Dual Kaleidoscope 昇藤 3
人には相性というものがある。どれだけ心が広い人格者であっても、許容出来ない相手はいるだろうし、逆に大多数に問題ありと見做される偏屈者にも、何人かは理解者がいるものだ。
さて、母さんはどちらかと言うと、いやどちらかと言わなくても、後者側の人間だろう。その飽くなき上昇志向と闘争本能は普通の人を寄せ付けず、転職して一月で社内が敵だらけになるなんてザラにある人だ。
天上天下唯我独尊、プライドの体現者、我が道を(時には他人を踏み潰しながら)行く、神崎美浦はそういう人なのだ。
では、そんな母さんとうまくやれる人というのはどんな人物かと言えば、まず第一に謙虚であまり自己主張しないこと、第二に暴言を笑って許せるぐらい懐が深いこと、第三に太鼓持ちが巧み、つまりヨイショがうまいことだ。
そして、この三つの条件を、今日果敢にも母さんにプロポーズした男、近藤一夫は全て満たしているように思えた。
何せ、あの告白から何事もなかったかのように場を収めて共に映画鑑賞し、さらには俺が面白がってけしかけたとはいえ、なし崩し的に母さんと俺のランチに今こうして同席しているのだから。
「どうぞ、部長」
「ああ」
厚切りのベーコン、デミグラスのたっぷりかかったハンバーグ、タルタルソースで覆われたチキンソテーという肉だらけのプレートを、近藤さんは甲斐甲斐しく母さんの前に差し出す。
映画館横にあるこのバイキング形式のレストランは、女王様のお眼鏡にかなったらしく、これで三皿目のお代わりだ。
そして、その全てを近藤さんが取り分けてきたのだが、そのチョイスがしっかり母さんのツボを付いたものなのだ。
一皿目は炭水化物とメインになる惣菜を数点、二皿目は海鮮系を中心に攻め、三皿目で肉々しくいき、おそらく締めとなる四皿目はデザートと見せかけて、もう一度炭水化物にどっしりしたおかずの組み合わせとみた。
「こちらで最後でいいですよね?」
「おう」
鷹揚に頷いた母さんに下には酢豚とチャーハンが盛られている。最後にもうひと押しどっしり食いたい母さんの食い意地に応えつつ、パイナップルがはいった酢豚を選ぶことで、気持ちデザート感を出すことを忘れないこの気遣い。
こいつは間違いなく一流の猛獣使いだぜ!
「どうした? 何かニヤニヤしているが」
「いや、思ったより料理が美味しくてね」
おっと、つい表情に出てしまったか。
怒らせないように、母さんの機嫌を取る方法を数々身に付けてきた同じ猛獣使いとして、近藤さんの匠の技には賞賛を禁じ得ないのだ。
「何かとってきてあげようか、駿君?」
「お気遣いなく。今食べている分で十分ですから」
育ち盛りの年頃とはいえ、二皿も食べれば満足だ。
我がお母様みたく、映画館でジャンクフードを食べて、さらに何皿も平らげられる程、胃は大きくない。
「遠慮は必要ないぞ、どうせバイキングだからな」
「いいよ、母さんみたいな食いしん坊じゃないからね」
「ふん、可愛げないガキだ。おい、近藤! もう一皿取ってこい!」
顎で料理を取りに行かせる母さんに、嫌な表情一つせず、むしろ少し嬉しそうにしながら、近藤さんは席を立つ。今度はどんな風に盛合せようか、そんなことを考えているのだろう。
そして、近藤さんが料理を取りに行っているうちに、俺は俺で少し"親子の話"、もとい勝手な気遣いをしておくか。映画館での母さんの言葉に、まだちゃんとした返しは出来ていないのだから。
「ねえ、母さん」
「何だ?」
「母さんは再婚する気ないの?」
俺が神無月や母さんのことで縛られる必要がないのなら、母さんだって実家や俺のことで縛られる必要はないはずだ。もう一人でやっていけるから、母さんも俺に過度に負い目を感じたりはせずに、自由を謳歌して欲しい――それが、俺の答えであり、十年前への決別の言葉だ。
「……どういう意味だ」
「単純な疑問だよ。俺から見ても美人な母さんなら、いつでも相手をつくれるだろうに、どうしてずっと"そのまま"なのかってね。別に離婚で男にこりたって訳でもないだろうし」
今年で四十、離婚してもう随分たつ神崎美浦に、もう一度春が来たとしても、おかしくはないはずだ。
「お前の知ったことではないな」
知ったことであるよと、俺は思っているからこそ、こうして近藤さんをけしかけているのだ。今はもちろん、過去にだって、母さんは俺に――神崎駿に縛り付けられ、恋をすることもままならなかったのではないか。
そんな負い目はお互いにもう十分すぎるだろう。
「実際近藤さんのこと、どう思っているの?」
「どうもこうも、映画館で言ったように、あいつとなんて有りえない」
「顔の話でしょ。母さんは外見にこだわるからね」
この人が、顔×身長×足の長さ=男の価値とか言う、容姿至上主義者であることは息子の俺が良く知っている。
時たま、どうだこの男は中々だろうとか言って、明らかに母さんとどこぞのホテルの一室で"よろしくした"後の(息子の俺は、そんな写真を見せられても絶句するしかないけれど)、イケメンのまっぱの写真を自慢げに見せびらかす、超肉食系ハンターに、近藤さんみたいな、いかにもな中年独身男はお呼びじゃないだろう。
「当たり前だろ、容姿が並より下の男に興味はない」
「中身は? あの人の性格なら、母さんとうまくやっていけると思うけど?」
外見と中身は言うまでもなく別の話で、結婚においては、後者が重要ではないだろうか。特に母さんのようなキツイ性格をした女性は、確実に相手を選ぶ。
「……お前、まさかあの男と私をくっ付けたいのか?」
「近藤さんでなくても構わないよ。要はきっかけの話だよ。もう〝神崎〟にこだわることもないだろうし、息子に、神崎駿にもこだわる必要はないってことさ。全部済んだ話になったのだから」
あの人は、結婚云々はともかく、母さんが再婚を忌避しなくなるきっかけぐらいにはなるはずだ。たった数時間見ているだけでも、それがよく分かった。なにより、あの母さんが仕事仲間と評する男性が、一角の人物でないはずがない。
「……それは、つまり、私は、神崎美浦は、もう母親でなくていいということ、なのか?」
「えっ?」
縋るような目線だ。
普段決して見ることのない、女性としてのか弱さを感じさせる母の不安げな表情がそこにはあった。
「私は今までお前にしたことを、償うことも許されないと言うのか?」
違う、そうじゃない。
母さんはどんなになっても、俺の母親だ。拒絶したかったわけではなく、再婚を考える上で、俺という存在を考慮しないでいいと言いたかっただけだ。
神崎美浦を母親でないなんて思ったことは今まで一度たりともないし、これからも絶対にない。
「あの、部長、料理を取ってきたのですが……」
「あ、ああ、ご苦労だった、近藤」
近藤さんが戻ってきたことで、その場に漂っていた微妙な雰囲気は霧散し、母さんは普段通りの気丈さを取り戻しているように見える。だが、あの反応を見る限り、彼女が〝神崎〟から離れることは、まだまだ先のことかもしれず、俺との関係が"適度な距離"になるのもまた、すぐにとはいかないのだと悟ったのだった。
十年は重い。
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