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6okken「エクスペリメンタル合宿(仮)」3日目

朝10時の遅めの起床。朝ごはんがビュッフェスタイルみたいになって、にぎやかだった。一つの皿にスクランブルエッグやナポリタンやご飯が混ざってて、外国の一般家庭みたいな食事の光景になった。

朝食か昼食か分からないブランチを食べた後、唐突に始まった楽器のセッション。その場にいるみんながそれぞれ楽器を持って、アンビエントミュージックみたいなものを奏でたり、リズムを合わせて行くようなセッションをする。
途中、めちゃくちゃ盛り上がってる時に、急におじさんが部屋に入ってきて、おじさんも鍋とおたまで参戦し始めた。面白い。

それから、結婚・妊娠・出産の話を皆でやる。中々こういう話を皆でやらないから、自分自身の意見とかスタンスを通じて、見え隠れする自分の価値観に気付いたりする。たぶん、私は妊娠とか出産に対する不安感を誰かに共感してほしかったんだよね。

その後、船津胎内樹型へ。生まれ直すこととか、結婚の話を車でしながら現地に向かう。

木が倒れて重なった所に、富士山から噴火したマグマが覆って出来た場所からなのか、ドロッとしたマグマのような質感やギザギザした質感など、異なる形がいっぱいあって面白かった。

船津胎内樹型を見たあとは、皆でスーパーに買い出し。スーパーから6okkenに帰る道中、普段は会話が絶えない同乗者達の会話が止まる。なんとなく、疲れたかな?と思ったし、たぶん自分も疲れてるんだろうと思い「今日はちょっと疲れましたね」と言ってみる。

この合宿自体には、一応スケジュール的なものも設定されているのだが、それはあくまでも暫定的なもので、急に変わったり、急に音楽のセッションが始まったりする。

なんで?とかいう問題ではなく、その場でやりたくなったからやる、という簡単なことなのだ。しかし、そんな合宿の流れに少しイライラを感じてしまう自分もいた。今までは舞台にしても何にしてもタイムテーブルをしっかり決めて、その通りに動くことばっかりやってきたから、いつものような流れじゃないことに無意識に違和感を感じていたのだろう。私自身、もっと流れに身を任せるように動きたいし、感じてたいのに、無意識に感じてしまう苛立ちには、人間の習慣の怖さを感じる。

そんなことを喋っていると、ふと昨日「みんな、子どもの頃は絵を書いたり、踊ったり、歌ったりしてたのに、どうして成長するにつれて辞めちゃうのか、分からない」と合宿のメンバーの1人が発言してたことを思い出した。その時は「ふむふむ、なるほど」と思ってたぐらいだった。
一方で合宿中にメンバーが急に「踊ってみようよ」と言うことに対して、よくわからない違和感がずっとあった。
その違和感をが何なのか考えた時、私は絵を書くことが専門じゃないから描けないとか、舞台やパフォーマンスが私の専門領域だから喋れる、みたいな無意識の線引を行っているのだと気付いた。

確かに、今まで12年ぐらいクラシックバレエの教育を受けてきたのに、レッスンに行かなくなって以降、自分は踊れないって思ってた。別にバレエじゃなくても、踊ろうと思えば踊れるのに。
そんな自分に気付いた時に、「なんで皆、辞めちゃうのか分からない」って言った子の豊かさを感じた。

スーパーから6okkenに帰った後、急に胃の膨満感を感じて気分が悪くなり、一旦休憩。
合宿中の中日、疲れもそうだけど、色々気付くことや考えが蓄積してきてる様子が嬉しい。

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