シルクロード逍遥(西安~ウルムチ)
シルクロード逍遥(西安~カラクリ湖)
④ 碑林(ひりん)博物館(はくぶつかん)
〇碑文が林のごと立つ碑林博物館これ古の大学なりとぞ
〇幾万の漢字連ねした碑らこれ古のテキストなりとう
〇見のかぎり碑並ぶ堂の裡ひんやりとして墨香かすか
⑤ 青龍寺
〇空海が学びという青龍寺は西安郊外畑中にあり
〇玄奘が持ち帰りたる経典を収蔵せしは大雁塔なり
〇大雁塔その七層の階段の数は般若心経の字数に同じと
〇三百に近き木の階登り行き最後は至る仏足跡に
〇大慈恩寺の七層の塔の頂に立てば街並み碁盤の目のごと
〇大慈恩寺に今も修業の僧いるか作務衣や僧衣の人影見えり
⑥ 興慶公園
○玄宗が政務をとりし興慶宮いまは公園市民ら憩う
〇興慶宮の跡なりという公園の花壇に牡丹とバラ咲き盛る
〇仲麻呂の書斎なりとう記念堂に歌碑も建ちたる興慶公園(安倍仲麻呂記念堂)
〇「あまのはら・・」百人一首のこの歌を漢詩で聞くは不思議な心地
〇遣唐の留学生たる仲麻呂は唐朝に仕え秘書官に昇ると
〇望郷の思い秘めつつ仲麻呂は唐土に二十年過ごして没すと
⑦陝西省博物館
〇モノクロの写真と活字のみで知る仰昭土器に見ゆ嬉しき
〇良質の玉産すとう祈連山の白き|山脈美しきかな(蘭州)
「敦 煌」
① 敦煌
〇ようやくに夢叶いたると敦煌の空港に立つ感慨しきり
〇空港を出て町へと向かいたる道の左右の砂原はゴビ
〇オアシスの町で名高き敦煌は田舎町とう印象しきり
〇『敦煌』の映画のセット敦煌城は今も砂漠にそのまま残る
〇敦煌の目抜きの広場の傍らの太陽大酒店とうホテルに泊まる
② 莫高窟
〇唐代の寺院の跡とう莫高窟は黄土の崖に釈迦像無数
〇垂直の崖を穿ちて大小の仏を祀る窟は五百余
○垂直の黄土の崖に大仏を彫りて九層の屋根で覆えり(莫高窟)
〇窟内は奥に必ず大小の西域顔せる釈迦像座す
〇懐中電灯で照らす壁画の数々は剝落あるも色は鮮やか
〇窟内の左右の壁と天井は仏教説話の絵画で埋まる
〇十二もの窟を廻りて疲れたり土階の途中吾はよろばう
〇古(いにし)えは莫高村とう農の里いま涸れ川と窟のみ遺る
〇観光と保存に努むか莫高は五百の窟にスチール扉つける
〇垂直の黄土の崖を守らむか白楊植えて散水しきり
③ 鳴沙山
〇風吹けば砂が鳴るとう鳴沙山風なき今日は静謐の世界
〇美しき砂丘名付けて鳴沙山麓に月牙の泉がひとつ
〇晴れ渡る五月の空を稜線で画す如くに砂丘重なる
〇観光のラクダ連ねて鳴沙山へ隊商の気分しばし味わう
〇鈴つけるラクダに乗りて砂丘行く砂漠の姫になりし心地で
〇手綱持つ吾が手の下でコブ揺れる砂踏みしめて歩くラクダの
〇観光の客とガイドとラクダのみわずかに散らばる砂の世界に
④ 月牙泉
〇鳴沙山の麓に横たう月牙泉三千年も枯れるなきとう
○仲間らが砂丘に上るを待つあいだガイドと筆談国際交流
○中国の文化と歴史われは好きガイドら嫌いと笑いて返す
〇余りにも乾きし世界に喉痛み湿せるテッシュとハンカチでマスク
〇トイレなく白草の傍で用を足す使いしテッシュは砂に埋め来る
〇わがゆばり拡がりもせで吸われいく乾きし砂にその跡見えず
〇バスの出発を待つ間に土産屋ひと巡りラクダの縫いぐるみ記念に買いたり
⑤ 陽 関・ゴビ砂漠
〇かねて知る漢詩の中の陽関は此処のことかと石碑に対かう
〇「陽関趾」と刻する石碑と向かい合い唐の狼煙の台座が遺る
〇千年も乾き崩れてその半ば砂に埋もれる狼煙台跡
〇陽関を後にバスは白草の生うる砂漠をひた走り行く
〇見の限り砂と砂礫がうねりいて地平線も砂に霞める
〇ゴビタンとゴビの砂漠の違いをばこの目で確かむトルファンへの旅
〇地平線の彼方に光る湖の見ゆ消えまた見ゆるこれ蜃気楼
⑦ 夜汽車
〇土産にと買いし夜光の盃にトルファンワインを注ぎて飲めり
〇夜光盃を灯に透かし見て楽しめり漢詩を確かむ夜汽車のつれずれ
〇軟座車のトイレというにこれなるか扉開けたるも中に入れず
〇手招きする女性乗務員に誘われ清めくれたるトイレに寛ぐ
〇向かい合う寝台四つのコンパートメントで吐密とう駅を過ぐを聞きたり
『トルファン』 (1999/5)
① トルファン
〇「トルファン」と標せる駅に降り立てば寝不足の目に朝星の見ゆ
〇トルファンとウルムチ案内してくれしデリベイさんはウイグルの女性
〇案内するデリベイさんの顔と声友人に似たると驚きしきり
〇1年に降る雨わずか2㌢余トルファンの暮らし地下水道に頼ると
〇葡萄棚のアーチくぐりて入り行く西域ムードの緑州賓館
〇市松の模様にレンガ積む家はブドウを干せる小屋なりしとぞ
〇高台にブドウ干す小屋数あるもブドウの木と棚何処なりしか
〇ひと言でトルファン盆地を表すれば巨大な天然乾燥機なり
② |交河故城《こうがこじょう》
〇河二つ交わりている高台に交河城とう古城の跡あり
〇二千年も昔栄えし国の跡赤土の遺構に往古を偲ぶ
〇交河古城に立ちて辺りを見渡せば砂色の丘重なりて見ゆ
③ |高昌古城《こうしょうこじょう》
〇ロバが挽く荷馬車に相乗り高昌の栄華の跡を見廻りて行く
〇交河城を滅ぼしたるとう高昌の城も共々廃墟となりぬ
〇玄奘が説教せしとう建物は日干しレンガの壁のみ遺る
〇観光の客にまつわり西域の鈴売る子ら眼輝きて美(は)し
〇ロバ追いて小走り来たる女童の顔立ち愛し見返るほどに
〇高昌の古城の傍に村ひとつウイグルの老バス見つめおり
④ 火炎山
〇トルファンの郊外にある火炎山樹木生うなき赤き禿げ山
〇西遊記に名高き山ぞ火炎山赤富士百千集めたるごと
〇紅色の土と岩とで織りなせる山連なりて火炎山とう
〇烈日を受けて陽炎立つならば一山火炎のたつごと見ゆとう
➄ べゼクリク千仏洞
〇火炎山の麓に窟あり千仏洞とう古き寺跡
〇窟前の谷を隔てて火炎山の赤き山肌迫りくるごと
○回教徒の兵のなしたる狼藉と五体の揃う仏像座さず
○敦煌に比べて荒廃著しべゼクリクなる千仏洞は
○スタインが持ち去りしとう壁画をば削たる跡ただただ無慚
○窟下の深き処に谷川がありしか草木の生うるを見たり
〇谷川を頼りて生きる人あるか水辺に羊の草食むが見ゆ
⑤ アスターナ古墳
〇古墳群と言えるも塚は見えずしてただ灰白色の荒れ地あるのみ
〇土階を下りて墓内に入りたればガラスに覆わるミイラが一つ
○枯れ尽がれ縮みて土色帯びしまま眠れる男性は元は貴族と
○奥つ城の眠り破られ見世物にされたる貴人の心や如何に
○騒がしき観光客に囲まれて好奇の眼に晒す身哀しも
『烏魯(うる)木(む)斉(ち)』 (1999/5)
① ウルムチ
○天山の白き山なみ目の端にウルムチ河沿い高速道行く
○河挟み線路と道と高速が並びて走るウルムチに向かいて
○西域のオアシスの町ウルムチは工業盛んな近代都市なり
○塩湖見ゆその縁白き波のごと乾きし塩の塊なりと
○塩湖から切り出せしとう塩塊はブロックのごと道端に積める
○川上へ行くほど川幅拡がりて水嵩も増す砂漠の川は
②天 池
○天山の山脈深く抱かれて西王母住むとう碧き湖あり
○九十九折路を二千㍍も上り来て天池とう名の湖に出会えり
○天池へと登り行きたる道の辺にカザフの人の|包数多あり
○天池をば取り巻く岩山その間に白きボグダの峰そびえ立つ
○ボグダ峰の氷河が溶けて出来しとう天池の湖面は山影映す
○湖の傍への雲杉の林では木漏れ陽受けて根雪かがやく
➂バザール
○パスポート財布に気をつけバザールを巡りて歩くは旅の楽しみ
○大通り広場に露店の店連ね人がひしめき歩くバザール
○食料に衣類履き物絨毯に刃物もそろうバザールの中
○バザールで気に入るベスト見つけたり電卓前に値段の交渉
○西域の楽器並べる店ありてあれこれ眺める珍しきかな
○バザールで煙浴びつつ腰かけて羊の串焼き|食ぶは楽しき
あ と が き
学生時代から歴史や仏像が好きで奈良や京都の寺を巡っていた私には、その延長上の夢の世界として唐の長安やシルクロードがあった。40年を経た現在、私たちのレベルでも夢の地を簡単に訪れることができるようになり、佳い時代に生まれ合わせた自分をしみじみ幸せだと思う。西安では百聞を一見するというか、自分の知識をこの目で確かめる感動や感慨が大きく、初めて土地でありながら懐かしい感じすらした。反対にシルクロードでは、テレビや活字である程度は知っていたものの、あまりにも荒々しくて過酷、広大で茫漠としているが美しい、という経験のない世界に唯々圧倒されて、目の前に次々と展開する景色を瞼に焼き付けることが精一杯だった。活字化するに当り、短歌形式三十一文字が最も簡潔なので、使わせていただきましたが短歌ではありません。短歌として読まないで下さい。今後も同様にお願いします。(1999.5)