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緋色の月が浮かぶまで(11)
前回はこちら↓
罪請けの当日。
空には緋色の月が昇り、我はそれを社の上から見上げていた。
隣には緋月がおる。顔にも、手にも我が描いた模様が刻まれ、神妙な面持ちで空を見上げておる。
淡く輝く紋様、それは我に肌を晒した緋月を見て筆を握った途端に脳裏に浮かんだ物じゃった。
よく――似合っておる。
「では、私は中に戻ります」
「うむ」
言葉を紡ごうかと思うたが、返事程度しかできなかった。
「また後ほど」
淋しそうに我の手を離した緋月じゃったが、すぐにいつもの笑顔を作り梯子を下って行く。
我も、雷蔵の所に向かうとしよう。手水舎の前におるな……
飛び降り、真っ直ぐそこに向かう。背後で戸を開ける音が聞こえたが我は振り向かなかった。
「次郎か」
十を肩に乗せ月を見上げる雷蔵。どこか忌々しげじゃ。我もこのような顔をしていたのじゃろうか。
「この月を、この場で見るのは初めてだが……美しい。少女の命を吸うものだとしても、私はそう思ってしまう」
「緋色の月があるからこそ緋月であるからな。名に籠められた呪いと言うことじゃな」
「ふっ……緋月様と同じことを言うなお前は……いや、お前だからか……」
「どういう事じゃ?」
「何でもない」
一度目を瞑り、十を撫でてから雷蔵は再び空を見上げる。何故じゃ? 何故その様な悲しそうな顔をするのじゃ。
「来たな」
目を細め、顔をしかめる雷蔵。短いその言葉には多少の嫌悪が混ざっていた。
「災いだ。今、私の犬が蹴散らされた。どうやら一直線に社に向かっている」
あの犬が、か……緋月が聞けば悲しむじゃろうな。
雷蔵の手にはよくわからぬが印の様な物が描かれている。それで相手の位置を探っているのじゃな。
我も、何かを感じる。これは……何じゃ? 罪の匂い……?
「村人は湖……危険なのは私たちか……十、お前は予定通りに頼むぞ」
十が肩から降り雷蔵を見上げた後、その場を後にした。
「予定、とは?」
「次郎」
問いの答えをせずに名を呼ぶ。初めて聞く、優しさと悲しみが入り交じった声。
その声はどこか、諦めにも聞こえた。
「緋月様を頼むぞ」
「……うむ、任されたぞ」
我が答えたのはそれだけじゃ。恐らく、じゃが……永き別れのような気がするの。
社の戸を開ける、中には簡素な祠と幾つかの篝火が揺らめくだけ。
そこで緋月はこちらを見つめ佇んでいた。まるで我を待っていたかのように。
「時が―――来ましたね」
「なんじゃと……?」
言葉の意味がわからず我は緋月に歩み寄る。
緋月が立ちあがり、笑顔を向ける。
「賊が出たのですね」
「わかっておるならば、ここより離れるぞ」
「駄目なのです。罪請けをするのは今日で無ければ……此処でなければならぬのです」
そう言うことは何と無く理解しておった。何故だか知らぬが、よく、理解できておる。
じゃが、緋月を失いとうない。どうすれば良いのだ?
「共にいましょう。私の舞を……」
「じゃがそれでは……禁を、鬼の、妖の罪を請けてはいけない、良からぬ事が、本当に、良からぬことが起こる」
我の脳裏に浮かぶ。
人……鬼……舞……血……? 血なまぐさい何かの記憶。これは我の……禁を破った我の記憶?
「私は元よりそのつもりです」
「なんじゃと……?」
「時が満ちるまで、ここで、共に」
「共にいるのは構わぬ。じゃが、禁は破ろうとするでない」
我は緋月の肩を抱き寄せた。
こうなった緋月は梃子でも動かぬ。わかっておる事……それに、時を待たねばならぬ気がしたのだ。
四半時、地を蹴る乱暴な足音。
振り向けば血濡れの男が三人程立っておった。
そうか、雷蔵は……逝ってしまったか。
「見付けたぞ! 緋月の巫女だ!」
「お待ち、しておりました――緋月の血を分けた者達よ」
緋月が言葉を紡ぐ。刃を持った男たちの行く手を阻もうと我は身体に力を込めたが緋月に手を取られた。
金色の瞳を我に向けておる。何故か知らぬが我はそれで身動きが取れなくなった。
緋月は鈴のついた儀礼用の剣を賊どもに向ける。
その表情はどこか穏やかだ
「緋月の一族、儀式を終わらせるなどこの俺が許さん。罪を、俺らの罪を永劫に、請けてもらおうか。今までの様に」
男の言葉に緋月は首を横に振った。
「先代も、先々代も、あなた達の存在には気づいていました。緋月から別れた一族、負い目もありましたのでしょう。だから、過去の緋月は潜むあなた方の罪を請けていた。私は、あなた達の為に罪を請けません。ですが――」
――リンッ――
鈴の音が、辺りに静寂をもたらす。
罪請けが、始まるのだ。
つづく