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2-6-8 〈気持ちよく書く〉が書き順の原則

● 「凸」「凹」の書き順から見えたこと
 書き順の原則にこだわってきた。そして,「でこ」「ぼこ」の書き順を歴史的・地理的に調べることで,「正しい書き順」に対する疑問を挙げてきた。

 〈左から右,上から下〉と言う原則を守りながらも細かいところで違いがある。漢字字典によっても違う。国によっても違う。時代によっても違う。もしどれか一つを「正しい」と言うのなら,世の中は間違いだらけになる。
 書き順の原則には〈左から右,上から下〉よりも大きな原則がある。それは〈気持ちよく書くこと〉だ。この原則があるから,1つにまとまらなかった。

 文字を書くのは流れに乗って書くほうが気持ちよい。途中で止められるよりも続けて書きたい。
 下手な字を書く子どもも同じだ。教員を長くやってきたので,きたない字もたくさん見てきた。代表的なのが曲がり角を止めないで丸まって進む線だ。草書ではないのだからかん字は直線を意識して書くのがきれいになる。そういう子には「曲がり角は一時停止」「落ち着いて,下手でも良いから気持ちを込めて」と言ってきた。
 似たことは多くの書家もやっている。↓の線は次の画に向かって跳ね上がる。落ち着いて止めることができない。
 例えば,「圓」だ。略字が「円」。本来は跳ねない「㇕」だったのに,線の最後に束縛がなくなって跳ね上がり「㇆」となった。
 「木」については〈跳ねる−跳ねない〉でやかましく言うのなら,「円」を跳ねるのはおかしい。
 最後は〈跳ねる〉のが気持ち良いのだろう。(逆に「園」の中は〈袁…「衣」の中に「亠口」と入れた字〉だから,本来は跳ねるところ。口の中で縮こまったんだな)

 物語では,それまでバラバラだった出来事が最後になってつながる伏線回収になると気持ちよい。文字を書くときも同じだ。それまでバラバラで書いてきたものが,最後の1本でつながってまとまると爽快感を感じるのだろう。「女」「母」とか「中」「筆」のように〈貫く線は最後〉となる。
 原則が乱れるところは,書く人の気持ちよさなのだろう。

 「万」「方」で使われる「勹」の書き順も「㇆㇓」と書くのは最後にヒューと伸ばして終わりにしたかったのだろう。この字は〈左から右,上から下〉の原則で言えば,中央から「㇓」と書いた方がバランスが取れる。次に「㇆」を書くにしても,先に書いた「㇓」を見ながら「㇆」を書くので形の調整がしやすい。「包」「成」「片」など先に「㇓」を書いている。これを逆に書くのは難しい。「㇆」は書き始めの場所を将来の結合地点として検討をつけるだけでなく,次の「㇓」も「㇆」の曲がり具合が自分の手で見えにくくしてしまう。「万」「方」の書き順は〈左から右,上から下〉の原則で考えるとおかしい。
 最後に「ノ」と伸ばして終わりにすることで気持ちよくなりたかったのだろうと想像する。

 どんなに「正しい」書き順で書いていても,気持ちよく書けないのならばそれは良くない。だから,〈気持ちよく書くこと〉が書き順の原則の第1になる。


(追記) 〈右肩の点は最後〉を書き順の原則の何番目かに挙げる人がいる。最後はピタッと止めて終わりにすることが気持ち良いからだろう。
 かん字の骨組みは隷書れいしょ(秦〜漢)の時代にできた。竹簡に初期の筆で書いていたので自由に動けなかった。その後,紙が発明され筆も発達した。線が自由に動けるようになり,画がどんどん活用するようになる。草書や行書が生まれる。早い話が一筆書きだ。〈骨組みの隷書〉〈一筆書きの行書〉,両者の影響を受けて楷書が生まれた。書き順には行書の影響がある。

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