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Dual Kaleidoscope 昇藤 2

「今日はどうしてここに?」

「映画を見に来たに決まっているだろう。お前は馬鹿か」

「……そちらは息子さんで?」

「違う」

 いや、違わないでしょ。

 ほんの数分前に、私はどんなになってもお前の母親だよと言っていたじゃないですか。あの親子愛を確かめ合うすごくいい雰囲気はどこにいった。


「母さん、その人は?」

「知らん。赤の他人だ」

「はは、神崎部長は相変わらず手厳しい」

 苦笑いしながら、中年男はこちらをちらちら見ている。

 母さんは何故か邪険に扱っているが、息子として一応は挨拶しておいた方がいいだろう。


「はじめまして、息子の神崎駿です。母の仕事関係の方でしょうか?」

「ええ、僕は神崎部長の下で働かせて貰っている近藤一夫(こんどうかずお)と申します。よろしくお願い致します」

「そうですか、いつも母が世話になっております」

「逆だ。私がこいつの世話をしているんだ」

「ちょっとした社交辞令だよ。かりかりしすぎでしょ、母さん」

 これは大層ご機嫌斜めだ。

 吐き捨てるように食い掛かる母さんは、不機嫌ですよということを隠す気もないように見える。いくら苛烈な母さんでも、いつもはもう少しマシな態度をするはずだけれど、よほど職場の部下の登場が気に食わなかったのか、唐突に煙草を吸ってくるといって館内から出ていってしまう。

 後に残された俺は非常に気まずい。


「今日は親子水入らずということで?」

「まあそんなところです。近藤さんはご家族と?」

「いや、恥ずかしながら僕はこの年で独り身なんですよ。今日はちょっとした息抜きで見に来ただけです」

 気まずげなのは近藤さんも同じようで、嫌に言葉遣いが丁寧だ。俺が上司の息子だというのを差し引いても、どこか距離感のある態度をしているように思う。


「君は部長の下の息子さんかな? それとも長男の方?」

「長男です。しかし、どうしてそのことを? うちの母はあまりそういうことを話したりはしないと思うのですが」

 あの人は基本的に仕事以外のことを考えないワーカホリックだ。雅人を可愛がってはいるけれど、それを部下に話したりはしないだろう。まして、弟の添え物以下の扱いの俺のことを話題にはすまい。

 今までの母さんの俺への所業を――死ねと言ったり、お前なんて私の息子でないと否定したり、あげく思いっきり足で踏んでみたり――考えれば簡単に想像できよう。

 改めて考えると、ほんと酷い扱いだな。


「……はぁ」

「どうかしたのかい? いきなり溜息をついて」

「いえ、何でもないです」

 危うく十年前に意識がトリップするところだった。

 もう、そのことはケリをつけたから、今日母さんとこうしているのだ。それより、目の前の中年男と母さんの関係を探った方がよほど楽しいだろう。


「そうかい? ならいいんだけど、僕が何か気に障ることを言ったなら悪いからね」

「そんなことはないです。それより、さっきのことを詳しく教えてくれませんか」

「ああ、さっきのはね、神崎部長は二児の母で辣腕キャリアウーマンという触れ込みでうちの会社に転職してきたから、息子さんがいるのは知っていたんだよ。それで、ずっと気になっていたんだ。あの神崎部長の息子さんはどんなだろうってね」

 そう言えば、前に地方新聞に子育てと仕事の両立について取材されると言っていたな。まあ、母さんぐらいの年齢の女性が中堅どころとはいえ老舗出版社の取締役に就任し、しかも二児の母だとなれば話題にもなるか――もっとも、ただ話題になっているから知っている以上の"何か"を、この近藤という男からは感じるが。


「それにしても、神崎部長はお綺麗だな。初めて私服姿を拝見したが、まるで女優だよ」

「そうですかね? さっき服装のことを褒めたら、お前は何もわかってないって言われましたよ」

 ついでに死ねとも言われた。

 母さんの暴言に対する耐性がトリプルAの俺はそれぐらいで動じないけどね。


「はは、部長らしい辛辣な物言いだ。しかし、本当に若々しく感じるな。僕と一周りぐらいしか齢が変わらないのに」

「それは息子の僕も思いますよ。あの人はずっとあんな感じだから、歳をとってないんじゃないかって疑いたくなります」

 あの人の不老性は単に体質というだけでなく、その血筋によるものだ。だから、あれ程までに若々しく、美しい――遠いご先祖様、神無月初がそうだったように。

 けれど、そんなことは露とも知らないこの独身中年男には、ぎりぎり年齢が釣り合う魅力的な〝女性〟に見えるのかもしれない。


「もしかして、母のこと狙ってます?」

「うっ、それは……、まあ、狙ってないかと言えば嘘になるよね。神崎部長はとてつもない美人だし、僕はさっき言ったように独り身だからね」

 図星か。

 だが、色々な意味であの人は辞めておいた方がいいだろう。

 息子の俺が言うのもなんだけど。


「辞めておいた方がいいですよ。外見はともかく、性格がとてつもなくキツイですから」

「そんなことはないさ。確かに厳しい方だが、それ以上に尊敬出来る上司だ」

「本当ですか? 確かに仕事は出来るかもしれないですが、上司として理想的とはとても……」

「いいや、僕はあの人の部下で良かったと思っているし、神崎さんは今まで見てきた中で一番優秀な方だ」

 口角泡を飛ばさんばかりに、ことさら誇らしげな褒め方をするその様子から、近藤さんが母さんを本当に上司として尊敬していることが分かった。そして、それが息子の俺には嬉しかった――あの人をちゃんと慕ってくれている人がいるのだと。


「……そうですか。何分ああいう人ですから、敵も多いと思いますが、母を頼みます」

「もちろんだ! 僕はあの人が社長になるまで付いていくつもりだし、出来るなら"公私ともに"歩んでいきたいと思っている!」

「公私ともに? それはどういう意味だ、近藤」

「えっ!?」

 振り返れば狼。

 お世辞にも笑顔とは言い難い表情して、通路側から自分の席に戻ろうとした母さんが近藤さんを見下ろしていた。


「公はいい、お前とは仕事仲間だからな。だが、私とはどういう了見だ? お前と付き合った覚えはないが」

「い、いや、それはですね、そ、そのー……」

 俺は経験的にわかる――冷や汗を流し始めた近藤さんに助かる道は、残念ながら、ない。こういう時の母さんは決して容赦しないのだ。哀れ、俺との会話に夢中になっていた老羊は、戻ってきた捕食者に食われる運命なのだ。

「そ・れ・は、どういう意味なんだ? 答えろ」

「そ、れは……」

 母さんに普段から苛め抜かれている俺には、これ以上見てられない! この無残な中年殺戮ショーをとめるべく、無謀な口入(くにゅう)をしようとしたその時だった。

 それが起こったのは。


「それは、……それは、僕が神崎さんのことを好きということです!」

「はっ? お前はいきなり何を――」

「好きです! 結婚を前提にして付き合って下さい!」

 うん? 

何か事態があらぬ方向へ向かっていないか。

何でいきなりプロポーズしてるんだ、このおっさんは。


「おい、自分が言っていることわかっているのか? 私は単なる上司というだけで……」

 さしもの母さんもいきなりの奇襲にしどろもどろだ。おそらくこの人の中では、近藤さんの淡い恋心を馬鹿にして散々に弄ってやろうという心積もりだったのだろう。それがまさかの真剣な愛の告白、それも結婚前提と来たのだ。

 窮鼠猫噛みとはこのことだ。


「わかっています! 僕はあなたにとって、一人の部下に過ぎないってことは。でも、僕のこの気持ちは嘘じゃありません。僕はあなたのことを上司として尊敬し、一回り下の社会人として心配し、そして、一人の女性として愛しています。神崎さんの方こそ、僕の思いに答えを下さい!」

「…………」

 鬼気迫る近藤さんに母さんは無言、いつの間にか周りの人たちはこちらを凝視し、固唾をのんで成り行きを見守っている。


「私の答えは……」 

しかし、おそらく我がお母様の返答は――

「死ね。お前ごときが私となど、天地がひっくり返ってもありえない」

 ……やっぱりね。

 この人、ほんと面食いだから近藤さんは無理だと思ったよ。


「――っ」

 一刀のもとに断じられた近藤さんの気持ちは察するに余りある。突然だったといはいえ、さっきのは冗談なんかではなく、真摯で真面目な愛の告白だった。それをああも言われれば、傷つかないはずはない。

「はは、ははっはははは!」

 しかし、意外にも近藤さんは笑った。

 晴れやかな顔で。


「何故笑う? 玉砕して、気でもふれたか」

「いやいや、こんな時も神崎部長は神崎部長なんだって思って」

「何が言いたい?」

「そのままの意味ですよ。あなたはいつも容赦がなくて、自分にも他人にも厳しくて、そして何よりも自分に真っ直ぐな人だ。だから、僕の告白も笑ったりせずに、真剣な顔でいつも通り切り捨ててくれたのでしょう?」

 その通りだ。

母さんは馬鹿にしたくてああいう辛辣な言い方をしたのではない。正直に近藤さんと自分は絶対に釣り合わないと感じたからこそ、誤解の余地がなく、かつ自分が悪者になるように、罵倒する言葉を選んだのだ。母さんは、素直に相手を気遣う方法は選べない人なのだ。

 そして、そのことを短期間に見抜いた近藤さんは大したものだろう。もし、もっとダンディな感じの中年なら、告白は成功し、母さんとうまくやれたかもしれない。


「知った風なことを言う」

「当然ですよ。僕はあなたの部下ですし、それに、神崎部長のそういう真っ直ぐで不器用なところを好きになったのですから!」

「っ!?」

 再度母さんは無言、いや、絶句する。

 ついでに黙ってみていたギャラリーは近藤さんの純真な言葉に拍手喝采で、良く言った!、格好良かったぞ!なんて囃し立てている。


「お、お前にそんなことを言われても嬉しくないっ!」

 おお、あの母さんがテンパっている。

 口調が安っぽいツンデレキャラみたくなっていて、おもしろい。

 いいぞ、もっとやれ近藤さん、そう思いかけて、ふと一つの疑問が頭をよぎった――今日は母さんと親子団欒しにきたのであって、おっさんのラブロマンスを応援するのは何か違うのではないかと。

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