【初投稿】新入社員の世界一長い自己紹介
はじめまして!
8月から新卒で西村組の採用広報担当をしている岡本あゆなです。
今回初めてnote記事を担当します。よろしくお願いします!
週明けからはXの投稿も始めていくので、ぜひぜひ今からフォローしてください!Xアカウント→https://twitter.com/Nishimuragumi_A
記事といっても私の自己紹介をさせていただくだけの記事なんですが、我ながらなかなか奇妙な人生を歩んできているので(?)ぜひ読んでいただいて私のことを知っていただけたらなと思います!
怒られない程度に、結構色々と正直に書いていきます。笑
岡本あゆなって何者なん?
一言で言うと『台湾帰りの声がデカい日ハムオタクの新卒社員』 です。
これだけである程度の内容を網羅しているといっても過言ではないですが、過言とも取れるのでもう少しちゃんと説明させてください。笑
岡本あゆなとは…
・旭川出身
・2002年3月7日生まれの22歳
・一人っ子(なぜか兄がいそうって言われがち)
・大学は台湾で4年間正規留学
・6月に卒業して8月から西村組の採用広報担当で入社
・とにかく声がデカい、声量オバケ(いい表現をするなら:元気)
・割とちゃんと人見知り
・喜怒哀楽が必要以上に分かりやすく顔に出る
・占いとか性格診断とかMBTIとか好き、すぐ信じる。
・とにかく日ハム大好き人間(バレーも好きです)
ざっと言うとこんな感じです。よく言えば元気、言い方を変えれば人間スピーカーの採用広報担当です。
入社前から幸志郎さんには声の大きさ(うるささ)はバレていましたし、まだ入社して2週間ちょっとしか経っていないのに本社1階で誰よりも声・リアクションが大きいせいでたまに先輩を声量で驚かせてしまっています(すでに数回やってしまっている)。初っ端からやかましくして本当にすみません…。
『私』が変わった瞬間
何回か自分が変わったと思う瞬間は訪れているのですが、その中でも大きかったなと思うのが中学校での生徒会役員になった経験です。
これが無かったら今頃どうなっていたかと思うくらい大きな経験でした。
私は筆記試験に自信がなく、面接試験で合格したかったので
とにかく内申点が欲しいーーーー!
本当にその一心で人見知り全開人間が全校生徒の前で二度も立会演説を行いました。
一回目の演説前は自分の体から今まで聞いたことないくらいの心臓の音が聞こえて、死ぬんじゃないかと思ったのを覚えています。
そんな苦難を乗り越えて私は二期(まる一年)生徒会役員として過ごしました。
もちろん役員になってからは、学校祭の企画で司会をしたり全校集会で司会をしたり…何かと人前で私一人がマイクを持って喋る機会ばかりでした。
人見知りは未だ改善されている感覚はありませんが、人前で何かを話す・スピーチするということに対する恐怖心が一気に減ったのは間違いなくこの経験があったからです。
また、面接試験での合格を目標にしていた私には特にいい経験だったと感じていますし、志望校には無事面接試験で合格することもできました。
理由は多少不純ながらも実際に生徒会に入って活動した思い出はどれも楽しいものばかりです。
またやりたいと思うほど幸せな期間でした。
『私の人生』が変わった瞬間
先ほど簡単に自己紹介させていただいた部分でも書きましたが、私は高校卒業後から4年間台湾の私立大学に正規留学していました。
これがまたかなり突発的な決断で、親にはとても迷惑をかけてしまいました。
元々札幌の大学でも行こうかな〜くらいの気持ちで生きてた人間が急に日本を出るなんて言い出すもんですから、それは困りますよね。
なぜ行くと決めたかというと
台湾の学費が安かった
日本の大学を選ぼうとしても全然行きたい所が見つけられなかった
元々留学には興味があった(留学ってかっこいいなくらいの気持ちでしたが)
大きく言えばこの3つの理由で決めました。人によっては随分簡単な理由で親に迷惑かけてるなと思われるかと思いますが本当にごもっともです。
でもそんな私を親は台湾に送り出してくれました。
壮絶な留学生活
私の留学生活が始まったのは2020年9月。この年号を見てお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、この時期はコロナ禍真っ只中でした。
私は高雄市にある大学のマスコミュニケーション学科で学ぶことに決めましたが、渡航して待っていたのは2週間のホテル隔離+1週間の学生寮隔離生活でした。
この隔離生活のせいで私は始業から2週間ほど授業に参加できず、言語力に加えて授業内容でもハンデを与えられる始末。さらに食事が合わず、ろくにご飯も食べれずただひたすらホテルの一室でボケっとする毎日。
帰りたくても帰れない辛さも相まって、授業参加前から心が折れそうになったのを覚えています。
やっと隔離が終わったと思えば今度は言語力不足で授業についていけない毎日のスタート。少なくとも序盤は3コマの授業を聞いて1ミリも理解できず、授業が終わるたびに先生に聞きに行く生活を続け、いつからか少しずつ内容を理解できるようになりました。
私の学科の授業内容上、テレビ用ビデオカメラの操作テストや動画編集を学ぶこともあったので、そんなの日常で使わんだろ…っていう単語を一生聞くことになったり、ライティングの授業の時は語彙力が乏しすぎて最低文字数を超えられず、ひたすら大量に句読点を入れて文字数を稼いだりもしました。
聞き取れなくてラッキーと思う瞬間は先生が怒ってても何言ってるか分からないから聞き流せることくらいですかね。でも基本的に関係なさそうな一言一句も逃さぬように一生懸命ひたすら聞いていたのを覚えています。
各授業用のパワポを全て日本語訳してノートに書いてそれを見てテスト対策したり、頑張ってやっていれば先生方も人間なので情で助けてくれることも少なくはなく、そのおかげで何とか生きていたというのが正直な生活状況でした。
それでもなお続くコロナ禍生活で結局私は入学してから約2年間日本に戻ることができませんでした。この期間が本当に地獄で、授業が完全オンライン化されて実家に帰る同級生が多い中、学生寮でイヤホンをしながら授業を聞くことしかできない生活を強いられたあの生活はもう二度と過ごしたくない辛い期間でしたし、2年ぶりに日本に帰れた時の喜びは計り知れないレベルでした。
この期間の葛藤は勉強にしかぶつける先がなかったので、日本人の友人(私の大学生活で欠かすことのできない親友)とひたすら図書館で一緒に勉強して給付型の奨学金を貰いながら過ごしていました。
一緒に頑張ってくれる友達がいたことも救いでしたし、努力の大切さや言語力のハンデがあっても取り組み次第で留学生でもいい成績を取れるんだと言うことを知れる期間でもありました。
正直、高校生までの自分はちゃんとテスト勉強なんてしてこなかったに等しいですし、実際点数も悪かったです。なので今思うと台湾への留学としんどかったコロナ期間があってこそ身についたことがたくさんあったなと思います。
(何度も言いますが本当にもう二度とあんな生活はしたくないです)
コロナが少しずつ改善されてからは自分の残り単位数にも余裕が出て、運転免許を取得したりバイトを始めたりしました。
運転免許は取得してから一切乗らずに帰国したので今切り替え申請中です…笑
バイトは日本式居酒屋で半年弱やっていましたが、日本人の駐在員の方や観光客の方が来られることも多く、常連のお客さんにもバイト仲間にも良くしていただきました。
観光で台湾に行ったら絶対遊びに行きたいって思えるバイト先です。
今文章打ちながらすごく行きたい気持ちになってきました笑
『入学は簡単だけど卒業が大変なのが台湾の大学』と言われて過ごしていた4年間でしたが、確かに大変でした。
学年が上がって単位に余裕が出ても、卒業制作や卒業時に必須の資格取得など重たいものが複数残っていたのでそれをやり終えないと卒業できないという焦りがどんどん募っていく経験もしました。
人間関係や寮生活で人生で一番辛いストレスを感じて夜眠れない生活が続いた期間もありました。
そんな壮絶な4年間を無事に乗り越え、2024年6月に大学を卒業し帰国しました。
西村組に入社するまでの経緯
西村組に出会ったのは今からちょうど1年前くらいのことです。
私は3年生から4年生に上がる前の夏休みを日本で過ごしていた時でした。
私はオファーボックスを通して入社を決めたのですが、オファーボックスで私を見つけてくださったのが今の社長である幸志郎さんです。
夏休みのため日本に帰国した際に同級生の友人が内定先の話をしていたり、高校の恩師には親よりも強く卒業後の進路を心配をされたりして、焦りながらオファーボックスを本格的に使うようになって少し経った頃にオファーをいただきました。
日本の大学生と在学期間に差があることや留学しているとあまり説明会を聞きに行くこともできず、卒業自体できるのかの不安ばかりが先行してしまい卒業後のことを考えられていませんでした。
親に何も言えることがないまま気づけば大学4年になろうとしていた夏休みの頃に私のプロフィールを見て興味を持っていただき、たくさんの面談をしていただきました(とても就活生とは思えない外見でオンライン面談していたので、就活なめてんなって思われそうです、いや確実に思われます)。
お話を聞いていくうちに、私の理想としている会社環境(すんごい田舎なことは一旦置いておきます)だったのと私のことをたくさん知っていただけた嬉しさで最終面談まで進み、無事内定をもらい今に至ります。
前々から北海道で就職したいと思っていたので、それが叶ったことも自分が理想としていた働く環境の会社に見つけていただけたことも全て運とタイミングが合わさった奇跡だと思っています。
あと数日焦り始めるのが遅かったら、もし友人の就活の話を聞いていなかったら...きっと今頃フリーターか自分の希望していないような会社に泣く泣く入っていたかもしれません。
私を見つけていただいてありがとうございました!本当に特大感謝です。
そしていつも優しく接してくださる先輩の皆さんも本当にありがとうございます!おかげさまで楽しく出社できております。
プライベートについて
ここまで図らずも少し真面目な内容になってしまったので、ここからは私のプライベートについてご紹介しますね。
趣味はざっと挙げるならば野球観戦、バレー観戦、YouTube鑑賞といったところでしょうか。
この中で何が一番好きと言われたら間違いなく野球観戦を選びます。
私は生粋のファイターズファンで、さっきファンクラブのマイページ見たらファンクラブ歴16年目って書いてありました。私は家族からのファイターズ英才教育を受けて育ちましたので、幼稚園の頃から現地観戦やサイン会などに連れて行ってもらっていました。
小学3年生から中学2年生までは習い事としてファイターズダンスアカデミーに通って球場で発表会したり、とにかく私の人生から最も欠かせないのが野球(ファイターズ)と言っても過言ではないくらい大好きです。
実家にある自分の部屋の中は天井以外の壁が全部野球のポスターやユニフォームで埋め尽くされ、棚にも飾り散らかしています。
趣味に没頭すると収集癖が止まらず、気づけばとんでもないことに…という過ちをもう十数年繰り返しているので恐らく直す気がないんだと思います。笑
今の悩みは毎年推しの選手が増えていることです、本当に収拾つかなくなってきました。もはや面白くなってきました。
今年は卒業して帰国した後〜入社までの約1ヶ月の間に気づけば5回エスコンに行っていました。やっぱり現地観戦が一番楽しいです。
ちなみに自分は本当に運動ができない人間なので、野球もバレーも見る専です。
YouTubeは好きなアーティストのステージ、お笑い芸人のチャンネル、YouTuberのチャンネルなど結構色んなジャンルを見る方です。一人暮らしを始めて、テレビでYouTubeが見れるようになったのが嬉しくて毎日見ています。
小学生の頃からYouTubeヘビーユーザーなので、見るチャンネルは時期によって全然違いますが欠かせないツールです。
あとは占いとかMBTIとか大好きで、時たま抜けてるところがあるっていう特徴があります。
小さい頃から朝の12星座占いの結果で1日のテンション決まるくらいちゃんと見て信じるタイプです(今も順位は結構気にして見ちゃいます)。
小学生の頃は相性占いや血液型占いの本をよく読んでました。
とにかくおまじないや占いは実践するに限ると思って生きてました。
最近(少し前…?)ではMBTIというものも流行り始めて、私も何回も診断しました。ちなみに誰も興味ないとは思いますが私はINFJ(提唱者)です。
興味ない話してすみません。
時たま抜けてるっていうのは、いくつかエピソードがあるんです。
まずは中学2年生でやらかした『リュック持たずに登校事件』
読んで字の如くです、中2にもなって家にリュック置きっぱなしで学校行きました。
そして数回やらかしてるのが、メガネかけたまま『メガネどこ?』って聞くヤツ。本当に恥ずかしい。
他には部活中に短パン前後逆だったり、スマホ持ったまま『スマホどこ?』もありますね。
探しているものを手に持ちながら探し回ることが多いので自分でもなんとかしてほしいです。未来の自分に期待してます。
あとは冒頭にも軽く書きましたがとにかく声がデカいです。
学生時代に『人間スピーカー』ってあだ名ついてました。優しい子は声がよく通るんだよって言ってくれましたが多分声量自体に問題があるんだと思います。
学校の端から端まで声聞こえたって言われたこともあります。流石にそれは嘘だと信じたいです。
野球の現地応援で培われたんだろうな〜っていう気持ちで毎日声量バグらせながら生きています。
だいたい私のプライベートはこんな感じです。
台湾でもこんな感じで生きてましたがなんとかなりました。
さいごに
ここまで長いこと私とは何者か紹介させていただきましたが、果たしてここまで読んでくださった方が何名いらっしゃるか…笑
ここまで読んでくださったあなた、本当にありがとうございます!
これを読んで私のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。
私はとにかく自分のことを話すのが大好きな人間で(大前提:人見知り)、文章を書くのも好きなのでプロフィール執筆はたのしかったです。
まだ入社して2週間の人間なのでほぼ大学生みたいなもんですが、これから少しずつ社会人らしくなれるように頑張ります!
ぜひnoteのフォローと『スキ』ボタンのプッシュお願いします!
時々また登場すると思うので、その際はまた読んでいただけたら嬉しいです!