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プロローグ(微毒かも思い始めた頃)

自分自身を見つめ直すきっかけになった頃のことを話ます。

家族について

まずは、私の家族の概要について。
私の実家は、父・母・兄・私・弟の5人家族です。
兄とは3歳差ですが、弟は歳が離れており12歳差です。

実家は自営で、母もパートで勤めています。
現在は母方の祖父母の介護が始まり、母が定期的に祖父母の家へ通う日々のようです。

母と衝突するちょっと前の私

私が大学卒業後、就職して2年ほどたった頃、水族館が好きという共通の趣味がきっかけで職場の同僚と付き合い始めました(現在の夫)。
職場が同じということもあり、よく仕事の悩みも聞いてもらったりしていたので、不平不満をよく言っていました。その時、彼は「人は変えられない、自分が変わるしかない」とよく言っていましたが、彼が言う言葉の意味が本質的に理解できず、どういうことだ?と考える日々でした。

その頃同時に、家族に対して「なんで?」「どうして?」と疑問に思うことが増え、自己啓発本やYouTubeなどで自分が何故そう思うのかの原因を調べるようになっていました。

調べていく中で
・自分が大人になってからの反抗期になったこと
・母が過干渉ということ
が分かりましたが、そこで出てくる毒親というキーワードを知りスッキリしたと同時に、大好きな母が世間では毒親と言われる人なのかということにも少し悲しみがあり、複雑な気持ちでした。

毒親といっても私の母はおそらく微毒親とよばれるもので、
エッセイ漫画「毒親に育てられました」で有名なつつみさんのように暴力とかがあったわけではないです。

だからこそ、母を毒親ということに抵抗がありました。
そして、私自身も家族や母に依存していた部分も多くあったのだとおもいます。

転機となった母との衝突

母との衝突は数回あり、小さいものだと今もあります。(笑)
私の中での転機となった衝突は以下の3回。

1回目が、弟の面倒を見て欲しいという母からのお願い
2回目が、実家を出たいといったこと
3回目が、夫と母の衝突

この3回で自身の心境も環境も大きく代わりました。
また彼とは結婚前提で付き合いはじめていたことも心の支えや後押しとして大きくて、母や家族と衝突しても大丈夫という安心要素にもなっていました。

次回

次の記事で母と衝突した3回について書こうと思います。


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