英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン ロイヤルバレエ屈指の名作「くるみ割り人形」で再開
コロナ禍による公演中止に伴い、休止していた「英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン」が2022年2月18日(金)から、再開。その第1作目は2021年12月に上演された「くるみ割り人形」だ。
「くるみ割り人形」という作品自体は1892年にマリインスキー劇場の初演以来、クリスマスシーズンを彩る風物詩として、今では世界中のバレエ団で上演されている。それぞれのカンパニーが観客を喜ばせよう、楽しんでもらおう、寒い冬の季節、家族の団らんに温もりを添えようとそれぞれに工夫を凝らして上演をしており、「カンパニーの数だけバージョンがある」とも言われるほどに、様々な演出があるのは、やはりこの作品の分かりやすさや楽しさ、親しみやすさによるものだろう。
この英国ロイヤルバレエ団が上演するピーター・ライト振付「くるみ割り人形」は1984年の初演以来、マイナーチェンジを加えながら上演回数500回を超えている、バレエ団を代表する人気作にして名作の一つだ。一貫してブレがなく筋の通った物語はもちろん、演出、美術共々、世界屈指の名作の一つと考えて間違いではないだろう。さらにその作品に命を吹き込む英国ロイヤルバレエ団のダンサーの踊りも表現力も、さすが演劇の国・英国と頷かせら、英国文化の粋を結晶ともいえる。何度見ても新しい発見があり、何度見てもほっこりしながらやさしい思いに浸れる、不朽の名作である。
■ライト版ならではのブレない物語。音楽との一体感も見事
ライト版「くるみ割り人形」の特徴の一つは、ドロッセルマイヤーの甥、ハンス・ピーターの存在。彼とクララとの触れ合いを通して、青年と少女の成長が描かれる物語となっている点が挙げられる。
そもそもバレエ「くるみ割り人形」の原作となった「くるみ割り人形とねずみの王様」(E・T・A・ホフマンの原作をもとにアレクサンドル・デュマ父子が改訂)には「ドロッセルマイヤーがねずみ捕りを仕掛けてたくさんのネズミを殺したその因果が巡り、ドロッセルマイヤーの甥が呪いをかけられくるみ割り人形にされてしまった」というエピソードがある。一般的なバレエ版ではある意味存在が消えた、またはくるみ割り人形に一本化されたこの甥に、振付家のライト卿はハンス・ピーターという名を与え、「人形師・ドロッセルマイヤーは、くるみ割り人形にされてしまった甥の呪いを解くため、彼に心からの愛情を注いでくれる少女を探す」という、いわば物語の命題をしっかりと提示するのである。
チャイコフスキーの「序曲」の間に、甥の肖像画を見ながら嘆き悲しみ、くるみ割り人形を大切に包んで抱きかかえ、シュタールバウム家のパーティーへと出かけていくドロッセルマイヤーのイントロ。これだけでドロッセルマイヤーがなぜ子供がたくさん訪れるパーティーに出かけていくか、何を求め、何を思うかといった、物語に続く全てが提示されている。音楽と物語の一体感がすべてここに凝縮されている、本当に見事な導入だなと、何度見ても唸るのである。
■クララとハンス・ピーター。若い二人が紡ぐ瑞々しい物語
今回のキャストはドロッセルマイヤーにクリストファー・サウンダーズ、クララはイザベラ・ガスパリーニ、そしてハンス・ピーターは日本出身のアクリ瑠嘉だ。クララとハンス・ピーターは次代を担うフレッシュな若手がキャスティングされ、若者ならではの初々しさとダンサーの個性が物語を紡ぐ見どころの一つとなっている。
サウンダーズのドロッセルマイヤーは何としても甥を救いたい、愛情あふれる紳士。そしてガスパリ―二が演じるクララは、明るく一途な雰囲気で、非常に表情豊か。カワイイ…というより、どうしたって武骨なくるみ割り人形に、何か理屈では分からない魅力を感じ、一目で心を奪われる、その素直さもさることながら、真夜中の広間でくるみ割り人形を抱きかかえながら、一人じゃない、恐くない、力を貸してと語りかける表情が絶妙だ。
そして何より終始目を奪われたのが、アクリ瑠嘉演じるハンス・ピーターだ。呪いが解けて人間の姿に戻りクララと視線を交わす時の喜びや一瞬が永遠となるような瞬間を刻む、踊り、一つひとつの動き全てが、実に初々しく、瑞々しく、愛くるしい。このライト版「くるみ割り人形」のハンス・ピーターは本当にいとおしく愛らしいキャラクターだと見るたびに常々思うのだが、このアクリのハンス・ピーターは(日本出身というひいき目抜きにしても)出色の出来栄えではなかろうか。1幕のパ・ド・ドゥは涙が自然にあふれるし、2幕のお菓子の国でも楽しそうに踊る姿は解放感と喜びに満ち溢れ、自然と笑みがこぼれてくるのだ。
さらに若い2人を迎える金平糖の精(ヤスミン・ナグディ)と王子(セザール・コラレス)は、優しさと高貴さに満ちた輝きを放つ。若い二人の未来の写し絵を思わせる、この両プリンシパルの姿を見つめる2人の姿にもまた、目頭が熱くなる思いなのである。
このほかにも、1幕の人形の踊りで登場するヴィヴァンデールに佐々木万璃子が、ローズ・フェアリー(薔薇の精)には崔由姫が配されているのも要チェック。1幕のパーティーシーンでクララに思いを寄せる青年(スタニスラウ・ヴェグリジン)が地味ながらも非常にいい演技をしており、大人と子どもの境目にいる少年少女たちの微妙な年頃感に彩を持たせており、注目だ。
この作品、セットが大がかりである上、子役にはロイヤルバレエ団のスクールの子供たちも動員するなど、なかなか海外での引っ越し公演は難しいといわれており、映画館での上演は大スクリーンで見るまたとない機会でもある。バレエであり、一つの物語映画ともいえる「くるみ割り人形」、余韻満載の感動のラストシーン共々、時間が合えばぜひ見ていただきたい。
■上映時間:2時間37分