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曲を育てる...とは別で“曲に追いつく”っていう角度

けっこう昔の話ですが、その時分に事あるごとにバンドのライブを見に来てくださっていた業界関係者の方、今にして思えば信頼のおける壁打ち相手みたいな存在になってた方にふと言われた「ようやく曲に追いついてきたね」という言葉があります。

もう十何年も前に言ってもらった言葉ですが、今でもふと思い返す実に印象深い一言です。

本当にずっとライブを見続けてくださってた方ですので、(少々偉そうな言い方で申し訳ないのですが)壁打ち相手としての信頼度は抜群で、だからこそ、その一言がズバッと良い意味で刺さった記憶が今でも鮮明にあります。

それが演奏力に対してなのか、塊としてのバンド力に対してなのか、はたまた年を多少重ねたことでほのかに纏ってきた説得力なのか、引っくるめて総合的な話なのかは分かりませんが、表現として妙に腑に落ちましたし、単純に嬉しかったです。

「曲を育てていく」っていう概念は分かりやすいもので、とにかく使い捨てず、飽きず、ポンポン上書きせず、来る日も来る日もあちこちで演奏し続けたり、その曲が収録されているCDを一枚でも多く売って、少しずつでもその曲の認知度を高めていく努力がその表現に当たるかと思います。

これは曲というものに限らず、あらゆる作品全般に言えることだと思いますが。

その一方で「曲に追いついた」という概念は、当時20代そこらのペーペーの自分にとってはちょっと斬新で、なるほどなぁと心の奥底で頷いたものです。

単純に何度も演っていくうちにその曲に対する演奏力が上がる事で完成度が増していく的な意味合いもあるかと思いますが、もっと言うと「曲のことが分かってくる」とか「いろいろ年やら経験やらを重ねたことで曲を咀嚼できてくるみたいな意味合いもありそうですし、身の丈に合ってくる…もとい身の丈が合ってくるという話でもあるかと思います。

ちょっと分かりやすい例えが浮かんだのですが、就活生のリクルートスーツだったり中学校で学ランデビューしたての学生たちだったりに見受けられる、あの「着せられてる感」でしょうか。

僕は小学校まで私服登校で中学入学と共に学ランデビューをしたわけですが、とにかく上下共にダボダボでまあ絵に描いたような”着せられてる感”を存分に醸し出していたかと思います。

すぐにやってくる成長期に合わせて敢えて1~2サイズ大きめの物を買うという風習があると知ったのはもうちょっと後ですが、確かに嘘みたいに背が伸びる時期で、結果的にジャストサイズになった時は随分感動しました。

この学ランを曲に置き換えると実に分かりやすい話で、やっぱり当時の自分がそんなちょっと大人めいた曲をやっても、変に小難しく小洒落た演奏をしても、自分側がそこにフィットしてないので、ただ背伸びしてる感もあったのかもしれませんし、ちょっと頑張って大人振ってるって空気もあったのかもしれません。

当時はそんな事一切考えずお構いなしに無敵だと思って演ってましたが。

でも、気付けば学ランが体に合ってたみたいに、なんだったらちょっと足の丈とか足りなくなりそうになったりしたみたいに、既に世に放っている曲が自分の成長と共にジャストフィットしてくるっていう事はあって、それがすなわち「曲に追いつく」という話なんだろうなと。

すると比例して曲そのものもさらに深みが増すわけで、表現する上でどんどん板にもついてくるわけで、時に「こんなかっこいい曲だったか」とすら思う時もあります。ずっと演ってきたとて。

学ランの着心地が良くなったみたいに。

でもそれは考えようによっては、結局のところ曲がさらに育つという捉え方もできなくないわけで、結論この育て合いのイタチごっこはなんと素晴らしいのでしょう。

だからこそひとつひとつの曲に対して、自分の成長や深み、説得力に対してのリトマス試験紙な役割も担ってもらえる存在という意識を持って向き合っていきたいという所で。

親は子に育てられるみたいな話ですか。

そんなところで。


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西村広文 HirofumiNishimura
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