の演者である僕もそのあたりは熟知しているので、例えどんな場面で子どもの泣き声、わめき声が聞こえてきてもまったく気にならない。むしろ愛おしいすらある。

これは全然後付けじゃなくて、多分前にも同じような事を書いてると思います。

(ありました↓)

↑この文書の中で同じように「子どもの泣き声が愛おしい」と書いてますが、記事自体とても良いのでせっかくなので全部読んでください。

当日は最後の曲として「童謡ふるさと」を演奏したんですが、曲で言うと一音一音が息を潜めるようなキュッとした空気の演奏ではありますが、そこに子どもの声がカットインしてきた時に、僕は多少はにかんだ記憶があります。

僕自身も震災を機に改めて「家族」「親子」というものの尊さをずいぶん見つめ直す時間があったので、「ふるさと」という今年に入ってからとても大切に弾き続けている曲の合間に聞こえた子どもの泣き声は最高の演出だったりしました(プレイヤー目線としてね)。

さすがにあの日の客席の全員が全員とは言いません。

ですが、誰あろうピアノを弾いてる僕自身がそこを許容してる…なんだったら愛おしいすらあるという気持ちで居るという事を察してくれてる人だったり、そもそもCHIMNEY TOWN主催のイベントのその空気を知ってる方からすると、僕と同じように気にならないか、もしくは多少耳は取られちゃうものの(それは物理的に当然)、まあしょうがないよねって温かく許容できるんだと思います。

「郷に行っては〜」とまで堅苦しくは考えたくないですが、まあプレイヤーがそこを許容してるんだからねって感じが伝われば、あんまりそこをグチグチ思い続ける人もそんなに多くならないんじゃないかなと(もちろんゼロは難しいんでしょうけど)。

あくまで「プレイヤーとして気になるかどうか」というところで話すと、そういうコミュニティの空気を知ってるから気にならない。だから“今日は”気にならないという解になる。

そこをステージの振る舞いにしろ事前の発信にしろお客さんにちゃんと空気で伝える(偉そうな言い方をすると教育する)事が、演者として大切な部分なんだろうなと。


個人的に8月にワンマンを控えていますが、小学生以下を無料にしました。

なので当日(特に東京!)はお子さんがたくさん来場されます。

僕はその日に関しても、ピアノ一本のワンマンライブで小学生以下を無料にしたという意図を汲み取ってもらいたいですし、日が近付けば改めてその辺りを丁寧に発信しますし、当日ご来場のお客さんに向けてその日の空気の前提を改めてちゃんと育てるつもりです(親御さんのためにも)。

例えばこれが「大人のためのなんとかの調べ」みたいなコンセプトのコンサートにプレイヤーとしてお呼ばれして、そこで「中高年のレディース&ジェントルマンが落ち着いてピアノを聴くという日なので、そんな心づもりで…」みたいなオファーがあったとして、その意気込みで準備していった当日、蓋を開けてみたらちらほらお子さんが泣いてる...とかだったらやっぱり気になっちゃうんだと思います(おもてたんと違う)。

いや、もはや今の僕はいかなる時でも子どもの泣き声耐性(スイッチ)は兼ね備えてる気がしなくもないですが、根本は気になります普通に。

で、そんなのはもしプレイヤーが気にし出したら、雰囲気なり演奏なりであからさまにその空気は客席に伝染します。

するとその場のお客さんはしっかり泣き声にイラッとしちゃうんだと思います。
※あくまで「僕はそう思います」ベースの話です

本当に本当にひとつひとつの音にこれ以上ないくらいシビアにいきたいなら、そのイレギュラー回避のために年齢の入場制限をかけるべきでしょう(実際かけたりするのかな?)。
それはそれでひとつのプレイヤーの空気作りなので。

僕はやっぱり子ども達が僕のピアノに合わせて笑顔になったり「なんじゃこの指」って感じでキョトンとした顔で見てたり、ズレッズレの手拍子を一生懸命叩いてる姿がとっても好きなので、たくさんの子ども(親子)に来てほしいし、だからこそ主催である自分が率先して「そういう部分も含めて自分の思惑として公演しますからヨロシクね?」と教育させてもらいますし(偉そうな言い方で嫌だけども一番しっくり)。

逆に「この演奏をそのままレコーディングして作品にします」っていうかなり音にシビアな録音ライブみたいな趣旨ならば、本当に申し訳ないけども泣いちゃう可能性のある年齢のお子さんの入場はご遠慮するとも思います。

それはそれで「普段は子どもにオープンな人がそこに制限をかけるんだからよっぽどの…」っていう空気が伝わるとも思います(そうあってほしい)。

それもまたプレイヤー(主催)側が日頃から構築しておかないといけない文化なんでしょう。

普通に考えて「子どもを大切に!」「子どもファースト!」と打ち出しているコミュニティのイベントにプレイヤーとして登壇して「子どもの泣き声が気になった」とか思うわけないので、その空気を皆で育てる事で、その空間は寛容で優しい空間になるんであって、そこはプレイヤー側がしっかりと日頃から育てないといけない部分なんだろうと。

「子どもの泣き声」に限らずあらゆる事に応用は効くと思います。

読んでみたら、いやそりゃそうだろって話をひたすら書いてるのかもしれないんですが、それは読んでみたからだと思います。

改めて掘り下げるに値する大切な部分かと思います。僕は。

以上です。

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(photo by 上石千聖)

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