私とアクセス解析の出会い
私とパーソナルコンピュータの出会い
世間ではWindows95が発売し、巷でも「パソコン」というものに関心が出始めたころ。まわりがファミコンやスーファミで遊ぶ中、小5の私はどういうきっかけかPCに興味を持ち、親に懇願してPCを買ってもらうこととなった。
私のファーストマシンは富士通のFMV Deskpower。スペックは今となっては信じがたい、Intel Pentium 100MHz、メモリ8MHz、HDD容量ははっきり覚えてないが、800MB程度だったろうか。FMVにプリインストールされているタイピングソフトやマウス練習ソフトで練習に励み、ある程度慣れたらマインスイーパやら地図ソフトやらで楽しんでいた。
ゲームを中心にPCライフを楽しんでいた私は、ある日、「ザ・コンビニ」というPCゲームを購入することとなる。ところが、ここではじめての挫折を経験する。私のマシンではスペックが低くて動かなかったのだ。
悲しみを胸に抱きながらFMVを購入したショップに相談する。そこで初めてメモリ増設なる作業を行ってもらうこととなった。私のマシンのメモリは16MBに増設され、すこぶる快適になった。
PCパーツひとつでこんなに変わるものか!と衝撃を受けた私は、もっとPCの知識をつけようと考え、PC雑誌を熟読することとなる。
パソコン通信との出会い
雑誌を読んでから知ったのだが、どうやらPCを購入する目的のひとつにパソコン通信をやりたい、というものがあるようだった。当時のパソコン通信といえばなんといってもニフティサーブである。
(インターネット全盛の時代からネットに触れている人は知らないかもしれないが、当時、ニフティはパソコン通信なるものを展開する会社だったのだ。)
私のFMVも14.4kbpsのモデムが搭載されており、ニフティサーブへの接続ができるようになっていた。それならばいっちょ試してみるか、と始めたパソコン通信であったが、子供だった私にとっては特に興味を持てるようなBBS(掲示板)もなく、残念ながらフリーソフトをダウンロードして使ってみる、という程度しか楽しみがなかった。
そしてインターネットを使ってみる
パソコン通信、そんなに面白くないな。世間はインターネットで盛り上がってる。俺も使ってみたい!と思いインターネットを始めたのは小学6年ごろだっただろうか。14.4kbpsのモデムでは遅すぎて、当時安くなりつつあった32kbpsのモデムを購入し、インターネットを始めた。
まだNN(Netscape Navigator)が主役のブラウザの時代。私もネスケを手に入れインターネットを使い始める。私にとっては、パソコン通信よりずっと楽しい空間だった。
インターネットにハマった私は、いつしか32kのモデムから最大128kbpsのテレホーダイに格上げしていた。そして、インターネットで仕入れた情報をもとに、はじめての自作PCを組み上げるまでに成長していた。
1996年~2000年代ごろまでのインターネットと言えば、各々がWebサイトを持ち、CGIでチャットルームを作り、そのチャットで会話し、仲良くなり、ICQとかいうクソ重いメッセンジャーでさらに交流を深める。そんな時代。古き良きインターネッツ。私もWebサイトを作ってみたいと思った。
実は青春時代に出会っていたアクセス解析
Webサイトを作ってみたいと思った私は、HTMLの書籍と「とほほのWWW入門」をもとに、はじめてのWebサイトづくりを行うこととなる。当時のWebサイトといえば、このようなCGIアクセスカウンタを用いて、サイトへの通算アクセス数を測るのが流行りであった。
今思い返せば、紛れもなくこれが私にとってのアクセス解析の原点だった。こうして、自分が作ったWebサイトに人が集まることの喜びを知った私は、より詳細な解析を求め、「忍者アクセス解析」を自分のWebサイトに導入し、さらに詳細なアクセス解析を行うこととなる。
当時はまだ相互リンクやら、Yahoo!にインデックスしてもらうなどが主なアクセスアップの手段で、そうした施策を行っては、アクセス数をチェックする、そんなことをしていた中学時代であった。
そして約7年の歳月が流れ
いつしかWebサイトの運営も止めてしまった高校時代。私はすっかり2chを見て時折書き込むだけのただの2ちゃんねらーと化していた。高3の大学受験勉強のときも、大学受験板に張り付きながら勉強する毎日。そんな自分でも無事大学にも入学することができ、ダブることなく卒業し、かねてより興味のあった不動産業界の企業に就職することとなった。
アクセス解析に本腰を入れることになった社会人1年目
不動産業界に勤めることとなったものの、やはりインターネットに興味があった自分は、その不動産会社のWebサイト運営チームで仕事をすることとなった。
私が配属された部署はWebサイトの集客から制作、開発までひととおり担当していた。そんな部署に配属された新人ができることなんて雑用しかなくて、私はVisionalistという国産アクセス解析ツールでレポート作成を命じられることとなった。
ここから私とアクセス解析の切っても切れない人生が始まる。このときに任された仕事をもとに今もメシを食っているんだから、人生は不思議だ。
(続く)