「わからん」の一歩先へ
わからないことがある。
「人の心がわかってない」と言われた。その時の不思議な気持ちを忘れられない。今まで人に心があるなんて当たり前だと思っていた。そして、それでわかったような気がしていた。「わかっていない」と言われた瞬間、その当たり前のことが全て覆された。街ゆく人が、そして自分が今まで信じていた価値観が全て信じられなくなった。自分はわかっていなかったのだと初めて気がついた。
それ以来、人の心がわかったのか。私はまだよくわからないと言うだろう。むしろ、分からなさが常態化してきている。「人の心なんて死んでもわからん」とあの時、開き直ってもよかった。しかし私はそのまま黙って、「わかっていないのかな」と自信なさげに疑っている。あの時崩れ去った自分の世界観を、少しずつ修正しながら再建中である。
自信が回復してきたのは、人の心がわかったからではない。わからないまま、なんとか生きていられることが、かろうじてわかったからである。そして、世の中にはわからないことが当たり前のようにあることをだんだん飲み込めるようになった。宇宙の果ての話とか、なんでそこに花が咲いているのかとか、なんで海は美しいのかとか。自然に限らず「人の心」という常に目の前にあるのにもかかわらず、わからないものに囲まれて、人は生きているのだということがわかった。
人の心は相変わらずわからん。わからんが、あの時開き直らなくてよかったとも思っている。死んでもわからんと言ってしまった瞬間に私は、わかろうとしなくなってしまったはずだから。
あの時言いくるめられて絶望した私は、それから一歩進んでいる。わからんまま、生きているということ。そしていつか、わかりたいと思っていること。考え方とか、能力の話ではない。ただ、わからないままそこにいるということで、もうすでに一歩進んでいるのではないかと思っている。
わかるかわからないか、という二つに分ける必要はなかったのだ。わかっていても、なんとなくわからなかったり、背伸びしてわかった風にしていたり、わからなくてもなんとなく気持ちが伝わってきたりもする。だから、そんな風にわかるということの味わいを知った私はちょっと自信をつけた。
今なら、人の気持ちわからないから、教えて欲しい。と素直に聞ける。
最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!