英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン 2022/23 古典作品の「素顔」をあぶり出す衝撃の新制作『アイーダ』
「英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン 2022/23」、2023年1月6日からオペラ『アイーダ』が上演されている。オペラファンにはもはや説明の必要もないイタリアの巨匠ジュゼッペ・ヴェルディの名作である。当時のエジプト総督イスマーイール・パシャの依頼により制作依頼され、1871年、カイロ歌劇場で初演された。物語は古代エジプトとエチオピア舞台に繰り広げられる国家間抗争と、その間で翻弄されるアイーダ、ラダメス、アムネリスの悲劇の悲恋で、古代エジプトの宮殿や神殿といった壮麗な舞台セットや、時には本物の馬も登場する豪華な舞台演出、見応えのあるバレエ、スポーツ番組などでたびたび登場する「凱旋行進曲」といった名曲など、オペラの楽しさ、ダイナミックさが凝縮された作品だ。
しかし今回上映されるロバート・カーセン演出による新制作『アイーダ』は、こうした華麗なイメージを覆す読み替え作品。迷彩色とカーキの軍事色が重苦しく彩る舞台上では、国家間抗争真っただ中の架空の現代国家を舞台に、国家、愛国、望郷という大義名分に飲み込まれていく人々の悲劇が描かれる。幕間インタビューでカーセンが「ドラマを描き出すことに照準を当てた」と語るように、演出家が描き出したのは「アイーダ」という作品の華麗な舞台セットや装飾を取り去った時に残った、その本質の姿であり、いわば素顔の『アイーダ』といえよう。2022年10月12日、ロンドン・コベントガーデンでの上演では、鳴りやまない拍手とともに大絶賛されたという。ぜひ見ていただきたい。
■『アイーダ』という作品の核、時代の写し鏡
本作は歌詞にこそ「エジプト」「エチオピア」とはあるものの、それらの国々は架空のものとされている。むしろ物語に出てくる「国家」にはアメリカ、中国、ロシア、はたまた昔のキューバか、ともすれば日本を含む東アジアの国々のイメージが次々とよぎり、実に生々しい。舞台が重苦しい軍事色に彩られているからこそ、なおさら青や白、赤の架空の国旗が煌々と輝きを放ち、その旗のもとで銃などの武器を捧げ持ちながら神への賛歌が詠われるさまは、どこぞのカルト国家さえを連想せずにはいらないような、そんな空恐ろしさも覚える。
あの有名な「凱旋行進曲」が演奏される、ラダメス(フランチェスコ・メーリ)の凱旋、帰還のシーンもまた衝撃的だ。エジプト王(シム・インスン)とその娘である王女アムネリス(アグニエツカ・レーリス)が貴賓席の高見から謁見するなか、舞台前方に並ぶのはその、唯一華やかな色彩を放つ国旗に包まれた戦死者の棺である。それは弔いというよりは完全にプロパガンダ。迷彩服を着た男性群舞によるバレエシーンは、軍事パレードのパフォーマンスも思い起こされ、うすら寒さも感じるのだ。
しかしこの気品席に鎮座する、権力をほしいままにしているはずのアムネリスもまた、国家の大義の前では無力であり、ラダメスを救うことはできない。「最後に祈ることしかできない権力者」をこの物語でどう捉えるか……。カーセンが我々の前にさらけ出した『アイーダ』の姿は実に多面的で、照射角度によりいかようにも白黒が変化する、この世の写し鏡だ。『アイーダ』という豪華絢爛スペクタクル浪漫は、こんなにも空恐ろしい顔を持っていたのかと思わせられるのは、まさに読み替えの粋ともいえよう。
■「普遍」が「物語」となる日は来るのか…
この衝撃的な物語世界でタイトルロールを演じるのがエレナ・スティヒナ。アイーダの故国と敵国の将たるラダメスへの思いに揺れる…というよりは身を切るような痛みすら伝わり、終始物語の中心で静かに存在感を放つ。またこの重苦しい物語の中で、夢と希望を抱き、勝利と愛に向かって邁進するラダメスを演じるのがフランチェスコ・メーリ。今、最も注目される人気テノールの朗々とした歌声がまた、一抹の空々しさ、虚しさを感じさせる。
そしてやはり特筆すべきはレーリス演じるアムネリスであろう。特にクライマックスのラダメスの裁判からラストシーンの歌声は、思い出すだけでも目頭が熱くなるほどに胸を打つ。そしてパッパーノの指揮もまた、繊細な物語をリードする。
オペラをはじめ、バレエや歌曲など、古典といわれる作品が今なお演奏され愛され、語り継がれている理由にはその「普遍性」があるという。だがもし『アイーダ』が伝えている「普遍」がこの国家の恐ろしさ、国家間抗争により翻弄される悲劇であるならば、あまりに虚しい。この「普遍」がフィクションであり、物語となる日が来るよう、祈らずにはいられない。
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