Dual Kaleidoscope 昇藤 9
第三十六代神無月家当主、神無月初(かんなづきはつ)は室町期において大層名を馳せた陰陽師であり、ここ神旺町一帯に強い影響力を持つ豪族の棟梁という一面も持ち合わせていた。
彼女はその妖しい美貌と並外れた霊能力によって、神無月家を絶頂期へと導いた中興の祖とでも言うべき女傑なのだ。
そして同時に、応仁の乱という時代のうねりに呑みこまれ、築き上げた名声や権威を失い、ついには最愛の弟までも奪われてしまった悲劇の女性でもある。
そんなご先祖様は言うまでもなく過去の人物であり、何百年も前に死亡しているが、彼女の異常なまでの霊能力と最愛の存在を奪われた怨嗟が、肉体死してなお精神を常世に留め、桂家に収蔵されていた濡羽鏡という古い柄鏡に、つい最近まで封印されたままになっていた。
それが先月に紆余曲折あって解き放たれ、東防山で母さんに憑りついたのを部長は再度封じ込め、十年前から続いていた俺たち親子の確執を解消するきっかけにもなったのだ。
「それで、せっかく封じ込めたものをまた解き放つのですか、部長?」
桂家に向かう車中で、俺は部長の言う解決策の安全性について確認せざるを得なかった。
相談したその次の日に手はずを整えてくれたことには感謝するしかないが、神無月初を封印から解くというのには不安しかない。あれの恐ろしさは未だにべっとりと染みついているのだ。
「ええ、神無月初の遺志が籠った濡羽鏡はちゃんと保管してあるわ」
「そうじゃなくて、あんなものを解き放って大丈夫なのかってことですよ。何か考えがあるんですよね?」
神無月初を封じ込めたのは部長本人だ。それ故に何某かの対策はあるのだろう。けれど、それでもあのご先祖様はまったく油断ならない――そこいらに漂っている浮遊霊とはもう何もかもが違う、神格すら兼ね備えた霊魂なのだから。
「……ふふ、私が何の考えも持っていないとでも思ったの?」
「部長、いま一瞬間が空きましたよね」
「…………」
部長は押し黙る。ついでにこのごつい外車を運転する例のスーパーメイド、東防山で俺たちを大いに助けてくれた優善奏(ゆうぜんかな)美(み)さんも道中一切口をきいていない。
東防山では茶目っ気さえ見せていたのに、今日はひたすら黙したまま――要はとかく不安を増長させるような空気が、車内には充満しているのだ。
「大丈夫、大丈夫。ちょっとだけだから」
「そんな適当な」
「ところで、神崎君、あの後晃との仲は進展があったの? 恋敵としてはその辺が気になるのだけど」
「話を逸らさないで下さい」
部長がどこぞのおっさんのような軽口と、露骨な話題転換で煙に巻こうとするので、一層不信感が募るばかりだ。ついでに言うなら、冗談でも恋敵だとかのたまわないで欲しい――こっちは本気であんたのことが好きなのだから、軽々しくネタにされると傷つくのだ。
「心配性ね、神崎君は。あなたはただ部長の私を信じてどっしり構えていればいいのよ」
「部長、本当に問題ないんですね? 頼んでおいて何ですが、本当に考えなしなら、違う方法にしましょう。神無月初は危険すぎる」
〝アレ〟は危険というより、むしろ災悪そのものだろう。何の備えもなしに相対すれば、防波堤のない港が津波で壊滅するが如く、引きずり込まれてお陀仏間違いなしだ。
「わかっているわ。きちんといい案を考えているから、そこは安心して」
「ならいいのですが……」
「それにね、確かに彼女はとっても危険な存在だけれど、完全な悪というわけではないわ。子孫が困っているとなれば助けてくれるはずよ」
しかし、部長はどうも我がご先祖様、神無月初のことを甘く見ているというか、あまり危険視していないように思う。
それが一度はアレを封じ込めた故の自信なのか、それとも別の何かなのかは判然としない――あるいは、直系の子孫である俺の方が過敏になっているだけなのかもしれないが。
「どうでしょうかね。東防山では子孫を殺そうとしていた気がしますが」
「あれは弾みみたいなものじゃないかしら。彼女は、神無月初はただ弟を失った悲哀にくれているだけよ」
その辺の事情、つまり彼女がああも変質してしまったのは、愛する弟を戦乱で亡くしてしまったからだというのには、俺も少なからず同情している。けれども、弾みと言って済ませられるほど達観も出来ていない。
何よりこれから二度目の邂逅となるのだから、警戒するに越したことはないだろうと、そんな風に俺が依然として疑問の目を向けていると、部長は諭すような表情で囁く――十年前の妖しさを湛えて。
「大丈夫。神崎君には危害が及ばないようにするし、いざとなったら私の身を犠牲にしてでもあなたのことは守るから」
「……頼みます、部長」
「ええ、頼まれます」
微笑む部長は東防山の時と同じように頼もしく見える。
あれこれ疑ってはみたものの、元々彼女に全て任せるつもりだったのだ――俺はこの人を、桂明梨を信じているのだから。
◇◇◇
「おっ神崎、こんばんは!」
「……こんばんは」
覚悟を決めて桂家に到着してみれば、そこで待ち構えていたのはあの宍戸小夜(ししどさよ)だった。そのすごく軽いノリの挨拶は、肩すかしだと感じるのに十分すぎる。
「どうして、ここに?」
「うん? もちろん部長に呼ばれたからだよ。神崎は聞いてなかったの?」
「いや、聞いてないけど」
残念ながら宍戸が来ることはもちろん、どんな方法で我がご先祖様に協力して貰うのかさえ、何の説明も受けていない。その辺はあの適当な部長なので、深くは追及せずにこうして桂家に付いてきたわけだが、宍戸を呼ぶとは思わなかった。
宍戸小夜――望月晃の幼馴染にして大親友、そしてその女子女子した可愛らしい容姿と、出るとこ出たナイスなボディで男を惑わす小悪魔系の美少女。今日も薄手のワンピースでその悩ましげなボディラインを強調しつつ、くりっとした栗色の瞳を宿す童顔でもって微笑むその姿は、ある意味でカワイイを極めたとさえ感じられる――正直に言えば、部の中で一番好みの容姿をしている女の子なのだ。
しかしながら、そんな彼女はそれなりに部長を敬っているとはいえ、望月ほどの忠誠心は持ち合わせておらず、かつ掴みどころのない自由人なので、こうした〝真面目な場〟に居合わせることはどこか不釣り合いな気がする。
「私と神崎君の二人だけだとちょっと人手が足りないから、小夜を呼んだのよ」
「はあ……」
「何その反応、感じ悪っ! どうせ人手がいるなら、晃の方が良かったのにとか思ってるんでしょ」
「ああ、ぶっちゃけそう思ってる」
オカルトを一切信用していない望月だが、気が利くことは間違いないので、何かのサポートを求めるなら宍戸より彼女の方が適任だろうと、特に他意なくそう思ったのだが、宍戸にしては珍しく俺の言葉に若干暗い表情をしていた。
「うわー、そういうのは冗談抜きで傷つく。一応、神崎が困ってるって聞いたから、部長の急な呼び出しに応じたのに」
「悪かったよ、流石に言い過ぎた」
「今度なんか奢ってね。晃はパフェだったみたいだけど、私にはもうちょっと高いやつお願い」
すかさず物をねだってくるあたり、切り替えが早く、あざとくて宍戸らしい。あと、望月にパフェをごちそうしたのはつい昨日のことなのに、もう宍戸に伝わっているのは、きっと気味が悪いぐらい緊密な二人の幼馴染ホットラインがなせるわざなのだろう――最近はとみに宍戸と望月の関係は幼馴染や親友と言う枠を超えている気がしてならないが、深く考えたら負けだ。世の中には曖昧にしておいた方がいいこともあるのだから。
「……高い奴って?」
「服でも買ってもらおうかな、折角だから……」
宍戸はモジモジしながら上目づかいにねだってくる。
可愛さが一周まわって別の何かに変わってしまいかねないその仕草が、純情な男子高生のピュアなハートを揺さぶるけれども(俺は今も昔も部長一筋なのだ)、たぶんこいつのこの可憐な態度は、望月の俺への好意に引きずられたものだ。
だから、勘違いはしていけない、そう自分に言い聞かせつつ、咳払いを一つして、話題を何故宍戸を呼んだかに戻す。
「人手と言いましたが、宍戸には何をさせるんですか、部長?」
「小夜には神無月初を現世に呼ぶ依代になって貰うわ」
「えっ!?」
何を言っているのだ、この人は?
聞き間違いだと思ったが、部長は至って真面目な顔をしている。
「依代ですか? うーん、よく分からないけど、頑張ります!」
宍戸は間の抜けた返事をしているが、こいつは部長が言っていることの意味するところを理解しているのか。依代ということはつまり――東防山での母さんのように、神無月初にその身を乗っ取られるということなのだ。
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