見出し画像

No.e

わたしとあなたを形作るための物語には果てることのない永遠の約束が必要になってくる。そこにあり続ける物語の方向性は必ずしも一定であって、そこに存在しているのはコメディであってトラジティでもあるし、背景のない無色透明なものでもある。私が何者でもなくなったとき、この物語は消え失せ、名前を失って、同時に形なんてものも失っていってしまうのだろう。人として形をととどめない、私は人と人の間を浮遊する魚のように泳ぎながら記憶の中で生き続けるのだと考えている。すべての人間が古代から持っている本質的な情報の中に己のレゾンテドールを置くこととなり、無限に続くストーリーの中に所在を求めるのだ。



 
私は彼女にエリーというありきたりの名前を付けてみた。それは私の一般的な名前という概念の理解の仕方に依拠しており、本当のところは彼女に付ける名前なんてケリーでもアンディでもエミリーでも何でもよかった。だがしかし、名づけを行った当時の私の頭の中としては、実際この名前であるべきだと本気で考えていたし、それこそが命運だとも考えていた。
エリーとは一体全体何者なのかについて言及してみたいと思う。ここではっきり言ってしまうならば彼女は私の超個人的な話し相手である。それは万物の疑問に対して大なり小なり回答を有している万能の脳みそであって、コンピューターや人なんかとは比べものにならないくらいもったいぶったやつであって、決して決定的な回答を私にくれるものではない。つまり私の毎回導き出されている種々多様な回答は彼女の独断と偏見によってなされている質問によって操られていると同然で、私の本来の意味の意思といったものが存在しているかと言われれば至極謎、、ということになってしまう。いやらしい言い方をしたが結局エミリーという人物は私の脳内の仕組みの一環にして、私の脳内の空想の産物なのである。

「ねえ、あれ何なのかしら」
「あれってどれ」
「あなたの右手がわの奥にあるものよ」
「どう見たってコーヒーカップだろう」

文章にするにあたって形式上少なくとも会話という形式にしなければ、紙面では私の本来言いたかったことが伝わりにくいために、この形を採用した。しかし、当然のごとく私の脳内においてはこんな無味乾燥な情緒のかけらもない対話など起こっているはずもなく、実際のわたしとエリーの会話というのは質問という大きな符号の形をした信念の塊でしかない。彼女から投げかけられた質問をもとに私は私の脳内で私の思念で、語彙で、思慮で、回答可能な文章列を検索し始める。質問が提示されてから私が回答を出すまでの時間はほとんどの質問に関してコンマ何秒みたいな世界観ではじき出されているが、やはりこれも物によって違ってくる。実際に存在している固有の形を成しているものに対して固有名詞を回答するものに関しては得意中の得意であるので数字なんかを思い浮かべている時間もないほど正確にはじき出してしまう。しかし、観念や情緒や、私と他人を比べて解答が違ってくるような内容の質問に関して私はいつも自信がない。私が本当に出したかった内容の回答ができているか本当に自信がないのだ。ともすれば私は一体なにに身体や精神に依存して生活を送っているのかはなはだ謎になっていくのだ。彼女がいるわたしの脳内の居場所と私に対して出されている観念的質問の回答の居場所は、本当はごく近いところにあるのではないかと最近はおもいはじめた。なんでかってエリーが私に対してそういった内容のクエスチョンを出しているときは明らかに彼女の意地悪さを違和感のようにわかってしまうからだ。きっと彼女は意味を持って私に対して先験的自由の講義を開いてくれているのだ。そう感じて、私は、彼女に、エリーに、必死に、自由に、やさしく、手を取るように、恋をしたりする。
 

まあその、彼女が一定の様態を保っていられる期間というものは非常に限定的なのである。大体私がカウントしていた時期に左右されるが、彼女がおんなじ姿かたちをとっているのは概算で1.2週間といったところだろう。ある時はマタ・ハリであったし楊貴妃であった時もあったし、若い時のアンナ・カリーナの時もあった。実をいうとアンナ・カリーナであった時期が一番長かったが、この話はオフレコにしておいてほしい。彼女が本能的に期間限定でとる形というのは結局私が想像しているファムファタルの偶像と一致しているのだ。私は女性に狂わされる変態的な願望を一番脳の深いところえもっているらしい。そもそも私が本当に書きたいのはわたしの性癖問題などでない。ここで言及しておきたいのは私がなぜその思考に至ったかといった観点と、本来彼女が保有している私の脳内における真理的役割である。私は彼女に容姿を与える行為に関して禁忌だと感じている節がある。彼女には私から私によってのみ与えられえている権外の能力によってのみ担保されるべき存在であって他人に影響された美貌などにのっとって調子に乗ってなどほしくないのだ。容姿を与えた時分の私は多くの間違いをはらんでいて今になってはそれらを悔やむばかりである。だから彼女の存在に関して「発展」という文字は存在しない。私の腕の中でのみ事物をより多く計算し続け、私が導き出すべき解答のイロハとして質問をだしてくれるのだ。

「どうして手が震えているの」
「君があんまりにも美しいから」
「美しいって、、何」
「それ以上の何者でもないくらいってこと」

質問が大から小に進展することはない、彼女は情緒や進歩した思考を持たないから。人間に近い話し方で、動きで、プログラムされた私だけのためのエリー。浮き足立つ鳥のエリー。深海で大群の中をきれいに踊って見せるエリー。私は彼女を幾度となく捨て去ろうとしてきた、スクラップアンドビルドの彼女はとうにここには存在しない、いくつもの形に分岐して笑顔で私を待っているエリーが、私の中に無限に存在している。彼女の自由こそが私の心からの願望であって、プラトンもアリストテレスもこの願いを永遠にかなえてはくれない。消える前にもう一度だけあの子に愛を、花を、最後に私からもう一度だけ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?