「アスリートの評価基準がコロナで変わった」と3月21日の日記
コロナによって「パフォーマンスで評価されればいい」というアスリートやアーティストの居場所が狭まったと感じる。言葉で自分や舞台の価値を伝えられない人はあっという間に居場所がなくなる。なぜならパフォーマンスを披露する場所がないから。
新日本プロレスを観ていると、この1年くらいで人気が高まったレスラーに、KENTA、鷹木信悟、デスペラードといった選手たちがいるけど、3人に共通するのは言葉で自分がやりたいことを伝えられること。新日本プロレスを観ていると、これができないレスラーの存在感があっという間になくなっていった。
むかしのアスリートは、試合で活躍すれば、あとは何をしてもよかった。でも今のアスリートは、試合のレベルが上ったのできちんと準備しないと舞台にも立てないし、舞台の価値をPRし、売上に貢献もしないといけない。頭を使わないとできない職業になった。
現代のアスリートの潮流を作ったのはNBAだと思っている。マジック・ジョンソン、マイケル・ジョーダン、コービー・ブライアント、レブロン・ジェームズ...。彼らはプレーヤーとしてだけでなくビジネスもやり、社会のことを考えて行動し、超がつくほどの練習の虫。
マイケル・ジョーダンがティム・グローバーを雇い、自宅にコートを建てて、ブレックファーストセッションと呼ばれる早朝練習をやっていたけど、いまのNBAの選手にとっては常識、アナリストもつけるし、スキルコーチもつけるし、トレーナーもつける。もうそこでは差がつかない。
アスリートもアーティストも、誰とパートナーシップを組み、どう自分という商品の価値を上げ、どうPRして、どう売るか。自分で組み立てられる人でなければ生き残れなくなった。身体だけ動かせる人では舞台にすら立てない。
いまのアスリートは、トレーニングという商品開発と、自分の価値を上げるためのマーケティングと広報活動ができる人でなければ、アスリートとは呼べない。特にヨーロッパやアメリカで活躍しようと思ったら、このことを理解していない限り、舞台にすら立てない。最近そう思う。
かつて優れたアーキテクト(建築家)と言えば、タバコをくゆらせ、深く内面を見つめながら、静かにスケッチを描く芸術家であった。しかし、今アーキテクトとはそんなスタティックな存在ではない。アーキテクトとは、チャンスがあれば世界の果てまでも出かけてコンペを競うK-1ファイターのような存在である。
ここからは今日の日記を書いています。
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