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緋色の月が浮かぶまで(3)

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 我は空を見上げる。
 この寺の屋根の上はやはり地にいるときより天が近いのぉ。
 それにこの雪じゃ、知らぬうちに降りしきり降り積もりよってからに。日課の屋根のぼりがし辛くてたまらんわ。
「そう思わんか?」
 膝元で寝転がるとおの背を撫で、こやつを抱えたまま賽銭箱の前に飛び降りた。
 緋月の社、この名も無き村で緋月の為にある場所……何故緋月が神のように扱われておるかはまだ教えてはくれぬ。
 もう六十も月が昇ったのじゃ、少しばかり教えてくれても罰は当たらぬと思うのじゃが……
「何をしている?」
「む、雷蔵か……日課の物思いに耽っておった。おぬしが全然緋月の事を教えてはくれぬからの」
「そろそろ教えといても良いか。昼になれば緋月様は森に入る、その前に」
 一人でぶつぶつと呟いた後、雷蔵は石段に腰掛けた。
 そして懐から紙で出来た人形を取り出すと我に見せ付ける。
「緋月様はこれと同じだ」
人型ひとがた……かへ?」
「うむ、紙でできた人形が人の穢れを吸うように、緋月様は人々の罪を請ける力を持っておる。代々受け継いだ技法と呪式を」
 神のように扱われるされる理由はそんな所にあったとは……じゃが、人の身でかのような事をすれば。
「壊れるだろうな。緋月様は、自らの滅びも全て受け入れておるのだ。だから止められん。先々代も、そうであった。ならば私に出来るのはこの身の老いを止め、緋月様を見守り、親代わりに育てる事だけだ」
「先々代……」
 聞いてもおらんのに先々代の話を出す。という事はおそらく、雷蔵にとっては特別な緋月じゃったのだろう。
「齢はいくつじゃった?」
「二十に満たぬ。短命だ。それに添い遂げる者も。一種の呪いだな。これは」
「緋月は……」
「今代は十九……少々遅いな。だが、いずれ罪請けの本格的な儀式を執り行う事になるだろう。止めるでないぞ」
「緋月の望みじゃからか?」
「うむ」
 人形を我に押し付ける雷蔵。
「もっておれ、くれぐれもお前は緋月様に罪を請けさせてはならぬぞ? 鬼の罪を受けるなど、碌な事にならぬからな」
 儀式自体が碌な物でないと返そうとおもうたが、去ってゆく雷蔵の背中がとても寂しい物で……止めにした。
 どうする事もできぬ。共に過ごした中でわこうたが緋月は、頑固じゃから。初めて我をあの部屋から連れ出した時もそうじゃったから。
 六十の日を過ごし、その事は良くわかっておる。
 妙に我に懐いてしまっている事も深く、理解しておる。
 それからしばらくの時間、資料を詰めてある蔵に我はいた。
 雷蔵の奴から緋月について聞いたが、我についても知らない事が多い。そう申したらここに案内されたのじゃ。緋月巫女の神社に封印されておったから、我と巫女と関係あるのでは無かろうかと思うたからだ。
 随分長い間空けていなかったらしく埃が充満していて息苦しい。それに、ここの資料の一部は過去にあった火事で殆ど焼けているらしく、読めぬ物も多い。何より煤臭い。
「見つかったかえ?」
 首を振る十。我も手に持った巻物に目を通すが、途中で焼ききれておる。
 とりあえずは鬼の罪を請けるてはならぬという走り書きあるという事が解ったが、それについても何も書かれておらん。
 しかし、我が繋がれていた理由もそこにあるのじゃろう。何故かは知らぬが、我にはそう感じるのだ。
「じ~ろ~う~」
「む……緋月」
 緋月が呼んでおる。行かなくては。
 埃を払い、十を肩に乗せ蔵から出た。
 視線の先、境内では緋月が我を探しているのかどうか解らぬクルクルとした動きで名を呼んでおった。
 そういえば昼頃に森に入ると雷蔵は言っておったの……
「我の部屋に包みがある、軽いからすぐもってこれるだろう」
 十に荷物を持ってくるように頼み、我は緋月に声をかけた。
 すると嬉しそうにこちらに駆けようとし、雪に足を取られ盛大に転げてしまう。鼻先が少々赤くなってしもうたが本人はあまり気にしてはおらぬようだ。
「少しは落ち着けい」
「えへへ……」
「森かえ?」
「何故、知っているのです?」
「雷蔵から聞いたのじゃ。何をしにいくかは教えてはくれぬがの」
 荷物を引きずりやってきた十がそれを我に渡すと緋月の肩に乗る。
「いきましょ~」
「うむ」
 我は緋月の案内で森に入って行く。
 境内にも雪は積もっておったが森は一面雪景色であり少々歩きにくい。
 それすらも楽しいとさくさく音をたて緋月は歩む。
「ふふ、白いです」
「そうじゃな」
 小さな子供のように、無邪気な笑顔で緋月は言う。
 雷蔵が言うには確りとした勉学などに励み始めたのはここ数年、それまでは無機質な少女であったらしい。
 緋月のこの笑顔が見れるのも――
「……」
「見て、うさぎさん! 次郎……?」
「ん、ああ、すまぬ、ぼんやりしておった。兎か――」
『兎さんですよ』
 いま、何か……
「またぼんやりしてる~変だね」
 十に覗き込まれて我は正気に戻った。
 たまに今の様に記憶に触れるが、気にしている時でもあるまいし、今更思い出したところで何の得にもならぬ。そう割り切って我は頬を叩く。
「確りせい我」
「わぅ!?」
「ああ、確りしたぞ緋月。脅かしてすまぬの」
 気を取り直し、我らは森を歩きなおす。
 動物に遭遇する事が妙に多い、いたるところで緋月が交流しておる。どうやら言葉がわかるようじゃ。だから獣と会うし、獣たちも心を許しておるのだろう。そして、この我も。
「そろそろ……」
 森を抜ける。そこには巨大な湖が広がっていた。
 太陽の光が反射して輝く湖に心を奪われる。十でさえ肩から降り湖を見つめ止まっている程じゃ。
 そんな我等を優しく笑い、歩みを進める緋月。やがて、石積みがある所で足を止め、屈んだ。
 石積みには花が添えられ、まるで墓のようにそこに佇んでいた。

つづく

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