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味わい深い暮らしを営む

西会津を愛し西会津に愛される西会津通!の
集落支援員・岩橋義平さんに
町の集落を案内していただいたら、
今へと続くかつての西会津の暮らしが目に浮かんできました。

岩橋義平さん
西会津は5つの地区からなり、
現在は89の集落に暮らしがあります。


やみつきたくあん

最初に連れてきてもらったのは、
奥川地区にある弥平四郎集落。

細い道を山奥へ山奥へと入って行き、
だんだん雪深くなってきて、
途中猿と目が合ったりしながら進んで行った先に
その集落は現れました。

弥平四郎集落

集落の中を歩いていると、優しい佇まいをした
70代の女性に出会いました。
その方と義平さんは気心の知れた仲で、
おうちでお茶をご馳走になることに。

お宅にお邪魔すると、
テキパキとお茶とお茶のお供を用意してくれました。

まずコタツの上に出されたのは
黄色く染まったたくあん。
じんわりとなつかしさを覚えつつ食べてみると
やけにおいしい、、、、、。
お茶とのペアリングが至高で
爪楊枝が止まらない私たちでした。

続けて出されたごま油と醤油で和えた「棒鱈」。
やみつき再来。

私たちがやみつきになっていると
そのお母さんは嬉しそうに、
豆を打って乾燥させて保存食にする「打ち豆」のこと、
誰でもお酒をつくれた時代にはどの家でも
つくっていた「どぶろく」のことなど、
集落の食文化、食べるものを自分でつくる姿勢
を教えてくれました。

自分だったら、
たくあんも打ち豆も何でも
食べたくなったらすぐ
できているものをスーパーで入手して
感謝もそこそこに頂いてしまうと思います。

そうしないお母さんには、
自分でつくる喜びと、
それができる強さがあるように感じました。

「漬ける」
「打つ」
「乾燥させる」
「発酵させる」

という、手間がかけられること。
食べるを待てること。
それは先に楽しみをつくることでもありそうです。

お母さんのたくあんの味わい深さは
お母さんの営む暮らしそのもので、

自分で育てるようにつくったものを
食べるときの幸せと満たされ感と、
自分につくれる、できるという自信。
それがまたつくるパワーになって生きるパワーになる。
”暮らす力が強い”というか、”暮らし上手”というか、、。

聞くところによると
弥平四郎集落は80〜90代の世帯が多く、
比較的”若い”その70代のお母さんたちが2人くらいで
集落の他の家の除雪を担っているのだそうです。

義平さんは
「ここの人たちはすぐには公助を頼らず、
自助・共助の精神が強い。」
と話していました。

ちなみに私は雪国の出身でありながら、
ひとりでは自分の家の雪かきもままなりません。
なんてたくましいんだろう、と
お母さんの生命力に背筋が伸びる思いでした。


湧水をいただく

次に案内していただいたのは、
同じく奥川地区に位置する大舟沢集落。

大舟沢集落

この集落では、なんと生活用水が湧水です。
と言っても口にするためには煮沸が必要。

集落内に貯水のための溜池があり、
1年に1度、水を抜いて掃除をするそうです。

溜池

そこは静かで、どことなく神聖な感じがしました。
水は蛇口から出て当然なものではなく
貯めておくものだったということを目の当たりにして
溜池を前に自分の存在がぽつんと、何か大きなものに
対峙しているような気持ちになりました。

水:ありがたい。地球からのいただきもの。

そばには動物(🐰?)が足跡を残していました💖


祈り

最後にご紹介したいのは、
群岡地区にある熊沢集落を回ったときに
義平さんが教えてくれたことです。

熊沢集落から少し行った先に
かつて「サクバタケ」という場所があり、
そこでは「乳母様(オンバサマ)」と呼ばれる
姥神が崇められていたそうです。

姥神は「奪う神」。
あの世とこの世をつなぐ、
生まれ変わりにまつわる神様なのだそうです。

かつて人々は安産祈願のため、
老女の姿をしている乳母様の像に巻かれた晒を
自分に巻き付け、
無事に子どもが産まれたら
新しい晒を乳母様に巻いた。

「今と違って、身近に医者がいないから
頼る先が神様だったということだね」
と義平さん。

他にも、
集落にあるお地蔵さんの身の回りのことも
集落で管理をしているとのことで、
綺麗な飾りが施されていたり、
ピカピカの手編みの帽子をかぶっていたりと
お地蔵さんの周りが綺麗に保たれている様は
信仰心の表れであるように感じました。

他にも他にも、
飯豊山が望める「花立峠」という、
飯豊山に向けて花を手向ける場所があるのだとか、、。
なんて心が豊かなんだろう、と胸が熱くなります。

しかし、
人々の信仰心は薄くなってきていると言います。

例えば、
かつて町内の多くの集落で行われていた「代参」。

集落の入り口には石の柱と
「古峰神社」の文字がありました。
古峰神社は栃木県鹿沼市にある神社。
火の神様が祀られているとして、
人々は集落で火事が起こることのないよう、
毎年お正月に集落を代表して栃木まで参拝に行き、
御札を持ち帰り、集落の入り口に祀っていたのだとか。

それが今では高齢化も進み、
代参に行く人がいなくなってしまったとのことで、
御札を取り付けるスペースがぽっかりと
手持ち無沙汰そうに空いていました。

突然ですが、
私の心に残っている言葉のひとつに、
写真家・藤原新也さんの
「信じることの愚かさ。信じることの賢さ。」
という言葉があります。
「祈り」という藤原さんの展覧会で出会った言葉です。

藤原新也「祈り」

なんだか、
信じること、祈ることには
生きる強さがあるように思えます。

「村のために」遠くの地まで足を伸ばすとか、
お地蔵さんの身の回りを綺麗に保つとか、
自分のことだけで精一杯な自分にはなかった感覚で。

みんなで生きたいというエネルギーや、
自分のことだけではなく、みんなのことに
時間とエネルギーを割ける心のゆとりを感じます。

そして、そのゆとりは
その人にもともとあるのではなく、
つくるものだと感じています。
自分を満たすことでゆとりが生まれ、
他者にエネルギーを割けるようになる。
という仮説です。

その満たし方は、
食べるをつくることであったり、
地球からの恵みに感謝することであったり、
祈ることであったり。

それは、人間が自然の一部と
自覚して生きることのようにも考えられます。

まだまだ考えも言葉もまとまりませんが、
西会津で営まれてきた暮らしは、
心を満たして、みんなで力強く生きる。
山奥に居を構える集落や田畑を眺めていると、
おのずとそんなかつての人々の姿が目に浮かびました。


番外編 古川利意記念美術館「農とくらし」

奥川地区には、まさに「西会津のかつての暮らし」を
観られる美術館があります。

古川利意さんの描く西会津の人々の暮らしや故郷愛を
奥川の民家の並びにまぎれた蔵の中で観るという
臨場感と特別感。
冬期は休館されていますが、春になったら
ぜひ、味わってみてください。

ほっこりあったかい気持ちに。


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