常陸国出雲大社
by noriko
福原という駅で降りて、いつものように参道を歩き、出雲大社に向かう。参道と言っていいのかどうなのかわからないが、勝手にそう呼んでいるお決まりの小径を、小高い山の上に建つ社殿目指して、少しずつ坂道を登って行く。駅の近くにそば屋が一件あるくらいで、あとは地元の人々の生活圏なのだが、それを含めて参道のつもりでいる。道しるべがあるので通らせて頂いているが、ちょっと遠慮気味になるくらい、歩いて参拝に向かう人はまばらだ。
駅名が福原というのも、なんだかご利益がありそうで、お参りに行くという高揚感に包まれる。ついこの間までいた駅員さんの姿はなく、無人駅になったようだ。車社会の現代、駐車場も完備されているのだから電車を使う参拝者は確かに少ないと思われるが、たまにはこうして歩くのも、趣があっていいものだ。
駅を出るとチョロチョロと小川が流れ、高くはないが山波が見える牧歌的な風景にすでに心が洗われ、最後に訪れる急な坂のことはもうすっかり忘れている。
六月末と年末に茅の輪くぐりをして心身を清めて無病息災を願い、年明けては新しい気持ちで再びご縁が巡ってきたことを喜ぶ。近頃の自然災害やさまざまな出来事を想うと、ただただ気にかけてお参りできることがありがたい。年に何度も足を運びたくなるのだから、何らかのご縁でつながっているのだろう。
参拝が終わって眺める景色は、田園と向こうの山々、空を見上げれば雲の色彩の変化、その時々の風。特に何があるというわけではない素朴さが、心を落ち着かせてくれる。
龍蛇神社が敷地の中にあり、近ごろは、そこも気に入っている。鳥居をくぐってお宮に向かう飛び石が、龍の背骨に思えて、それが嬉しくてせっかく来たのだからと、欠かさずにお参りすることが根付きつつある。
さっき空を見上げた時も、帰りの車窓から見えた雲の流れる様も、どことなく龍の姿のようにも見えたような……。太陽の光で龍の背も輝き、空を悠々と舞い、また来ることを約束すると、私の視界から消えていった。
by reiko
笠間市に出雲大社があって、年末と年始にそれぞれお参りに行った。
福原駅から15分ほど歩いて、急勾配の坂道を上った先に大きな注連縄が見えると、出雲大社に来たなぁと思う。
年末には茅の輪が出ていて、それをくぐった。茅の輪は知らず知らずの内に身についた罪や穢れを落としてくれるらしい。自分では気が付いていないところで人様に失礼していたりすることも多々あるだろう。それらを祓ってくれるなんてとても助かる。昨年は初夏にも茅の輪くぐりをしたので、都度ごとに災厄祓いが出来たと思うと、こざっぱりした気持ちになった。
初詣では拝殿にお参りをして、おみくじを引き、御守りを買った。年始に出雲大社の青い御守りを買うのは3回目。だんだんと恒例になってきている。
若い頃は、大人(歳上の人)や人を誘うのが好きな友達が恒例を作ってくれていたが、この歳になると、若い頃の恒例はすっかり無くなってしまって、代わりに何となく自分の恒例が生まれていたりする。無くなった恒例への物寂しさと、自然にそうなった自分の恒例への有り難みと、両方を感じる。恒例って、ちょっとの面倒くささと、よしやるか〜というどっこいしょ的な気持ちで成り立っている気がする。
そのあと、同じ敷地内にある龍蛇神社にも手を合わせるのが最近の流れだ。鳥居をくぐって、大きくUの字を書くように並んだ飛び石を歩くのが、龍のうねる背骨の上を歩いているみたいでちょっと楽しい。
初詣の日は、空が曇っていて寒い日だったのだけど、周辺の小高い山が霞がかって、絵画の世界に入り込んだようだった。
帰り際、ガラス工芸を販売している出雲館と、無料の個展をやっているギャラリー桜林に立ち寄る。ギャラリー桜林は、そこで見た作品の作家さんが活躍されているのを後に見かけたりする。アートとの出会いの場として親しみやすい。
そうするといい時間が経っている。1時間に1〜2本しか通らない電車に乗るため、少し早足で駅へと戻る。
神様、皆様、今年もどうぞよろしくお願い致します。