TMS治療(軽度ASD)
そして、、
彼女にASDを持つことを私は言えなかった。
言えなかった。言うにはまだ早すぎる気がした。
そして、今言ったらいけない気がした。
散々私を否定し、怒り、おかしいと訴えてきた彼女に、まるであなたがおかしいと言うようで言えなかった。
何がおかしいのかわからなくなっていた。
おかしいと言う事のそもそもの概念が、
おかしい気にすらなっていた。
発達障害でなくても変な人は居るし、その人からすれば私は変なのだから。
ただ、TMS治療はさせたかった。
頭痛、肩凝り、睡眠不快、左耳の過剰な反応。
思考うんぬんよりも、ただ単に、
苦痛な物を彼女は持っていた。
ただ、彼女を変えるようで怖かった。整形を望まない娘を整形させに連れていく親のようだと思った。
ただ、頭痛の緩和、肩凝り、睡眠不快、この辺りは、ダイレクトに彼女を苦しめていた。それらも、身体のダルさも、彼女にとって、通常の事で、、
そのなかで人並みに生きていたと思うと、そりゃ崩れるよな。と納得できた。
私がしてやれることなど、ほんの気休め程度でしかなく、その気休めすら、私にとって、気休めにしかならない精神的苦と、体力や時間的にも、負荷であったりもした。
マッサージするのも、それなりの労力で、朝起こすのも、怒りを受ける覚悟で声かけなければならない。自分の仕事に遅れることも多々あった。
いつしか、彼女の身体的苦痛が緩和されるなら、TMSをしない理由はないと考えるようになった。
そして、TMSを決めた大きな理由は、
クリニックの方の、
そんなすぐに効果はではませんよ。
の一言だった。
そんなに変わらないなら、いいかもしれない。
そう思った。
TMSは、
何もしてやれない事に苦しんだ私にとって、
彼女の苦を和らげる為に、私が出来ること。
であるのは明確だった。
しかし、どこか、彼女を否定している行動になるのではないかと、不安があったからだ。
そしてある日、彼女に、こう言った。
頭痛の治療がある。やってみないか?
と。
思いやりの強い彼女は出費の事も常に気にかけてくれる子で、
いい、お金勿体無いから。
そう言った。
お金には代えられない物はあると思うよ。
それは私にとって、あなただよ。
そう伝えた。
すると、
いいの?
と言った。
ごめんねと言う言葉も当然添えられていた。
良かった。了承してくれた。
私は早速予約をした。