小説「ザ女帝」 あとがき

 この書は私が生まれて初めて書いた小説です。小説の書き方の作法も知らぬ、全くズブの素人ですから小説もどきです。たまたま別件で資料を渉猟中に斉明女帝の「征西記」を知り、この女帝に興味を覚えて、書いてみたいと思ったことがきっかけでした。でも一字一句ゆるがせに出来ない論文はムリ、不明なところを想像・憶測でつなげられる小説なら書けるのでは、と思ったような次第です。

 登場人物の四女帝が活躍したのは七世紀(飛鳥)から八世紀(天平)にかけての約百年間、名称も大王家から天皇家へ、国の組織も会社で言うなら社長が全てを仕切る中小企業から組織で動く大企業へと、羽ばたいた時代だったと思います。

 斉明女帝は兄弟間の争いを未然に防ぐために重祚するなど、家の中に君臨する母親そのものです。孫の持統女帝は夫天武天皇の大きな笠と後光の中で、生来の勝ち気で自己顕示欲の強い性格を矯めることなく生き得た稀有な女性、その教育ママぶりも現代の母親を彷彿とさせて面白いです。元明女帝は専制君主のような姑に嫁として仕えながら、若死にした夫が遺した三人の子を育て上げる心労多い人生を生きた女性と思います。また、元正女帝は高齢の母と孤児同然の甥が残る家を守るために独身を通しています。また退位後も仏教に傾倒して政務を等閑にする甥の聖武に代って、育てた私の責任とばかりに、上皇として晩年まで政務に携わりました。聖武のことを度々「我が子」と連発しながら‥。それは聖武への執着というよりも、育てた責任とばかり政務を肩代わりする、理知的で責任感が強い女性だったと思います。

 四女帝の生き方は千三百年以上を経た現代女性にも通じるもの多く、或る種の感慨を覚えます。それにしても大王家は何と近親婚の多いことか。マァ一夫多妻は人類の歴史上当然のことにしても、オジメイ婚の多さには正直驚きました。

 もう一つ、地元福岡に馴染みある地名や歴史的事物が、前半にはたくさん出て来て、楽しい驚きでした。名前は馴染みがあるけれど内容まではよく知らぬ事物が次々と解明できるのはとても楽しいことでした。磐瀬いわせの仮御所の場所は、現在不明ですが、福岡市中央区御所ケ谷を比定して書かせていただきました。

永かったコロナのお籠もりもマァ解禁です。近所の南公園の満開の桜の下で、古へを偲びましょうか。  

     令和5年春 桜のころ        筆者 識

 

 

 

 

 

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