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緋色の月が浮かぶまで(4)

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「墓……」
 線香に火をつけ、緋月は手を合わせた。表情からは感情がうまく読み取れぬ。どうもこの墓に眠る者には複雑な感情を抱いておるようじゃ。
「妖怪さん。また、きたよ~これで、何度目だろう? 今日は十も……次郎も一緒だよ~」
「妖怪が眠っておるのか」
「ここに住んでいて、私を見て緋月が来たと喜んでくれたの」
 遠く、優しい目をした緋月の様子からその妖怪が言う『緋月』が別の者だと言う事が何と無く感じられる。
 それでも緋月はその事を告げなかったのじゃろう。自らの事を慕う妖に、現実を突きつける事は出来なかったのじゃろうて。
 ふと、我の手が雪を握っていることに気づいた。無意識じゃったが、何をするべきか何と無く理解できる。雪を固め、形を整え近くの木から青々とした葉っぱと赤い木の実をもぐと、それを雪の塊に差し込んだ。
 我の手を覗き込んだ緋月と十にそれを見せてやる。
「うさぎだ」
「雪うさぎじゃ。そこな妖怪が好きかも知れぬと思ってな」
 それを石積みの傍らに添えると我は包みの中から饅頭を取り出し備えてやった。
 朝こさえた物じゃ、口に合うか解らぬが我の好物での、おぬしも好いてくれると嬉しいのじゃが。
「あはれ。不思議な気持ちじゃ。会った事も無いというのに……」
「これ、使う?」
 緋月が差し出したのは扇子じゃった。それが緋月の家に伝わる大事なものとは良く知っている。それで何をするのかも。
 我は扇を開き、立ち上がり、腕をゆるりと伸ばした。
 涙が、あふれ出る。
「は――!」
 言霊を紡ぎ、我は舞う。
 名も、知らぬ、も、知らぬ、じゃが、身体はそれを確りと記憶しておった。
 やがて研ぎ澄まされた五感が、不意に力を失う時、我は現実に引き戻された。
 地に手を着き大きく息を吐く。先ほどまでの舞がどのような物だったかもう既に思い出せぬ。
 涙が止まらぬ。もしや我はあの墓のそこの者と親しい人であったのだろうか……? じゃが我は緋月では無い、となると我は?
「次郎。大丈夫?」
 混乱する我の肩に緋月が手を置き我に語りかける。
「うむ、すまぬ。これを返しておく」
 扇を緋月に返す。名残惜しいがこれだけは返さねばならぬ。
 息を落ち着け、我は石積みを見ながら座った。やはり、あれを見ると懐かしさが込みあげて来よる。
「わう、見事な舞でした~」
「我は、何の舞をしたのじゃ……? 記憶に無いのじゃが」
「それは……鎮魂の舞ですよ~」
 一瞬言葉に詰まる緋月じゃが、すぐにいつもの調子に戻る。知らなかったのか?
「あの子も、喜んでくれる筈です。私が舞うと罪請けしてしまいそうだったので」
「そうか。緋月は妖の罪は請けてはならぬからの」
「……そう、ですね」
 不意に口走った我の言葉に少し残念そうに緋月は言う。その後は二人静かに水面を眺め饅頭を食べ我は先に神社へと戻る。
 緋月はまだやることがあると湖に残った。
………
……

「月ははやもでぬかも……」
 社に戻った我は屋根に登っていた。
 辺りは暗いが未だ月は昇らぬ、そして緋月も未だ戻らぬ。
 暇を持余す我に気づき、雷蔵の奴がやってきた。
 巻物を手にし、肩には紙でできた犬のような生物を乗せておる。犬では無いが……妖力を感じるの。
「何じゃ?」
「舞ったと聞いてな」
 ちょちょいと肩に乗った奴に目をやる雷蔵。どうやら十と同じくこやつの式のようじゃ。
「あれか……我にも良くわからぬが自然とその動きになりよったわ」
「やはりあの光は……」
「む」
「なんでもない」
 雷蔵は我の隣に腰をおろした。肩に乗る獣が「わう」と小さく鳴く。その獣からは緋月の匂いがかすかにした。
 成る程、成る程……あやつがよくわうわう鳴くのはこやつと幼少を過ごしたからであったか。納得、納得。
 一人で納得していると雷蔵が巻物を広げ始めた。
「私はな、次郎。おぬしが緋月様と共にいてくれて、とても良かったと思っている」
「始めの内は引き離そうとしたみたいだがの」
「そうだな。万が一、というものがあった。だが、緋月様は全て承知の上だ。おぬしの解放をこの時期にした事も、緋月一族の先の事も」
「先じゃと?」
「うむ。緋月様は今代で罪請けの儀式を途絶えさせるおつもりだ。その証拠に、子をなしとらん」
 何度も止めるように進言したのだな。こやつ……緋月を好いておるのか?
「異性として好いてる訳ではない、親心だ」
「むぅ……またも思考を」
「私が好いていたのは先々代だ。尤も、違う男の子を産んだのだがな」
「それは、今朝言っていたように、お前さんが短命とならぬようにという緋月の心遣いか?」
「うむ」
 置いて行かれたという事か……残酷なものじゃ。
「次郎は、緋月様のことを好いておるか?」
「聞くまでも無かろうに」
 緋月を好いておる。アレが何を隠していようが、破滅へ向かっていようがそれは関係ない。関係ない。
 本当は緋月ともっと居たい。それも、あ奴はかなえてはくれぬのだろう。
「打ち明けよ。私にはそれが出来なかった。だから、お前には想いを伝えるべきだ。最後の緋月に」
 後押しする雷蔵。じゃが我の耳は後に続く言葉を聞き逃す事は無かった。
「……先は永くはないが」
 悲しく、小さく、吐き捨てた言葉。
 その言葉を後にして我は一目散に駆けた。
 待ちに待った月が顔を覗かせ、光が、辺りを照す。雪が淡く輝くその様子は非常に美しい。
 それは湖も同じじゃった。
 そうっと、息を呑む。胸が締め付けられるかのように苦しい。じゃが心地の良い苦しさだ。目の前で舞う少女に恋焦がれ、瞳奪われておるのじゃから。まるで水面に映る美しい月のよう。我の舞とは違う。本物の『鎮魂の舞』儀礼用短剣にくくりつけられた鈴の音が、リンッと静寂を引き裂く。
「――あ、次郎」
 舞の余韻に浸り瞳を閉じていた緋月は我に気付くと笑みを見せた。
 嗚呼、愛おしや――
「わ」
 緋月の身体をそっと抱き寄せる。温かいものよの……
「緋月、我はおぬしを好いている」
「じろう、私は」
「わかっておる。今代で緋月は全てを終らせるつもりじゃと、じゃから我の恋心など、報われなくても良いのだ。ただ、お慕いしていると、それだけは伝えておくべきじゃと感じたのじゃ」
「ずるいです」
 我が胸から離れ、緋月は背を向けた。やはり、届いてはくれぬか……
「お慕いなんて、私が言いたい言葉を使うなんてずるいです!」
「そ、そっちかえ!? なら今からでも言うがよい」
「え、じゃぁ~~っ……!」
 顔を真っ赤に染め我の胸を叩く緋月。そも様子からは先ほどまで儚げに舞っておった美しい姿の面影は無い。
「気恥ずかしい! 恥ずかしいです!」
 む、むぅ……結構本気で殴られているぞよ……無理も無しじゃな……我に愛を告げよと申しているのと同じなのじゃから。
「じゃが、我を好いてくれている事は解った」
 緋月がこくこくと頷き、顔を上げる。そして瞳を閉じよった。
 口付けか、お安い御用じゃ。
「ん……」
 我は緋月に口付けをしてやる。離れぬように、しかし加減を間違えぬように抱き締め長い口付けをする。
 唇を離し、見詰め合う。
「足りぬ」
 瞳を逸らし、離れようとした緋月を抱きすくめる。動揺する緋月の唇を多少強引に奪い、塞いだ。
 離す物か……! これは! コレは! 我の、われのだ!
「ん! んんー!」
 声を上げようとするが別段抵抗する様子も無く、緋月は舌を絡ませてくる。じゃがしばらくすると両手を我の胸に当て、力を籠めた。
 慌てて離すと緋月は目に涙を浮かべ、俯く。
「すまぬ」
「よいのです。私が……怖くなっただけですから」
 扇を広げ、口元を隠す緋月。今にも泣き出しそうじゃ。
 何をやっているのだ我は、怖がらせてどうするのじゃ……!
 頭を下げる。
「すまぬ」
「次郎のせいじゃあ……心地よくてこのままでは私、身も心も任せてしまいそうだった。でも、ご先祖様と約束しちゃったから、駄目、なのです。せめて、私は罪請けの儀式までは……だから」
 扇を閉じる緋月。我はその続きが聞きとう無い。
「だからね」
 何故ならそれは。
「儀式が終われば、次郎に身を任せたい……な?」
 叶わぬ儚い願いなのじゃから。
「緋月……!」
「わぅ!?」
 また、抱きしめる。驚かせてしまったが、今度は優しく。
「緋月はそれが何を意味するか解って言っておるのか?」
「それは……」
「解って言っているのなら、酷じゃぞ?」
「一つ、考えがあるのです」
「それは何じゃ?」
「…………いえないよー」
 長めの沈黙の後、緋月は誤魔化すように笑顔を作る。
 言ったら、止めるような事じゃというのじゃろうか……
「我を、一人にするでない」
 思わず紡いでしまう言葉、それに応じて緋月は我の背に手を回す。
 暖かい。暖かいのぉ……
 小柄な我よりも小さな少女の温もり、それはまだ我が手にある。
 まだ、無くなる時では無いのだ。

つづく


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