文章の長さについて
文章の長さは、文字の数で数えられる。私の体感だが、noteにおいて1000字を超えると「長い」。「長い」というのは、これを読むためには一つ腰を落ち着けて読まないといけないなという気負いを感じさせる印象のことである。
短い文章に目を走らせているときは、読むというより「確認」という印象が強い。書いてあることを、確認する。共感できるなら、うなずいてできないなら、自分とは違う考えなのだな。と瞬時に判断してしまう。書いている方も、読んでいる方もその距離感を認め合っている。無理にすり合わせることもしない。わからないものは初めからわからないし、わかるものは初めからわかっている。
長い文章はそれとは違い、書く人が読む人にあるメッセージ性を投げかけていることが多い。まとまらなくて、長くなっている時もあるが、とにかく何かを伝えようとしている。ただ単に事実や考えを読む人の教えてあげるだけではなく、読む人に何か変化を期待するしている。ここが、短い文章とは決定的に違うものである。
読む人の変化を期待するかしないか。それが文章の長さに表れていると思う。これは私の印象から導き出した考えであって、全ての文章に当てはまるとは言えない。短くても、相手にうったえる文章もあるし、長くても特に期待せず気ままに書いている文章もある。
しかし、文章の機能について考えるならば、人を説得するためには多くの文字数がいるだろう。だから、文章の長さで迷うときは、どのぐらい強く人を説得したいのかという基準で考えるのもありだ。
文字を多く使うことによって、様々な前提知識を共有したり論理を積み重ねたりすることができる。さらには、物理的な長い時間を文章とともに過ごしてもらうことができる。
何を伝えたいのか、どのぐらいわかってほしいのか。自分の中でわかってくれば文章の長さがどれぐらい必要なのかの見当がつく。
もちろん、書く前からそんなことがはっきりわかるわけがない。何も、一つの完結した文章だけで伝えようとしなくてもいい。書いてみて伝わらなければ、さらに書き加えたり、言い方を変えてみたりしつつ書き続ける。noteだったら何度も投稿のチャンスがある。記事を書いていくうちに、読んでくれる人と共有できるものが増えていくかもしれない。同じことを書き直したり、違う文脈に組み換えたりしてもいい。
一つの記事でいえば、文字数の長さは1000字などという桁だが、一つの記事で飽き足らず、書き続けることを考えると結果的にはさらに多くの文字数が必要とされている。一つの記事では終わらない。何年かかるかもわからない。その人を説得するとは膨大なスケールで行われる作業なのである。だとすれば、一つ一つの記事の長さの違いは大きなものではない。書き続け、文字を積み重ねていけばいつかは伝わる。本当に伝えたいことがわかってくる。
最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!