恋ぞつもりて淵となりぬる【小説ノック13】
“カフェきなり”には、数回行ったことがある。二年くらい前に駅の近くにできた、お洒落で今風のカフェだ。紅茶がメインの可愛らしいお店で、静かな雰囲気は嫌いではなかった。でも、カフェめぐりが趣味という程でもない私は、駅に用事でもない限り立ち寄ることのない場所だった。
待ち合わせがどうしてこの店なのか、とは思う。日下さんも喫茶店が好きという感じではなく見えたから、私のために一生懸命探してくれたのかもしれない。
駅の近くに来ると、さすがに人も多い。この辺りはもう、観光客の多いエリアだから。るり湊駅を正面に、道路を挟んで反対側。この通りに、きなりはある。あそこだ、と思って見ると、そこには日下さんが佇んでいた。
小さく手を振ると、日下さんは会釈をした。水色のシャツに、グレーのカーディガン。いつもと同じ、ありふれた当たり障りのない格好。主義主張があってそうしているんじゃなくて、こだわりがないからそうしているんだと勝手に思っている。……失礼かもしれないけど。
「すみません、お待たせして」
「いえ、別に」
日下さんは、いつもふわふわ笑っている。もともとそういう人なのか、あえてそうしているのかは、まだわからない。この人の名前を知ったのも、つい一週間前なのだから。
「入りましょうか」
日下さんが、ドアを開けてくれた。なんだか、むず痒い。席に通されて、メニューを見る。私は季節限定の抹茶ラテを、日下さんはロイヤルミルクティーを注文した。
「紅茶、お好きなんですか?」
そんなことを尋ねてみる。
「とりたてて好きということもないですけど」
「そうですか」
日下さんは、よくわからない人だ。よく言えば正直だけど、嘘が付けない性格というか、つい本当のことを言ってしまう人だ、ということは前のやり取りで気づいていた。今だってそんなことを言わないで、適当に「好きです」くらい言う場面じゃないだろうか。
「佐木さんは、抹茶好きですか?」
「そう、ですね。季節限定ですし」
「ケーキとか、頼まなくてよかったですか」
「……そうですね」
日下さんは、ふわふわした笑顔のままだ。何を考えているのか、かえってわかりにくい。私はまだこの人のことを、名前しか知らない。そんな人の前で食事をするのは、少し緊張する。
「この辺りに住まれてるんですか?」
「藤屋新田です。駅に近いあたりの」
「じゃあ、ここまでは歩いてこられたんですね」
「はい」
なんて、当たり障りのない会話。核心に触れないままで、すこしもどかしい。
「佐木さんは」
「はい」
「いつもあのお店にいるんですか。えっと、ウェルに」
「あー、そうですね」
ウェル、というのは私が働いているカフェだ。といってもこことは違う、食事メインの店。日下さんはそのウェルに、たまにやってくる人。それもいつも、友達らしい男の人と一緒に。
ウェルが営業しているとき、私はホール係をしている。でも、そのことを正直に伝えてもいいものか、私はまだ迷っていた。
ドリンクが運ばれてきたから、少し口をつける。うん、甘すぎなくておいしい。日下さんもカップに口をつけた……のだけど、目を瞬かせる。
「ロイヤルミルクティーって、甘いんですね」
知らずに、頼んだのだろうか。
「甘いの苦手ですか?」
「いえ、好きです。でも、普通のミルクティーだと思ってたので」
「あの、ロイヤルミルクティーって」
思わず、そんなことを言っていた。別にわざわざ、教えてあげなくてもいいことだけど。
「はい」
「牛乳で茶葉を煮出しているので、普通のミルクティーとは違うんですよ」
「そうなんですか」
日下さんが、パッと笑顔になる。いつものふわふわ笑顔じゃなくて、この人がもともと持っている笑い方のように見えた。
悪い人ではないのだろう。きっとそうだと思っていたけど、今、やっと確信が持てた。
「あの、日下さん」
「はい」
「どうして、私だったんですか?」
私は、この一週間考え続けたことを尋ねる気になった。
「ええと?」
「どうして、私に声をかけたんですか。それが、ずっと気にかかってて」
一週間前のウェルで、私は日下さんから名刺をもらった。仕事用のそれをくれたのは、多分身元をはっきりさせるための配慮だったんだろう。「よかったら連絡ください」なんて言われて、一緒に働いている梢さんに心配された。
感じの良い人ではあったから、とりあえず会ってみようとは思った。それでも一つだけ気にかかっていたのは、どうして日下さんが声をかけたのが、私だったのかということだ。
「だって日下さん、ウェルには月に一回くらいしか来ないじゃないですか。なのになんで、私だったのかなって。仕事外の話もほとんどしてませんし」
そうなのだ。ウェルで日下さんと話したのは、ホール係としてのそれだけ。だからずっと、疑問だったのだ。
「理由は、突き詰めればないんですよね」
今度は、私が目を瞬かせる番だった。
「俺、一年くらいはウェルに行ってると思うんですけど。佐木さんのことは、ずっと感じの良い人だと思ってて。声をかけてみようかと思ったのは、何というか、偶然なんですけど」
「はい」
「会社の同僚で、親しくしてる人に恋人ができて。なんとなく羨ましくて。その時、佐木さんの顔が浮かんで。なんだか、そうなのかなって」
「そう?」
日下さんは、ミルクティーを飲んだ。空になったカップを見つめながら、ゆっくりと喋っている。
「うーん、なんていうか。パズルのピースが嵌まった感じというか。もしかして、佐木さんのこと好きなのかなって。ご迷惑かとは思ったんですが、それで」
「迷惑じゃ、ないですよ」
本当は、私も日下さんのことはよく見ていた。でも、好きという程には思えなかったし、店員から声をかけるのもおかしいだろう。だから、気にしないふりをしていたのだ。
「そうなんですか? 嬉しいです」
にっこりと、幸せそうに日下さんが笑う。あっ、と思った。こんな笑顔を見せられたら、本当に好きになってしまう。
「佐木さんが今日ここに来てくれて、それだけでいいと思ってたんですけど。良かったら、これからも会ってもらえませんか?」
「そうですね、お友達からで」
苦し紛れに、そんなことを言った。駄目だ、やっぱり私は、正直じゃない。
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