「暗黙知を形式知に“してもらう”」ナレッジマネジメント論
こんにちは、MIMIGURIの知識創造室リサーチャーの西村歩です。MIMIGURIのアドベントカレンダー、Day10を担当いたします。
今回の投稿内容は2023年6月25日に開催された日本実務教育学会の研究発表大会で発表した『組織内知識創造を支える「ナレッジカタリスト」の人材要件定義』を、より一般向けの記事として一部だけリライトしてみたものです。学会でこの研究について発表してから約1年半が経過し、語り直しても良い時期ではないかと感じたので筆を執りました。
ナレシェアやってますか?
突然ですが、みなさんは社内で「ナレシェア」を行っていますか?つまり自分の持っている経験から生まれるノウハウやハウツーを社内に伝承し、皆が学べるようにすることです。最近は数多くのナレシェアのプラットフォームサービスも見られています。
なぜナレシェアが重要かというと、社内で知識を創造して、その知識を参照・活用できることが組織パフォーマンスの向上に繋がると考えられてきたからです。これについては1990年代ごろより「ナレッジマネジメント(Knowledge Management)」と呼ばれ、経営学や情報学などの分野で学問的にも議論されてきました。
なお本記事におけるナレッジマネジメントの定義は、「知識資産を集結・共有し、技術や文化を活用して価値創造や効率向上を図る組織的取り組み」とします。
ナレッジマネジメントは幻滅されてきた?
野中郁次郎・竹内弘高の『知識創造企業』(野中・竹内、1996)や、野中郁次郎・紺野登の『知識経営のすすめ: ナレッジマネジメントとその時代』(野中・紺野、1999)などの著者も充実し、90年代以降は企業実務にもナレッジマネジメントが浸透していきました。
欧米企業を中心にCKO(Chief Knowledge Officer:最高知識責任者)が設置されたり、ナレッジマネジメントをリードする専門部門が設置されるようになっていきました。私自身が所属するMIMIGURIの知識創造室も社内のナレッジマネジメントを促進するための部門です。
とはいえ、長く社会人をされている方から見たら「なんで今更ナレッジマネジメント?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。実のところ相当な手垢がついてきた概念で、ブームはとうの昔に過ぎ去っています。というより「幻滅」されてきた歴史を持つ概念でもあります。
なぜ「幻滅」されてきた背景があるというと、とにかく取り組むのが難しいからです。1997年に“Working Knowledge: How Organizations Manage What They Know”を執筆し、「ナレッジマネジメントの父」とも呼ばれている、Thomas H. Davenportも、2015年のウォールストリートジャーナルにおけるコラムでは、次のように語っているほどです。
読者の皆さんも、自分の会社で「ナレッジマネジメント」を導入する担当者になることを想定してみてください。同僚は自分の持っている知識をシェアしてくれるでしょうか。もちろん仕事が大好きで、勉強家な同僚は知識のやり取りに応じてくれるでしょう。しかし、全てがそういう訳ではなく、温度差が生じるのが常ではないでしょうか。
Guptara(1999)では、企業におけるナレッジマネジメントの失敗要因を「時間(のなさ)」「組織のパワー」「組織構造」「人事評価制度」「組織文化」の5つの要因に分けて論じています。すなわちナレッジマネジメントが効果的に機能するには、ナレッジツールを入れればどうにかなる話ではなく、組織文化をまるごと変えるような、途方もない努力が必要になります。
さらにO’Leary(2016)は、“Is knowledge management dead (or dying)?”と題された論考を投稿し、2020年にはNakash&Bouhnik(2020)により、ナレッジマネジメントに関する「死」や「衰退」といった言説にどのような意味が内包しているのかを分析する興味深い研究が見られています。
これらの論考では、ソーシャル メディア、クラウドソーシング、IBM Watsonに見られるようなコグニティブコンピューティングなどの新技術によって、ナレッジマネジメントは息を吹き返すのではないかと捉えるような、ナレッジマネジメントの未来を見据えた希望が論じられていますが(O’Leary, 2016)、とはいえナレッジマネジメントの悲観的なムードが業界内で蔓延していない限りは、こうした「悲観論」をテーマとする研究も生まれなかったといえるでしょう。
ナレッジマネジメントは現代組織では普遍的に重要である理由
ここまで見てきたように、世界的には「幻滅」ムードがあるナレッジマネジメントですが、私は少なくとも積極的に価値を感じてナレッジマネジメントを研究テーマに選んでいます。それは章題に見られているように「ナレッジマネジメントは現代組織で普遍的に重要である」と仮説を持っているからです。
未来学者のアルビン・トフラーは、1980年に著書“The Third Wave”の中で、農業革命や産業革命に続く情報革命を「第三の波」と呼び、情報の流通が加速化することで、社会制度や価値観、富の生み出し方がまでもが大きく変化することを予言しました(Toffler, 1980)。そして現在、情報化が進む社会下では、人間が情報や知識を生み出す力の重要性が増しています。
たとえば、MIMIGURIのようなコンサルティング業では、独自の知識や情報を持つことが、独自性のあるソリューション提供の鍵となります。また、製造業でも、新製品の開発や流通に必要な知識の量や質が、業績に直結すると考えられます。民間企業が研究機関を擁したり、産学連携プロジェクトなどで大学と協働したり、QCサークル活動のような社員同士の知識創造活動に取り組まれているのも、それらで生まれる「知識」が企業財になるからです。
さらに、知識や情報を外部に発信することで得られる「評判」も、中長期的には利益につながります。企業は、情報智業として自社の知識や情報をイベント、Webサイト、動画コンテンツなどを通じて積極的に発信する戦略を取っています。情報社会学者の公文俊平らは、情報社会では「智民(情報智業)」たちが、知を社会全体的に分け合っていく「智のゲーム(評判ゲーム)」が展開されていくことを論じました(公文・山内、2023;公文、2006)。そして社会全体的に知を分け与えていくことで得られる「評判」は、その企業が消費者などから選ばれる理由として寄与することになるとも考えられます。すなわち現代社会において「情報・知識」は、情報智業を営む企業や組織にとって、価値を生み出す原資に該当すると言えます。
こうした時代背景を踏まえると、ナレッジマネジメントは「智のゲーム」に巻き込まれた現代組織にとって重要な経営課題であると考えられます。すなわち企業は「知識」という原資を使って機会を生み、事業を生んで、利益を生みだす傾向は、情報化の進展でより一層顕著になっているようにも感じます。
たとえ「ナレッジマネジメント」という言葉自体は以前ほど使われなくなったとしても、たとえば①熟練者が持つ属人的な知識をどのように引き出すのか、②それらを社内で共有し、学習可能な形にするのか、③蓄えた「知識」を原資としてどのように経済的・社会的価値を生み出すかといったテーマは、今後も企業内で問われ続けることになるでしょう。
既存のナレッジマネジメントの致命的な欠陥
ただ、そのような「智のゲーム」の渦中であろうとも、ゲームには得意な人と苦手な人が発生するように、適応可能な人とそうではない人が出てきてしまいます。ナレッジマネジメントの場合は「知識を創造・共有することが得意な人/そうではない人」という差が生じることが勿体無いと感じていました。
従来のナレッジマネジメントの諸理論は、いかに組織内の個々人が保有する暗黙知を形式知へ、形式知を暗黙知へ、と相互変換して社内に共有するかという点に集中して考えられてきました。コロナ禍以降のオンラインコミュニケーションが増加した職場環境を例にとるなら、日々の経験から得られた知識(ナレッジ・ノウハウ)を社内コミュニケーションツールや、データベースを整備し、格納していくような方法がより一般的となっています。
ただ、このやり方に関しては致命的な欠点があると考えます。第一に自己の内省をもとに知識をまとめることが得意な人とそうじゃない人が存在することです。そもそも自らの経験から教訓を得て、学習することは非常に難しいことです。自分の行動や思考を客観的に振り返ることが苦手だったり、自分の失敗や短所に向き合うことへの心理的な抵抗がある、個別具体的な経験を抽象化された教訓に落とし込むことが得意ではないという方もいらっしゃいます。
第二に、人間は必ずしも言語優位であるとは限らないという点です。たとえばブログをすらすら書ける人と、一回一回の記事の執筆に産みの苦しみを感じられている人がいるように、「知識」を言語共有可能なものだけに限定してしまうと、言葉にすることが不利な人が出てきてしまいます。こうした状況では、知識共有が得意な一部の人だけに偏重してしまい、その言語優位な方ばかりが組織で評価されてしまうという状態になってしまいます。そればかりでなく、他の人々が持つ暗黙知や非言語的なスキルが継承されなくなってしまうリスクを伴います。
周りに自分の知を代わりに語ってもらうナレッジマネジメント
MIMIGURIにおいても、非常に優れたプロジェクトマネジメントの能力を持ちながら、その技術を言語化して他者に伝えることに苦手意識を持つ方がいらっしゃいました。それが、プロジェクトマネージャー(PM)として活躍する根本さんです。
根本さんは、社内外の多くのプロジェクトでPMを務め、複数人と協働しながら安定的にプロジェクトを進行させるプロフェッショナルです。その実績やスキルは周囲から高く評価されていて、社内の他のPMメンバーからも慕われている存在でありますが、自身の手法やノウハウを言葉で表現し、他者に伝えることに対しては「暗黙知の塊」とも言われるほどに苦手意識を抱かれていました。
根本さんの暗黙知を形式知に変換し、全員が学習可能になれば、より一層MIMIGURIのプロジェクトマネジメントのケイパビリティが向上するのではないかと考え、同僚の瀧さんと共に根本さんに質問責めするという「暗黙知ハンティング」にも取り組みました。しかし、なかなか根本さんはあまりにも現場で高度かつ複雑な情報処理をしており、PMとしての状況依存的な判断の内実を体系的にまとめ直して語りきることは難しそうでした。
自分はこの根本さんの暗黙知ハンティングの経験を通じて、「誰しも知識を創造して共有することは簡単ではない」ということを知ったわけですが、ではその逆に知識を創造し、共有することを普段より実践している人はどのような心がけや習慣を持っているのかが知りたくなり、まずは社内で「ナレッジシェアに積極的な人(ナレッジカタリストと呼んだ)」を5人までリストアップしてもらうアンケートを実施してみました。
このアンケートは前述の日本実務教育学会で発表するための研究の一環で行ったものです。設問は「あなたにとって、MIMIGURI社内で知識をよく共有・提供してくれるなと思いあたる人物を、5名以内で記入してください」というものであり、該当者の名前とその理由が記述できるものです。20名の方にご協力いただきました。
アンケートを集計すると、もちろんランキングの上位は言語化やモデル化などを普段より実践している人が多くを占めていましたが、不思議なことに、「暗黙知の塊」と呼ばれていた根本さんに、複数の方からの票が入っていたのです。
これは一体どういうことかと思い、結果を解釈するために根本さんに関する投稿を社内Slackで遡って読み込んでみると、「根本さん自身ではなく、根本さんを慕っている他のPMのみなさんが根本さんのグッドプラクティスを紹介する投稿」が見られていることに気づきました。
つまり根本さんは自分自身のPMナレッジを言語化するというよりは、他のメンバーに自分の行動を背中で見せ、言語化を得意とする他のメンバーが代わりに形式知化するという独特のムーブが起きていました。その背景には、当時根本さんはMIMIGURIのプロジェクトマネジメント部門である「Metro」のマネージャ―であり、Metro内でのコミュニケーションが活発だったことが挙げられます(現在のMIMIGURIは職能別組織ではありません)。
これらの一連の調査は、自分の先入観を大きく破るものでした。つまり「自分自身で暗黙知を形式知化する」という行為だけでなく「(周りの人が)つい観察したくなってしまう、形式知化したくなってしまう」という知識創造・共有のあり方が存在するという気づきが得られました。つまり根本さん自身は何も書き残さないものの、弟子たちがそれを語り継ぎ、書物にまとめた、イエス・キリストと十二使徒の関係、ソクラテスとプラトンの関係にに近いのかもしれません(と同僚が言ってました)。
これらの学びを踏まえ、決して一般化できるほどの頑健性がある訳ではないですが、知識創造や知識共有に積極的に取り組んでいる「ナレッジカタリスト」を3パターンにまとめて仮説として提示してみました(他にもナレッジカタリストの人材要件定義なども行いました)。
以下図におけるAは根本さんのような自分の背中を見せるタイプ、Cは自分で形式知を形成できる人が想定されますが、比較的MIMIGURIでは、一緒にオンラインホワイトボードであるMiroの画面を操作し、生煮えのフレームワークを一緒に作っていく場面が見られる点では、Bの「対話の中で知識を共創していく型」が多数派かなと感じます。いずれにしても、知識創造・知識共有には色々なタイプが存在することを累計化して捉えていくきっかけになりました。
「幻滅」を越えるために
さて、ナレッジマネジメントが「幻滅」される要因は数多く存在しますが、私自身が考えるナレッジマネジメントのバッドパターンは、ナレッジマネジメントの方法を画一化し、現場に押し付けてしまうことであると考えます。
つまり「知識=言語で共有可能なもの」に限定したり、またデータベースに投稿された記事数に報酬制度を紐づけるというような運用を行うと、いくらナレッジシェアに参画するインセンティブ設計をしても、方法がなかなか合わない人は、知識創造・共有に非協力的になってドロップアウトしてしまうことも考えられます。この「方法の違いによるドロップアウト」はなかなか見逃されがちなポイントです。
現在はジョブ型雇用や中途採用が主流化し、多様な職能やバックグラウンドを持った他者と仕事をする機会が増えていきました。職能の違い、前職の違い、経験の違いなどに起因して、仕事やコミュニケーションのスタンスにも差異が生じることも。それらの多様性下でナレッジマネジメントを推進するうえでも気を付けたいことは、まさしく「多様な知識創造・知識共有のスタイル」を想定しておくことではないでしょうか。
もっと発展的な議論としては、多様な知識創造・共有のスタイルを持ったメンバー同士が「知識を共創する」関係性づくりが大切だと考えます。
自分が語らなくとも、他の人がつい言語化したくなってしまう。いつも自分で知識をつくっていない人でも、恩返しのつもりでたまには他者を観察して知識を生みたくなる。そのような「自分だけではない、他者の手を借りた知識創造・共有」が活性化しているからこそ、「背中を見せる」という行為も十分な知識創造・共有のプロセスに内包できています。
例えば前述のケースでは、根本さんはAタイプでしたが、周りのPMメンバーがBタイプやCタイプのメンバーで構成されているようでした。これにより、根本さん自身の知識や経験が、他者の手も借りながら多角的に検討されることで形式知化が促進されていったと考えられます。仮にこれが全員が同じタイプだった場合、形式知化がここまで進まなかったのではないでしょうか。
A,B,Cタイプの中で、特にAタイプは自らの内に知識を貯めがちです。こうした属人性から解放できるのは、形式知化を得意とするのはもちろん、Aタイプの人間に対して「心から推していて、Aが持つ暗黙知を解き明かしたいと思う他者」の存在が鍵となります。では、そのような他者に関心を持ち、協働的に知識創造・知識共有に取り組む者に溢れた組織とはどのようにつくることができるのかが、次に向かうべき問いになるはずです。
お知らせ:冒険する組織のつくりかた
MIMIGURIでは、本日12月10日(火)に、弊社Co-CEOの安斎勇樹による新著『冒険する組織のつくりかた「軍事的世界観」を抜け出す5つの思考法』に関連した無料ウェビナーを開催します。実は本著にもナレッジマネジメントに関する章が含まれ、多様な知識創造・共有のスタイルを持ったメンバー同士が「知識を共創する」関係づくりのヒントが含まれています。
ウェビナーではその根本となる考え方が語られる予定ですので、ぜひともご参加ください。
明日のMIMIGURI アドベントカレンダー
明日(12月11日)のアドベントカレンダーの担当は、「熊さん」こと熊本ひとみさんです。ここまでMIMIGURIのアドベントカレンダーを追っかけていただけた方は、Day2の塙さんの記事の送り先の方です。個人的にはどんなアンサーが帰ってくるのかもちょっと楽しみにしています。
参考文献
西村歩、瀧知惠美(2023)「組織内知識創造を支える『ナレッジカタリスト』の人材要件定義」日本実務教育学会研究発表大会。
日経連出版部(編)(2001)『ナレッジマネジメント事例集―知を活かす10の経営システム』日本経団連出版。
アルビン・トフラー(1982)『第三の波』中公文庫。
野中郁次郎・紺野登(1999)『知識経営のすすめ:ナレッジマネジメントとその時代』ちくま新書。
公文俊平(2006)「情報社会学の諸側面」『情報社会学会誌』1巻1号、3-14頁。
公文俊平、山内康英(2023)「情報社会の智本主義」『情報社会学会誌』18巻1号、5-17頁。
Davenport, T., Prusak, R.(梅本勝博訳)(2000)『ワーキング・ナレッジ―「知」を活かす経営』生産性出版。
ISO(2018)「ISO 30401:2018 知識マネジメントシステム」。
Nonaka, I., & Takeuchi, H.(2007)"The Knowledge-Creating Company," Harvard Business Review, 85(7/8), 162.
(野中郁次郎・竹内弘高著、梅本勝博訳(1996)『知識創造企業』東洋経済新報社)。Botokin, J.(1999)SMART BUSINESS: How Knowledge Communities Can Revolutionize Your Company.
Guptara, P.(1999)"Why Knowledge Management Fails," Knowledge Management Review, 9, 26-29.
O'Leary, D. E.(2016)"Is Knowledge Management Dead (or Dying)?" Journal of Decision Systems, 25(sup1), 512–526.
Nakash, M., & Bouhnik, D.(2021)"Knowledge Management Is Not Dead. It Has Changed Its Appearance. And It Will Continue to Change," Knowledge and Process Management, 28(1), 29–39.
Davenport, T.(2015)"Whatever Happened to Knowledge Management?" The Wall Street Journal, January 24, CIO Report.