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英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン2022/23 美術や文学、多様な角度で楽しめる「くるみ割り人形」の世界へ

英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン2022/23、2023年2月24日からバレエ「くるみ割り人形」を上演している。クリスマスシーズンともなると世界中で上演されるこのバレエ、日本でも取り上げていないバレエ団はないと言っていいくらいの人気演目で、バレエ団の数だけ演出があるといわれている。

そうした数ある「くるみ」のなかでも、英国ロイヤル・バレエ団のピーター・ライト版「くるみ割り人形」は間違いなくおすすめのプロダクション。1984年の初演から約40年、500回に及ぶ上演回数を重ねる、バレエ団屈指の人気だ。E.T.A.ホフマンの原作『くるみ割り人形とねずみの王様』のテイストも盛り込んだ物語はきめ細やかに練り上げられ、破綻なくドラマティック。セットや衣装、色彩もゴージャスで品があり、そうしたなかでバレエ団はもちろんのこと、スクールの生徒たちも舞台を盛り上げ、文字通り魔法の世界が繰り広げてゆく。

さらに今回シネマで上演されている「くるみ」は、主演の金平糖の精に金子扶生、物語を紡ぐクララ役には前田紗江が配されている。さらにドロッセルマイヤー(ベネット・ガードサイト)のアシスタントを中尾太亮が務めるなど、日本人ダンサーの活躍にも注目だ。(文章中敬称略)

【物語】
ドロッセルマイヤー手品師で発明。彼が発明したネズミ捕りの罠の復讐のために、呪いをかけられくるみ割り人形の姿に変えられてしまった甥、ハンス・ピーターを元の姿に戻すためには、くるみ割り人形がねずみの王様を倒し、彼を愛してくれる娘が現れなければならない。シュタルバウム家のクリスマス・パーティを訪れたドロッセルマイヤーは、この家の娘であり、自身が名付け親でもあるクララにくるみ割り人形を贈る。真夜中、クララはドロッセルマイヤーの魔法により夢の世界に誘われ、ねずみの王様とくるみ割り人形の戦いを目撃。クララの機転で窮地を救われたくるみ割り人形は魔法が解け、ハンス・ピーターの姿に戻り、2人は雪の国へ、そしてお菓子の国へと旅をし、金平糖の精や王子に出会い、そこで幸せなひと時を過ごす。夢から醒めたクララは町中で、ふと見覚えのある若者とすれ違う。そしてドロッセルマイヤーの部屋に、ハンス・ピーターが戻ってきた――。


© 2015 ROH. Photograph by Tristram Kenton


■原作をよりファンタジックに

マリウス・プティパが「くるみ割り人形」の台本の元とした『くるみ割り人形とねずみの王様』は、ドイツの怪奇小説作家 E.T.A. ホフマン(1776年-1822年)の作。これをフランス語に翻訳したのがフランスの有名な小説家アレクサンドル・デュマ父(ペール)とアレクサンドル・デュマ息子(フィス)。最初に息子がこの作品に興味を持ち翻訳を始めたところ、父が面白がって割り込んできたという逸話があるのだが、それはともかく、一説によるとフランス人のプティパが台本制作のために読んだのは、このデュマ父子によるフランス語の翻訳だったのではないかと言われている。

デュマ父子による『くるみ割り人形とネズミの王様』。ドロッセルマイヤーがフリッツと、くるみ割り人形を手にしたマリーを見守る
©Gallica-BnF

ホフマンの原作では、主人公の名前はマリー。ドロッセルマイヤーのネズミ捕りの罠の呪いが甥に跳ね返り、呪いを解くには少女の愛情が必要だという顛末はほぼほぼ同様だが、お菓子の国にいるのは意地悪な女王で、優しく気高い金平糖の女王と王子は登場しない。その代わり夢から覚め、あの世界は現実にあったのだと信じるマリーを、美しい少年となった甥が迎えに来て、2人は永遠にお菓子の国で幸せに暮らした、という顛末になっている。

しかし1892年にマリインスキー劇場で初演された「くるみ割り人形」は、ドロッセルマイヤーの甥は登場せず、くるみ割り人形は単に人形なのか、ドロッセルマイヤーとどう関係があるのかなど、そうした関係性は不明。夢落ちの物語となっており、ドロッセルマイヤーの存在自体も途中で消えてしまうこともあるなど、ストーリーだけを見ると曖昧なのだが、舞台や踊りの美しさや、なによりチャイコフスキーの雄弁な音楽に助けられてもいるのだろう、最も人気のある古典バレエとして今に伝えられているのである。

© 2015 ROH. Photograph by Tristram Kenton

英国ロイヤル・バレエのピーター・ライト版は、ことに物語のつじつまの合わない部分を原作からしっかり補填し、さらに原作の持つ永遠性を現実感のある未来として描き出すなど、破綻なくまとめ上げている。そこにチャイコフスキーの切ない夢を凝縮したような、甘くドラマティックな音楽を重ね合わせ、また演じ、踊るのは演劇的表現性を持ち味とする英国ロイヤル・バレエのダンサー達なのである。「見事なのは当然」をさらに上回る、そんな夢の世界が、繰り広げられるのである。

© 2015 ROH. Photograph by Tristram Kenton

■金子&前田が紡ぐ物語世界

英国ロイヤル・バレエ団にとっても「くるみ割り人形」は長年上演回数を重ねてきている、愛着のある作品。幕間のインタビューで金子が「踊るほどに新しい発見がある」というように、何度踊っても、ダンサーひとりひとりの力や思うところなどによって舞台は常に変化するし、だからこそ観客にとっても、同じ舞台は2つとしてないのである。

© 2015 ROH. Photograph by Tristram Kenton

またこの「くるみ割り人形」は主演の金平糖の精と王子はプリンシパルなど主役級ダンサーが、クララとハンス・ピーターは次代の若手というポジションといえる。そこに今回配役された前田はのびやかで、踊りも大きく日差しの中で泳ぐように揺れる長い手足がとても雄弁。ハンス・ピーター役のシセンズものびやかでテクニックもさることながら、その表現力も好感が持てる。期待の英国人ダンサーだ。

金子はこれまでの日本人ダンサーとは違うゴージャス感が魅力で、金平糖は気品あふれていて、立ち姿だけでため息が出るほど。王子のブレイスウェル共々、きらめき感にみちたグラン・パ・ド・ドゥは、若い2人の未来を暗示するようでもあり、すべてを幸福感で包み込むのだ。

© 2015 ROH. Photograph by Tristram Kenton

■舞台に集約される総合芸術の世界

バーン・ジョーンズやロセッティの世界がよぎる舞台の色彩も英国らしい。クララとハンス・ピーターを誘う役はドロッセルマイヤーであはるのだが、ドロッセルマイヤーが作り、クリスマスツリーのてっぺんに飾られた天使も随所で物語に登場し、マジカルな味わいを放つ。天使の色彩もヨーロッパの美術館でよく見かける、特にルネサンス前の聖人画のそれで、ヨーロッパ美術の伝統も感じられるのが面白い。踊りやダンサーに注目が集まりがちなバレエではあるが、文学や美術も含めた総合芸術であるなと、改めて感じさせられるのである。バレエが多角的に楽しめる理由は、ここにある。

英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン2022/23
「くるみ割り人形」

■振付:ピーター・ライト
■原振付:レフ・イワーノフ
■音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
■美術:ジュリア・トレヴェリャン・オーマン
■原台本:マリウス・プティパ(「くるみ割り人形とねずみの王様」 E.T.A. ホフマンに基づく)
■プロダクションとシナリオ:ピーター ・ライト
■ステージング:クリストファー・カー、ギャリー・エイヴィス
■指揮:バリー・ワーズワース
■演奏:ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団
■出演
ドロッセルマイヤー:ベネット・ガートサイド
クララ:前田紗江
ハンス・ピーター/くるみ割り人形:ジョセフ・シセンズ
金平糖の精:金子扶生
王子:ウィリアム・ブレイスウェル
ドロッセルマイヤーのアシスタント:中尾太亮
シュタルバウム博士:ギャリー・エイヴィス
クララのパートナー:ジャコモ・ロヴェロ
キャプテン:テオ・ドゥブレイル
アルルカン:レオ・ディクソン
コロンビーヌ:ミカ・ブラッドベリ
兵士:ジョンヒュク・ジュン
ヴィヴァンデール;レティシア・ディアス
ねずみの王様:デヴィッド・ドネリー
公式サイト
https://news.eigafan.com/roh-test/movie/?n=the_nutcracker2022


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