見出し画像

横瀬にいったい何があるというんですか?

10月だというのに30℃越えのその日、スーツケース2個を抱えた私は、横瀬駅のホームに降り立った。
 
JICA海外協力隊のボランティアに応募して、合格したのは2023年の秋。インドシナ半島中央部に位置する内陸国、ラオス・ルアンパバーンの観光局でホームページの更新やSNSの運用などをするのが主な要請内容だ。

WEB関係の仕事を始めて二十数年、そろそろ会社勤めから卒業したいと漠然と思っていた矢先、海外協力隊の募集をテレビのCMで知った。

海外協力隊の活動といえば、途上国でのインフラ整備や農業指導、車の整備など、技術系のイメージがあったが、ホームページを覗いてみると、自分にもできそうなWEB系の職種もあった。

合格発表から一年、ラオスではなく横瀬に私がいるのは、JICAが合格者に用意した「グローカルプログラム」という、語学研修が始まる前の、派遣前の実習プログラムに参加することにしたからだ。

海外協力隊の任期は2年。その2年間は、言葉も文化も違う異国で、誰一人知り合いのいない環境のなか、いちから人間関係を構築し、周りを巻き込んで活動することが求められる。外国で「私、人見知りなんですぅ」なんて遠慮していると、多分生きていけないんじゃないかな。その点、グローカルプログラムなら、75日という短い期間ながらも、言葉の通じる日本国内でそのプロセスをお試しで体験できる。

ずっと東京で同じような仕事をしてきた私にとって、新たな環境で新しいことにチャレンジできる機会を与えてもらえるのは、非常に有り難いこと。それに、これまでの職歴で経験したことのない観光系のSNSアカウントをゼロから立ち上げて運用することができれば、任国での活動の助けにもなろう。

受け入れ先の横瀬町は「日本一チャレンジできるまち」を掲げ、地域おこし協力隊や地域活性化起業人などの制度を活用し、外部からの人材を積極的に受け入れている。また「よこらぼ」という、新しいことにチャレンジしたい個人や団体を受け入れる仕組みがあり、チャレンジできる土台が整った自治体で、少子高齢化の時代、町の人口が減っていくのは避けられない事として、関係人口を増やすことで、そのカーブを緩やかにすることを戦略として行なっている。

多くの人のチャレンジを見守ってきた横瀬町でのチャレンジなら、失敗しても学びは多そうだ。75日の中で何をやるかについては、実習生の自主性に任されていて、私は「必要とされていること」「やるべきこと」「やりたいこと」の3つをテーマに挑んできた。

「必要とされていること」では受け入れ先である株式会社ENgaWA(エンガワ)のコーポレートサイトのコンテンツ制作を行った。ENgaWAは横瀬町の地域商社で、地域おこし協力隊で活動する人々の雇用先であり、地域の課題解決のための各事業は多岐に渡っており、コンテンツを制作することによって横瀬町を理解するのに役立った。

「やるべきこと」では「横瀬ジャーニー」というインスタグラムのアカウントを開設、横瀬の日常の風景を投稿していった。横瀬町を電動自転車で走っていると、武甲山(ぶこうさん)がどこからでも見ることができる。武甲山は横瀬のみならず秩父地方の人々にとって、富士山のような存在である。秩父出身の落語家、林家たい平師匠がデザインしたゆるキャラ「ブコーさん」は、頭が武甲山で太鼓っ腹の微妙なキャラだが地元の子供たちに愛されている。  

「やりたいこと」については、横瀬町には獣害対策の一環として、駆除した鹿肉をジビエとして製品化しているビジネスがあり、ワイン好きの私は、「横瀬のジビエを楽しむ会」という、横瀬のジビエを地元秩父のビール、日本酒、ワイン、ウィスキーと一緒に楽しむ、ペアリングディナーを企画した。「横瀬のジビエの魅力を伝える」を大義名分としているが、何のことはない、自分が食べたかっただけだ。

成果については、たいして重要ではない。75日でできることはたかが知れており、誰も期待はしていない。だが、そのプロセスで地域に溶け込み、人との関係性を築いていく過程で体験できたこと、考えたこと、悩んだことは、確実に私の財産となっているはずだ。

12月20日、実習プログラムが終了。
75日間の、まるで夢のような横瀬での日々は現実に戻った。

村上春樹の名紀行文「ラオスにいったい何があるというんですか?」に倣って「横瀬にいったい何があるというんですか?」と問うてみる。

横瀬町にはこれまでの私の日常にあったものは何もないけれど、「武甲山をはじめとする素晴らしい自然」や「棚田や果樹園、茶畑などの里山の風景」があり、「やりたいことにチャレンジして、幸せに生きている素敵な人々」がたくさんいると答えたい。

いいなと思ったら応援しよう!