見出し画像

自分との付き合い


自分のことって意外にわからないものです。
表面に見えている自分や、うきうきしたときに出てくる自分像は、ほんの一部で、内包している自分はブラックホールのように無限の広がりがあり、それが知らず知らずのうちに表面ににじみ出ていることもあります。

自粛生活でほとんど人に会わない生活をしていて、自分の毒にやられそうになったとき、思い出すのが村上春樹さんの「走ることについて語るときに僕の語ること 」です。

村上さんは、他のエッセイやインタビューにも書かれていますが、創作のために魑魅魍魎とした集合意識のようなところに降りていくと、その世界から帰ってこれなくなる危険がある、それを乗り越えるためには強靭な肉体が必要でそのために走っている、という考えには私も共感します。

それで、私の場合はじっと閉じこもっていると、なんだかモヤモヤしてきて頭の中のおしゃべりに侵食され、やばい感じになります。いろいろと溜めやすい体質なんでしょうか。
やばいと思ったら、散歩したり掃除や料理をして、頭を空っぽにするようにすると、すっきりしてくるので、視点や行動を変えるって大切だなーと思います。

また、私の場合、奥深くの本当の私、みたいのを探し求めると、思考が勝手にいろいろな寄り道をさせ、自己評価がめちゃめちゃ低いいじけ虫や自己啓発に飛びつきそうなキラキラの私に行きついたりします、これは、両方とも私が求めているものではなく、その罠?にひっかかると感情が突き動かされてどこにも行けず、疲れます。。

先日、仕事のことでがきっかけで不安な気持ちになり、キネシオロジーとタイムラインセラピーを合わせたセッションを受けてきました。
時間をさかのぼって記憶を見ていくのですが、今回は逆子で生まれてきた私が出てきました。事実、私は逆子でそのまま足から出て問題なく産まれてきたのです。その時の記憶は、母を含め、周りの大人がなんとか頭から産まれてくるように焦っているのだけど、赤ちゃんの私自身は大丈夫なんだから、騒がないで!と思っているのです。その時、私は周りが思うほど心配な状態じゃないのに、周りに動揺されるのが不快だったようです。
あーーと思いました。感覚的にとっても納得したのです。大丈夫なのに、周りに動揺されれるのが嫌だという気分。。それって私のベースにある感覚なのです。

それで、セラピストさんに言われたのが、「動揺する周りの人々も動揺しない私もどっちも正しい」ということ。そこをどのように統合していくかが私の個性であり、課題なんだな、と思いました。

おそらく、ですが、人は生きているうちにこのような小さな感覚に蓋をして忘れたり無視していることが沢山あり、それを追体験して認めてあげることが癒しにつながるんじゃないかな、と思うのです。
また、経験するとわかるんですけど、トラウマになりそうな大きな事件より、ほんの少し自分と乖離してしまった些細なことのほうが、魂にとっては大切みたいです。

何かモヤモヤがあった時、ニュートラルな人に見てもらうのはとても効用があると思います。
自分だけで解決しようとしても時間がかかったり遠回りしてしまいそうなときは、自分にあったセラピストさんに見てもらうのは良いですよね。臨床というか、様々な人を見てきた人の経験値は信頼できると思います。



ありがとうございます!これからもお役に立てる記事を投稿していきます。