乱れそめにしわれならなくに【小説ノック14】
恋なのか何なのか。
***
今日、雪の友達が家に来ることになっている。昨日の仕事中からそわそわして、お客さんにも指摘されるくらいだった。訳を話したら「友達くらいで大袈裟だよ」なんて言われたけど、雪が友達を連れてくるなんて初めてのことだ。だから、嬉しいを通り越して不安になってくる。
日曜日の今日、昼ご飯を食べた雪は、駅までその友達を迎えに行った。そろそろ戻ってくるはずだけど、連れてくるのはどんな子だろうか。雪は大人しいタイプだから、同じくらい大人しい子だろうか。それとも逆に、すごく元気な子かもしれない。なんだか、全然想像がつかなかった。十三歳の男の子のことなんて、母親にはわからないものなのかもしれない。
キッチンでクッキーをお皿に開けていても、考えがまとまらない。来客用のグラスを二つ用意して、どうしようどうしようと思っているうちに、ガチャリと玄関のドアが開く音がした。
「ただいま」
雪の声だ。
「おかえり!」
慌ててキッチンを飛び出すと、そこには雪と、可愛らしい男の子が立っていた。少し髪の長いその子はお辞儀をして、紙袋を差し出す。
「お邪魔します。あのこれ、母からです」
「えっ、あー、いいのに。ありがとうね」
紙袋の中身は、有名なパティスリーの焼き菓子だった。そういう気づかいも必要だったか、と内心で焦る。私は何も考えず、うちで食べる用のお菓子しか用意していなかった。
「家が近所なんだって」
雪がぶっきらぼうに言う。最近ちょっと、私には反抗期気味の雪だ。
「そうなんだ。まあ、あがてってね。えっと……」
「樋口ユウ」
答えたのは、なぜか雪の方だった。
「ユウくんね、わかった。雪の部屋は二階だから。あとでお菓子持ってくね」
「はい、ありがとうございます」
頭を下げたユウくんの耳元で、何かが光った。よく見ると、小さなイヤリングがその耳についている。おや、と思った。男性用のデザインにしては、ちょっと大きいような気もする。そこで初めて、ユウくんの服装に意識がいった。ボーダーのTシャツにジーンズといった格好だけど、ボートネックだしユニセックスにも見える。うーん、どうすべきか。
「ユウさん、オレンジジュース好き? 食べられないものある?」
「あ、大丈夫です。好きです」
にっこり笑うその顔は、可愛らしい。こんな可愛い子が、どうして雪の友達なんだろう。雪なんて、最近はもう悪ガキって感じなのに。
「もういい?」
雪がせかすように言う。ほら、お母さんを邪険にして。
「あ、ごめんごめん。どうぞ」
ユウくんは靴を脱ぐと、きちんと整えた。雪は適当に脱ぎ捨てている。お友達が来たときくらい、ちゃんとしてほしいものだ。
「行こう」
「うん」
階段を上がる二人の後姿を見ていると、むず痒い気持ちになる。雪は中学受験をして、岡山市の私立男子校に通っている。小学生の頃は本当に友達が出来なくて、担任の先生にいろいろ言われたりしたものだった。雪自身も何か思い悩んでいるように見えたし、私も同じくらい悩んでいた。
それが進学してからは、急に悩みがさっぱり吹き飛んだみたいな顔をするようになった。勉強もはかどっているようだし、先生からも褒められることが多くなった。もう心配はいらないのかもしれない。
その代わり、思春期には突入したみたいで、私への対応は少し変わってきた。父さんも母さんも、男の子なんてそんなもんじゃないの? なんて言うけど……やっぱりちょっと、ムカッと来るときはある。そういう時は、ちっちゃくてかわいかった頃の雪を思い出しすようにしている。
キッチンに戻って、オレンジジュースをコップに注ぐ。それとクッキーをお盆に載せたところで、はっと思いついた。さっき貰ったお菓子もあったほうがいいだろう。箱の包装を開け、中の焼き菓子を四個ほどお盆に載せる。それをもって、私も階段を上がった。
部屋のドアをノックして、声をかける。
「入ってもいい?」
どーぞ、と雪の声。私はあえて明るく、ドアを開けた。
「どうぞ、お菓子食べてね」
「ありがとうございます」
ベッドに座っていたユウさんは軽く頭を下げた。さっきは隠れていたイヤリングも、髪を耳にかけているから見えている。
「そのイヤリング」
ぽん、と口から言葉が飛び出していた。
「えっ、ああ、あの」
ユウさんは慌てて、髪を直した。違う、そうじゃなくて。
「とっても可愛いね」
「……ありがとうございます。これ、あの、雪くんがプレゼントしてくれて」
しどろもどろになりながら、顔を赤らめてユウさんは言った。あらまあ、と思って雪の方を見ると、ちょっと嫌そうな顔で私をにらんでいる。
「別に、いいでしょ」
「そうねー。雪、結構センスいいんじゃない? お友達にプレゼントなんて、初めてでしょ」
返事はない。イヤリングは、大きな輪の先に石の嵌まったデザインだ。ユウさんのすっきりした顔立ちや、野のスミレみたいな雰囲気によく似合っている。
「雪、ちゃんと“似合ってるね”とか言ってあげた?」
「もう、いいじゃん別に」
ぷいっと顔をそむける雪に、私は内心にやにやとする。
「はいはい、お母さんは退散しますよ。じゃあユウさん、ゆっくりしてってね」
「はい、お構いなく」
お盆を抱えて、部屋から出る。ドアを閉じると、雪くんのお母さん面白いねなんてユウさんの声が聞こえてきた。ちょっとおかしい。
階段を降りてキッチンに戻ると、ため息がついて出た。
「付き合ってたりして?」
なんてことを想像した。まだ中学生だけど、もう中学生でもある二人がいるのだ。そろそろしっかりした初恋に出会っても、おかしくないと思う。
でも、そろそろ雪も、なんでも自分で決める年頃のはずだ。私がわざわざ出て行って、「付き合ってるの?」なんて不躾なことを聞くべきじゃない。放っておくのも大事なことなのかもしれない、と最近はよく思う。
……でもそれはそれとして、息子が誰かと付き合っているかも、というのはわくわくするものだ。学校ではどういう風に過ごしているんだろう。イヤリングなんかプレゼントしちゃって、どういうつもりなんだろう。というか、それはいつの話なんだろう。
「やばい、めっちゃ聞きたい」
雪は答えてくれないだろうな。ああ、でも。後でユウさんにこっそり聞こうかな。
ふと、誰かが階段から降りてくる気配がした。
「雪?」
じゃない。ユウさんだ。
「あの、トイレお借りします」
「場所分かる?」
「はい」
にこっとしたユウさんに、ちょっと感心した。すごく印象のいい子だ。雪もこれくらい愛想がよくなってくれないかな。なんて、無理か。
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