清酒の木箱とヨーヨーブーム
まもなく解体される倉庫の中。ボクは清酒の木箱を前に遠い記憶の中にいた。
それはまだ、ボクの兄がヨーヨーで【犬の散歩】とか【ブランコ】とかをやっていた頃の話だ。
70年代、日本酒需要がピークを超えてもまだ小林酒造は焼酎、味醂含め約4千石を生産していた。
そしてボクは毎日、野外にうず高く積み上げられた清酒の木箱で近所の子供達と基地や迷路を作って遊んでいた。
夕暮れ、家に戻ると兄がヨーヨーで【蕎麦(をたぐる)】とか【犬の噛みつき】など新技を次々に習得していて、ボクはそれを見るのが大いに楽しみであった。
その後、ヨーヨー世界チャンピオンとやらが来日。圧倒的な実力差を目の当たりにして、クラスの男子は全員沈黙。
唯一勝ち目があるとすれば地味技【蕎麦】の『蕎麦をすする音』くらいなものであった。
そして兄もその後、夢の大技『ループザループ』をマスターするまでに至ったが結局、渡米せず小林酒造を継ぐのであった。