大阪グラフィティー
記憶が定かではないが、万博が開催される1年前の初夏、心斎橋筋を歩くティーンの間でトレーナーの袖を肘から10センチほどのところで切って、その始末をしないで切りっぱなしのまま着て歩くファッションが流行っていた。多くの若い女性が、好みの色のトレーナーをそのようにして着て歩いていた。
パリのモード界での今年の流行というのが雑誌などに紹介されて、流行色とか◯◯モードとかいう言葉でその年の流行を先んじて流布していたが、それとは無縁のところでそのトレーナーが流行っていた。トレーナーはもともとスポーツをするときに着用するために作られたものだと思うのだが、それを袖を切りっぱなしにして着て街中を歩くのが当時、ファッションとして多くの若い人たちが取り入れて楽しんでいた。当時の流行は、テレビとか、ラジオなのど情報からではなく、繁華街での人々の着こなしがファッションの先鋒を感じて取り入れていたのだと感じる。また若者文化を作り出そうとしていた数少ないファッション系の雑誌などの情報が彼らのよりどころになっていたのだと思う。その発端がどこから来たのかは今となってはわからないが、街中での数人の着こなしが、やがて我も我もとその着こなしを取り入れて流行を作っていたのだと思う。
町歩きをして、そのような彼らの流行に何か驚きを感じてこれから起ころうとしている大きな変化がどのようなものか想像がつかなかったが、ただただ何かが起こるんだなという予感を覚えた。それは万博前夜の大きな時代の変化への期待感でもあった。