絶望と孤独感から得たこと
ツラいコトを抱えて生きている方は多くいる。いろんなハンディを乗り越え、前に生きようとされている姿は、多々感銘を受け本当に尊敬の念を抱く。
自分にそんな強さは無い。
「強くあれ、模範たれ」
をトラウマに生きてきた。
いい歳して情け無いが、
いつも愛情に飢えてたし甘えたいと思って来た。
そんな本心を隠し平気なフリをして生きて来た。
だが、
お前は大丈夫なんだろ⁉︎
を演じ続けると、
長年信頼していた教師からハラスメントを受け続けて来た女の子のように、
会社にも信頼した人間や親族にさえも、
ある日突然現実を突きつけられる。
隠され
取られ
騙され
売られ
想像もしなかった扱いや冤罪に至るまで..
自分の甘さへの失望と氷の海に沈められるような絶望感に、逃げ場を無くし思考も止まる。
努力や成果だけでは通用しない、変わり果てた組織や人間心理に打ちのめされ、触れてはならない領域に触れてしまうと潰される。身を持って体感した
その後酒に溺れ涙も枯れ怒りすら果て、
無気力と耐えようの無い孤独感に襲われ
人間不信と現状逃避が始まる。
その時に自傷行為や薬に走ってしまう人の気持ちが、痛いほど解った。人間を善悪なんかでは語り尽くせない。
人生演じ続けて来た僅かな耐性と、組織的立場もあり何とか立ち直ろうとしたが、自分は都会に居場所が見出せなくなり、全ての環境と家までも捨てて、地方で0からやり直す事を決めた。
そんな二度と経験したくない絶望感からようやく歩み始めた矢先、三度同じ経験に見舞われる。また何もかんも失った..
何度か胃に穴が空き狭心症に襲われ、帯状疱疹が止まらず意識が幾度と朦朧とし、もう気力体力ダメだ..いよいよと思い始めた時、前とは違う孤独感の意味にふと気付いた。アデルの声に浸りながら..
自分の内面と何故そうなったのかを冷静に考えてみるようになり、日常目を向けていなかった事に少し気づけるようになった。。
ホンのちょっとした景色や生き物、家の中のモノ、鏡に映る自分の顔、そして強く生き続ける人たちの姿。フラッシュバックみたいな感じだった。
華やかな東京暮らしや社長室生活から、六畳一間の裸電球へ。週末はコインランドリーで洗濯しながら本読んで、バイクで河辺を流す。TVも観ずに静かに物思いに耽ける.. 読んだ事も無かったセラピーやヒーリングミュージックを聴く。
独りなのだけど、自分を俯瞰して少しだけ安堵が芽生えて来た。足下の当たり前にこそ幸せがあるのだと、
そのどん底から2年以上経ったが、
今は少しだけ公私前に進み、仕事に没頭出来る機会に恵まれた。関係者もかなり離れた年配ばかりで、以前のような責任を背負うプレッシャーは、あまり感じなくなった。
未だにトラウマは克服出来ていないが、
喧騒から離れ心地良さを優先する事で、自分らしさは見出せるようになって来ている。
コロナで生活不安は当然あるにしろ、
絶望を生まない環境と関わり方をしながら、今出来る事を続けている。物書きも増えた。
多勢に無勢の価値を生まない奪い合いや、知見や育み無き事には関わりたく無い。思想のない足し引き算的な現代主義も性に合わない。
日常に感謝して、ケ・セラ・セラじゃないけど、もうあの苦しみには戻りたくない。。