読者に考えてもらう文章を成立させるためにはどうすればいいか
「読者に考えてもらいたい」という書き手の想いは、読者の「できれば考えずに読みたい」という想いに反する。しかし、書き手が伝えたいのは必ずしも結論だけではない。では、考える文章を読んでもらうためにはどうすれば良いのか?
考えをそのまま並べた文章は、考えずに読みたい読者にとっては不親切である。なぜなら、論理を追って最後まで読まないと目的の情報を得ることができないからだ。だから、文章の最も効率的な形は、読者が求めているものを、求めているぶんだけ与えることだ。極端に言えば、結論だけの文章である。
結論だけを書けばいい、と言えば話は簡単だが、書き手としてはどうも気に食わない。書いた気がしない。自分じゃない。表現じゃない。結論だけでは誰が言っても同じような物ではないか。何より、じっくり考えてもらいたい。せっかくの自分の意見だもの。
そう感情的に反対してもいいが、もっと冷静に考えてみても良い。
読む人が「考えないために読んでいる」とはどういうことか。
例えば、簡単に「金槌の値段を知りたい人」を設定してみよう。彼は金槌の値段を知りたい。そのときに見るウェブサイトはnoteではなく、通販サイトだろう。ウェブの検索クエリに直接「金槌 値段」と打ち込む。経済学の理論や、金槌業界の現在の状況などは関係ない。ただ、金槌をいくらで手に入れられるか、それだけが知りたいのである。
なぜ彼はそんなに急ぐのか? それは簡単なことで、金槌を手に入れて釘を打ち、ものづくりをしたいからである。最終的な「ものを作る」というという目的に集中したい。安い金槌を手に入れてさっさと早く取りかかりたい。
つまり、「考えないために読む」とは実は別に考えるべきことや大事なことに集中するための一つの方法なのである。彼は別に考える意識が低いわけではない。集中するべきことがらを把握し、それにきちんとエネルギーを使おうとしている。むしろ健全である。
だから、「考えてもらえる文章」とは金槌の値段を事細かく説明する文章ではないことは確かだ。そのような文章よりも、通販サイトの方が彼にとって有用である。
また、金槌の値段を経済学理論から導き出せないからと言って、彼に「もっと考えるべき」ということはできない。むしろ、彼は安い金槌を早く見つけ、本当に考えるべき「どこに釘を打つべきか」とか、「どうやったらうまく作れるか」というようなことを考えている。
つまり「考えないために読む」人は、実は考えるために読んでいる。
だから考えてもらえる文章を成立させることただ、考えさせるだけでは足りない。
考えるべき問題を自覚している人に、ちゃんと届く文章が必要だ。
自分が考えていることを真摯に書くこと。その問題意識を共有してもらう工夫をすること。読まれた数や、難易度は関係ない。自分と問題を共有した人が、さらに考えるべき問題や本当に考えたかったことに進むことができればそれでいい。
その根本が見えていれば、「考えてもらえる文章」とそうでない文章を分ける必要性はあまりない。届くか届かないか、読む人にとって必要か必要でないかだけが大事である。それがなければ、読者に「考えこませる」だけで本質を見えにくくしてしまう。
「何を考えるかどうかは、人それぞれ」ということが、結論になる。書く人は、前もって読む人を知ることはできない。読む人は、自分の知らないところで考えているかもしれない。しかし、書いたら読まれるまで、待つしかない。
結論としてはあまりにも弱々しく曖昧で、何も言っていないに等しいと思うかもしれない。
しかし、「本当に考えるべき」面白い問題はここからである。
インターネットに考えず読める情報しかなかったとしよう。そのときインターネットは、手段としての情報しか持ち得ず、本当に考えるべき目的にはなり得ない。また、経済学理論しか書いてないインターネットも使いにくい。
インターネットの文章は多様性で溢れるべきだ。
ことさら私が考える文章を強調しているのは、私の意見にすぎない。「すぎない」と言えるもの、みんなそれぞれ抱えている問題が違うからだ。その中で、私は考える文章が好きだし、それをどうしたら同じようなことを考えている人に伝えられるのかを考えていきたい。
「みんなそれぞれ違う」からさらに考える。
そのとき、本当に大切な問題とは何か。考えることの究極的なところが問題になっている。
金槌の値段について本気で考えたって悪くはない。それが、その人にとって最高に楽しいならば、掛け値なしに素晴らしい。
さて、その「楽しい」、「素晴らしい」が本当に考えることのゴールか?
どんなもの、どんな考えもその背後にある根本的なもののためにある。なぜ考えるのか、考えた先に何があるのか。なぜ、考えることは素晴らしいのか。私が書いている文章も、それ以上の何かのために書かれていると思う。
その根本的なもの、とは何か。それについてはまた今度、書きたいと思う。