静岡小学生時代の通学路を辿った日の記録
2025年1月1日、
小学生の頃の通学路周辺を一人で歩いた
高校卒業から十数年、おもしろいものが見たくて、海外はイスラエルからインド、国内は京都から北海道まで、100ヶ所近く、拠点を移動し続けてきた 各地で住み働いて日常を過ごした それなのにどうしてか 退屈感を満たせなくて離れたはずの、地元のなんでもない道を歩く数時間が、どんな旅先よりも刺激的に感じた
その感覚が一週間経った今も尚残るから、記録を残そうと思う
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小学校の周辺に住んでたのは実質小学一年生の一年間だけだった
なのにやたらと記憶が鮮明で、いざ当時の通学路を歩いてみたら、当時の友達や好きだった子の家の位置も全部覚えてて(あのコンビニの裏に宝物を隠したなとか、この公園で缶蹴りをしたなとか、この家の友達とスーファミのカービィをよく一緒にやったなとか、あそこの公民館前の路上でクラスで一番背の高い女の子と喧嘩したなとか、友達三人でクラス新聞を作って一緒に漫画を連載してたよなとか)だけど9割の友達は今じゃ連絡先も知らない子たちばかりで 残ってるものと消えてるものが混在してて
今急にここらへんに拠点を移したらどんな心境になるのかなあと空想したら、それは、どんな海外や都内各地に移動するよりもおもしろそうな気も少しした けれどたまに訪れるから刺激的なのかもしれない
お堀には鯉が泳いでた 鯉はいつもそこにいた 友達と一緒に給食で余ったパンを投げたこともあれば 道端の石を投げつけて目の前の家に住むおばあちゃんに鬼神の如くブチギレられたこともあった そうやって倫理観やルールを覚えていった
「水面ってよく見るとすごいふしぎな模様に見えるよね」と、まるで世紀の発見をしたかのように、風で揺れるお堀の水面を友達と一緒に数時間眺め続けて、めちゃめちゃ酔った時もあった
お金のかからない遊びを無限に発明していた
よく遊んでた同級生のことも、一度きり遊んだ同級生のことも、下校時間の豊かさも、優しかった大人たちのことも思い出した
小学校の近くの民家の軒先にいて、下校中の小学生みんなで可愛がってた「シエル」という名前の犬はさすがにもういなくて、だけど名前が書かれた犬小屋だけはそのまま残ってて、なんとも言えない気持ちになった
先生にバレないように違法に乗り越えて下校してた裏校門を見に行った そこにあったはずなのになくなっていて、それがあったかどうかの確証も持てないくらい、周囲の柵がグラデーションなく全面的に錆びていて
(もしかして、いつも柵を飛び越えてただけだったのか?)(そんなことをしててもおかしくない悪ガキメンバーでいつもいた)(みんな今どこにいるんだろう?)
そんな一人脳内会話をしながら、事実確認ができない昔のことたちが、今も残ってるものと跡形もなくなくなったものとの間に無数に漂っていて、シラフなのにずっと酔っ払った状態か夢の中にいる感覚だった 人とほとんどすれ違わなかったから余計に
地元で一番大きな神社に向かう参道を兼ねた通りに入ると、むしろ普段以上の人が大勢歩いていて、ようやく現実に戻ってきた感じがした
参道を神社に向かって歩いた
地元で一番大きな神社の初詣に行けば、誰にも連絡せずとも、誰かしらには会うかもしれないと、淡い期待を抱いてふらふらしてみた けど、そんな、小学一年生の頃のようなバッタリとした出会いは起こらなかった
年末年始でもなんでもない下校時間にまた歩きに来たいなと思った
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大晦日、地元のおばあちゃんがやる静岡おでん居酒屋のカウンター席で、母親と一緒に年越しをした
カウンター席の右隣には「ノープランで静岡に来た」という謎の韓国人女性が座っていて、話を聞くと、あと一週間滞在するとのことで「静岡でのオススメの年末年始の一週間の過ごし方と観光地」を聞かれた
「そんなとこはマジでない」という気持ちを抑えつつ、浮かんだら教えるねとラインを交換して、後日いくつかの、外国人観光客が好きそうな観光地をピックアップして、画像とGoogleマップの座標を送った
掛川花鳥園、シャボテン公園、三島スカイウォーク、三保の松原、さわやかハンバーグ、ニューアカオ、熱海美術館巡り、伊豆蕎麦巡り
「静岡は名所が県内に点在してるから、静岡の駅周辺だけで過ごすのはもったいないよ」と伝えた
彼女は嬉しそうに反応して、ありがとうね、必ず行きますねと返信してくれた
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でも、本当はそのどれも、自分が静岡に住んでた頃を基準に考えると、一ミリも思い入れもない場所ばかりだった
自分にとっての「静岡」の色濃い思い出は、帰省の度に行きたいなと思う場所は、観光客にとってはなんの感情も浮かばないだろう場所──駿府公園、駿府城城下町の名残を残したお堀周辺の街並み、水落町、水落公園、城東公園、静岡おでん屋(観光客向けに知られてないような)、アイセル21、長谷通り、浅間通り、北街道、鷹匠公園、城北公園──とかだ
それは「県内全体を巡る」どころか、ものすごく限定的な、「3時間もあれば歩き回れるような”学区内”」だ
だけど、その限られた空間を、毎日毎時間、全ての季節で、面白いものを探索して、発見して、日々を過ごしてたのも事実なのだ そしてそれを、数十年の時が経っても尚、観光地の記憶よりもよっぽど色濃く鮮明に、未だに忘れずにいる それは「人格形成をもたらした幼少期の思い出だから」という一言で片付けられる「あらゆる人間の特性的なもの」じゃなくて、ただただ、そこが「本当に魅力的な場所だったから」なんじゃないかなと、やっと思えるようになったのだ
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もしもまた「ノープランで静岡に来た」「滞在期間は一週間」「オススメを教えてくれ」という変わり者に出会ったら、今度こそは、自分が本当に好きな、これらの「ごく私的な場所たち」を、堂々と、笑顔で、じっくりと、直接紹介・案内してあげたい
そんで、完全に意味不明、みたいな顔をされたい
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小学校の校庭の隅っこにあった山、よく遊んでた公園、そのどこにでも必ずあった一番楽しくて刺激的だったバカでかい遊具は、どれもなくなっていた
バカでかい遊具が恋しい
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松田直己