シニアはフロンティアを生きている
最近、「シニアはフロンティアを生きている」と思うことがある。
一つには体調管理。
なんのことかと思われるだろうが、シニアの体調管理はむずかしいのだ。
若い時であれば、多少の無理も翌日にはリカバリできることが多いし、昨日は○○をしたから疲労が溜まっている。みたいに、因果関係が分かりやすい。
しかしシニアの場合、何の要因で今の体調になっているのかが、わかりづらいのだ。
疲労が溜まっているのか、風邪の前兆なのか、加齢によるものなのか・・・自分でもよくわからないことが多い。
明日になってみないと、自分の体調がわからないのだ。
毎日、未知の中を生きているのだ。
もう一つは、高齢化社会というフロンティア。
60歳定年は昔の話。今は75歳定年という声も聴くようになってきたが、では社会にそれを受け入れる準備は整っているのだろうか。
多様性がいわれるようになり、以前(昭和など)から比べれば、働き方、働く人の幅も広がって来たとは思う。
ただそれは、同質の社会の中であって、外部からの取り込みにまでは至っていなのではないかと思う。
例えば、勤めていた会社を定年退職後、同じ会社に再雇用してもらう、というケースは今でも一般的だと思うが、新規に人を採用する場合、シニア層が候補に入るだろうか。(この場合の採用は、社員、契約社員、業務委託など多様な形態を含む)
一番の壁はシニアに対するイメージだろう。これはシニア自身にも原因がある思われる。現状の自分のままでよいと思っているとか、状況に応じて自分を変えていくような意識のない方は、この段階では生き残れない時代に入るかとは思う。
もちろん様々な働き方は他にもあると思うので、ここで切り捨てられて終わり、という意味ではないです。
私が望むのは、働き手と雇用側が対等に契約を結べることです。
働く側に意欲があり、雇用側が望むスキルを提供できるのであれば、年齢に関係なく契約を結べるのが、理想だと思う。
そのチャンスが、全ての人に平等に与えられる社会となって欲しい。
そのための行政による誘因があってもいいと思う。
評価の仕方は様々あるでしょうが、一定の評価を得られた会社には、高齢化社会適合認定が与えられて、税制控除があるとか。
高齢化社会に対応している会社が尊敬され、そこで働く人々も幸せ、というのを目指して欲しいな。
くれぐれも「社員〇〇人中、高齢者の割合が〇パーセントあったら、一人当たり〇万円補助します。」見たいなバラマキではなくて。