人には告げよ海人の釣舟【小説ノック11】
また駅。
***
「いいって、大丈夫だって」
「でも」
「いいって」
宇留中央駅のロータリーで、母さんとそんな会話をした。この人は、俺が高校の寮に入るのを見送れないからって……心配が過ぎて嫌になる。高校の最寄り駅は岡山、そこまで電車で一本だから、迷うも何もないのに。
「仕事でしょ、はやく行けば」
母さんは仕事を休めなかったことを気にしているん。でも、寮に送ってある荷物はそれほど多くないし、一人で何とかなるはずだ。
「うん……」
それでも、落ち込む母さんの顔を見ていると、罪悪感が芽生える。でも、俺は家から近い宇留高校じゃなくて、岡山の海明学園を選んだ。俺の将来のために、俺が選んだんだからしょうがないんだ。
「じゃあね、何かあったら電話してね」
「わかったから」
しぶしぶといったふうに母さんが車を走らせ、白い軽自動車はやがて見えなくなる。俺はぽつん、と駅前に取り残された。大きなリュックを背負った中三の自分は、いったい何に見えるんだろう。まだ、ただの子供に見えるだろうか。
地元の宇留中央駅は、この辺りでは珍しい有人駅だ。といっても、利用客が地域では比較的多いから一人くらい置いときますよ、くらいのものだと思っている。旧宇留郡こと宇留市は、田舎だから。
券売機で切符を買って、ホームへ。改札に人はいないけど、自動改札機はある。一応ICカードも使えるらしいけど、俺は持っていない。……そうだ、そのうち買いに行こう。友人たちと出かけることもあるかもしれないし。
二つしかないホームのうち、上りのそれで電車を待つ。平日の中途半端な時間だからか、俺を含めて三人くらいしかいなかった。この人たちは、どこへ行くんだろう。ふとそんなことを思った。買い物か、それとも病院とか?
やってきた電車に、乗り込む。あとは岡山駅まで一時間もしないくらい。それだけの道のりが、今までの俺にはすごく遠かった。でも今日からは違う。もう、第一歩を踏み出したんだ。
リュックをおろしてシートに座り、走り出した電車の窓から町の風景を眺める。駅の周辺は普通に町並みが広がっているけど、しばらくすると田舎の風景が流れ始めた。
トンネルに差し掛かると、自分の顔が映る。俺はふっと、目をそらした。最近は鏡を見るのも嫌だったのに、こんなところで見たくはない。それも全部、自分への納得のいかなさが理由なんだろうけど。
ただ外を眺めているだけで、気分がどんよりとしてくる。……新しい学校のことが、不安なのかもしれない。海明学園は、県内では有名だ。それでも、通っていた中学校から進学したのは、俺だけ。いくら寮があるからと言っても、中高一貫私立校の編入組なんて、わざわざならなくてもいいからだ。
俺がその進路を選んだのはただ一つ。都会へ出たかったから。ただそれだけの理由だ。海明なら進学校だし、ある程度の言い訳はできた。受験のために必死で勉強したし、受かった時は心底ほっとした。
……田舎は嫌だ、と思い始めたのはいつの頃だろう。そんなことを考える。きっかけがあった訳じゃない。ただ、近所のおじさんの姉に対する態度だとか、長男であることへの周囲の期待とか。そういうものがじわじわと、嫌になっていったんだろう。
だから俺は、ずっとあの町にいるのが耐えられないと思った。きっと今じゃなくても、いつかは外に出ていただろう。例えば大学進学とか、就職とか。それがちょっとだけ、はやかっただけ。
電車に揺られる間、俺はずっとそんなことを考えていた。後ろ向きといわれるかもしれないけど、おれはもともとポジティブな方じゃない。
《次は終点、岡山、岡山です。お忘れ物のないように、お気を付けください》
いつの間にか、岡山も近い。そんなアナウンスが流れた。肩をバキバキと鳴らして、立ち上がった。リュックを背負い直して電車を降りる。ホームから出て改札方面へ向かうと、さすがに人が多い。岡山駅はいつも、行きかう人でいっぱいだ。
この駅は、山陽本線のほかに、山陰、四国、その他諸々の地域の路線、おまけに新幹線まで通っている、乗り換えの要だ。いろんな人がいろんなところからやってきて、いろんなところへ向かう。今日の俺は、そのうちの一人だ。
馴染めるかな、なんて今更なことを考える。中学校からずっと海明にいる人たちと、上手くやれないかもしれない。それか、ホームシックにかかったり、勉強についていけなくなるかも。そう考えると、足が止まる。
せっかく、ここまで来たのに。そんな思いが頭の中を駆け巡った。大きく息をついて、前を向く、俺が決めたことじゃないか。俺が、俺のために。だから、今はまだ帰れない。
バスロータリーのある、東口から駅を出る。階段を降りると、岡山の街が見えた。バスの番号を確認して、海明け学園行きの乗り場を探す。……まだ、バスが来るまで十五分くらいあった。どうしよう。
十五分だと、ここで待っていた方がいいかもしれない。ベンチに座って、ため息をついた。
「岡山、あったかいな」
実際には確かめようもないけど、そう感じた。これから、この町で暮らすのだ。同じ寮の人たちとは、仲良くできるだろうか。
寮に入るのは、俺と同じ学校から遠い地域に家がある生徒だけ。岡山とか、近いところに住む人は普通に通いらしい。
「いいなあ、街に住んでる人は」
宇留が駄目、とは言わない。観光客が来るようなところもある、らしい。綺麗な写真が撮れるとか、そういう。でもそれは、たまに来るからそう見えるだけなんだ。ずっと住んでいると、嫌になることもある。誰だってそうだ、と信じたい。
なんだか、心臓がどきどきしてくる。バスはまだ来ない。早く来てほしいような、まだ来てほしくないような。……自分でも、どうしたいのかわからなかった。
背負ったままだったリュックを置いて、立ち上がる。ぐっと伸びをして、ちょっとしたストレッチをする。何か、楽しいことでも考えよう。部活とか、友達を作るとか。岡山で遊びに行くのもいいな。どこがあるのかは知らないけど、それは友達に教えてもらえればいいや。
バスが来た。俺は慌ててリュックを背負う。開いたドア、そのステップに足をかけると、勢いをつけて乗り込んだ。
今はまだ、帰りたいと思う心もある。それでも俺は、ここへ来た。ここからまた、どこかへ行くんだろう。
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