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『夜と霧』から学んだこと
『夜と霧』の著者ヴィクトール・フランクルはオーストリアの精神科医、心理学者であり、ユダヤ人であったために、ナチスドイツのホロコーストより1942年に強制収容所に収容されました。1945年4月にアメリカ軍に開放されるまで、数ヶ所の収容所に移送されながら、少ない食糧と劣悪な環境の中、簡単に人が死んでいく絶望的な極限状態を生き延びました。
『夜と霧』はその収容所での体験と過酷な状況を生きる人々の精神状態を精神科医、心理学者としての目を通して綴った作品です。日本語を含め17か国語に翻訳され、英語版の発行部数だけでも900万部に及ぶ世界的に有名な著書ですので、ご存じの方もおられるかと思います。
この本に出合ったのはたしか地元の図書館だったと思いますが、20代半ばぐらいのことです。その頃自分は人生の目的って何だろう、という疑問をずっといだいていました。自分の周囲では、社会の中で出世して、高い地位につくのが成功だという価値観が取り巻いていて、そういうことが人生の目的なんだろうかと、ずっと違和感を感じていました。
何かヒントをくれるものはないかと、色々本を物色していた時に『夜と霧』を手にしました。強制収容所の悲惨な実態に心が痛みながらも、精神科医、心理学者ならではの収容者の精神分析と共に、自分の精神状態でさえも客観的に分析している内容に興味をひかれ、食い入るように読み進めました。
その中でとても印象に残ったのが、過酷な状況の中で「もう死んでしまいたい」とフランクルの元に相談に来た二人のエピソードです。
一人には外国で父親の帰りを待つ、目に入れても痛くないほど愛している子供がいた。
もう一人を待っていたのは、人ではなく仕事だった。彼は研究者であるテーマの本を数巻書いていたが、まだ完結していなかった。この仕事が彼を待ちわびていたのでした。彼はこの仕事にとって誰にも代えがたい存在でした。
先の一人が子供にとってかけがえのないのと同じように、彼もまたかけがえがなかった。
そしてフランクルはそのことを示しました。そのことに気付いた時、二人は自殺を思いとどまったということです。
現在、コロナ禍による生活スタイルの変化、ロシアによるウクライナ侵攻の影響による社会情勢の変化など、以前にもまして孤独や不安を感じる人が多いと思います。
自分が『夜と霧』を読んで一番印象に残ったのは、どんなに不安で絶望的な状況であっても、
「誰か」があなたを待っている
「何か」があなたを待っている
ということでした。
決して独りぼっちなどではなく、さまざまな関係性の中であなたは求められている存在なのだ。
自分は必要のない存在などではなく、今は何を求められているのか気付いていないのだ。
自分を誰かや何かのために役立てると思えたら、人は困難に負けることなく乗り越えていくことができる。
そう思えたとき、目の前がパッと明るくなったような気がしました。