見出し画像

ダイアローグ

ぱちり。
とん。
ぱちり
とん。

ぱちり。
とん。
ぱち。
とん。
ぱち。
とん。
ぱちり。
とん。

ぱち。
とん。

ぱち。
とん。

ぱち。

とん。

ピッ、ピッ、ピッ、ピッ……

「負けました」

「ありがとうございました」

「ここで角じゃなくて、歩で……」

昨日の対局のことを、思い描いていた。目の前にある詰将棋の図式を見ていたはずなのだが。何度も読んでページの端が切れている。脳はどうやって、この「問題」を処理しているのだろうか。ページは動かない。マスのなかに書かれた漢字の記号から導き出される一つの答え。

1+1=2

それがわかるのと同じ。

問いかけたら、そう返ってきた。だとしたら、数学の問題をどうやって処理しているのだろうか。

そんなことを考えながらも、ページを繰る。小さな花火が散るように、一つ一つの図式から「答え」が浮かんでくる。

「将棋盤ってどうやってイメージしてる?」

視覚でイメージしている。
もし詰将棋の図式を見ていたら、「文字」を動かしてその先の盤面をイメージしている。
もし実際の将棋盤を見ていたら、プラスチックの駒の見た目そのままをイメージして頭の中で動かす。

「たしかに、対局するときずっと見てるもんね」

たぶん、目の前に起こっている現象から目を離すのが怖いから。それは普段の生活でも同じ。人に話しかけられても気づかないし、周りを見て行動しなければいけない。それで、「見る」ってことが自分の中で大事なんだな。

相手は、目を閉じる。盤面ばかり見ていなかったから、気がつかなかった。でも、昨日は確かに目を閉じて考えていた。
現実に起こっていること、にとらわれないから、頭の中で自由に想像の世界を展開できる。その方が、早いし自由だ。
その考え方には、憧れもするけど、どうやっても将棋盤を見てしまう。たぶんそれが、自分の体に刻まれた「考え方」なのだろう。

「けれど、足を掬われる時もある。あんたは勝つときはずっと地道に押してくる。」

でも負けるときは、鮮やかに負ける。視覚の外から訳のわからないものが襲いかかってくる感じ。でも、同時にあのひらめきの感触があって、それはたぶん快感なのだろう。ひっくり返されれば返されるほど、目の前の自分が思っている現実にのめり込むほど、火花は明るく光る。今まで見ていたものの意味が、すべて変わっていく。

その瞬間まで、相手が何を考えていたのかよくわからない。その瞬間まで、同じ盤面を挟んでいるとは思えない。
それほど、手応えがない。
似たような考え方をしている人と、対局するときはお互いに押し合っている感じがする。まさに戦っているような。一手先を読んだ方が勝つ。
でも、昨日は途中まで、お互いに好き勝手やっているような感じがした。

勝負しようと思っていたのに、散歩に誘われた感じ。向かい合って戦おうと思っていたのに、なぜか並んで歩いていた。気がついたら、知らない場所に連れ込まれていた。

「この勝ち方、危険だからあまりしたくない……あんたにしか使えない」

埃っぽい地下の部室から、器具を運び込んで空いている教室に移動する。大盤、チェスクロック、駒箱。
移動しやすいように盤はビニールのものを使っている。昔は部室でそのままやってたけど、部員が増えてからは入りきらなくなって、教室に移動してから対局を始めることになった。
埃っぽい部室にずっといるよりかは、健康的と顧問は言うけど。

「断然、地下の方が集中できるでしょ。将棋の音しかしないし。暗いし。」

それは私も同意する。

「あたしたちだけ下でやるか。」

それは顧問が許さないだろ。というか、後輩に指導するのは誰だ。

「いや、あたしあんたとやるために来てるんだけど。それに、他に強い子いるから大丈夫っしょ。強かったら学年関係ないし。」

いつからか、彼女はその考えに取り憑かれて毎回部室を移動するたびに、愚痴り出すようになった。なりふり構わず人に聞こえるように話すので、話しかけられている私も辛い。とりあえず、何も答えずに私はやり過ごす。黙って教室に向かい準備を始めると、仕方なく彼女もそれに従う。
結局将棋ができればそれでいいと言うことか。でも、彼女の愚痴が止まったことはない。真面目に居飛車を指すのに、性格は不真面目。

「あんたこそおとなしいのに、振り飛車ってなに? しかも最初、あたしにルール教えたとき鬼殺し使ったよねぇ? 初心者に奇襲ってどういうこと? 下手したらトラウマになって将棋辞めてたかもしれないんだけど? 」

「いや……」
あれは将棋の奥深さを味わってもらおうとして……
そもそも、振り飛車は受けの戦法だと思うけど。最近のはちょっと激しいだけで。

『鬼殺し』とは戦法の名前。桂馬をいきなり前陣に出して奇襲する。桂馬は二手あれば敵陣に到達することができる。この奇襲は、ちゃんと決まった受け方をすれば防げるから、ほとんど実戦では使われない。でも、知らないと速攻で負ける。惨めなほどに負ける。だから、奇襲。

「まあいいや。一局やろ」

という感じで部活が始まり、下校時刻まで将棋を指して終わり。ときどき大盤を使ってみんなで詰将棋を解いたり、定跡を解説したりする。でも最終的に役立つのは実戦の経験だと思うし、将棋を指すのが一番楽しい。何も考えなくても時間がすぎる。話すことがなくても、とりあえず集まって将棋を指していればいい。

終わった後になって、彼女の愚痴が回復すると、どっと疲れる。疲れるし、あまり話したくないので、私は詰将棋の本を解くふりをしながら適当に受け流す。残念なことに、最寄駅の路線も同じで部活が終わった後にもつき合わなければいけない。

私が黙っていると、彼女も次第に黙って何も言わなくなる。

彼女は電車の中では将棋とは関係のない本を読んでいることもある。私はなぜか彼女と一緒にいるときは、将棋のことしか考えられなくて、そんなことは到底できない。詰将棋の本を手放せないでいる。

最初は気まずかったし、今も気まずい。でも、なぜか流れで一緒に帰ることになってしまう。それが入部した時から続いていたから、途中でそうしなくなるのも余計気まずい。

もしかしたら、彼女は私と普通に仲良くなれると思っていたのかもしれない。でも、私の方がその期待を破ってしまった。
でもさらに、期待が破れたところに不思議な関係が残っていた。

「あのさ……」

声をかけられても、私は本から顔を上げることができなかった。

「明日30分早く来てさ、部室でやろうよ。」

「え……」

「だから、あんたも部室でやりたいって言ってたじゃん。」

「そうだけど、授業早く抜けるってこと?」

「いや、朝」

「朝……?」

いい加減に見える彼女が、そう言ったのが意外だった。

部室の鍵は顧問の先生の監督がないと使えない。それを知っていたけど私は黙って次の日の朝、彼女と待ち合わせた。私は普段から早めに学校に着くから変わらなかった。彼女はちゃんと来た。

来てから初めて、朝に部室は使えない、と私は伝えた。

「じゃあ、どうすんの」

私は家から持ってきた将棋盤と駒を鞄から取り出してみせた。授業時間に遅れないように、チェスクロックも持ってきた。盤と駒は木製のちゃんとしたやつ。重かったけど、根性で持って来た。

「準備万端ってわけね。」

初め、教室でやるつもりだったっけど彼女は「これじゃダメ」といって、誰もいないところに行きたがった。「誰もいないところ」と言われても私は思いつかなくて困った。「どうすんのよ」と早く将棋がやりたいのか彼女がイラつき始めた。苦し紛れに「屋上」といったら、「それだっ」と本気で受け取られてしまった。

本当に誰もいない階段を登って、重い鉄の扉を開けると、殺風景な屋上にたどり着いた。階段を登る間、彼女はずっと興奮していて、何も言わなかったけど私の手を引いたりして普通じゃなかった。その手の感触が意外と優しくてちょっと見直した。

空はやや曇っていて、街並みが遠くまで広がっていた。将棋を指した後、授業かと思うとちょっと残念な気持ちになった。できればここで、いつまでも将棋をさしていたいと思った。たぶん、二人ならできる。放課後まで飽きないでいつまでも。

チェスクロックの時間を15分ずつにセットして置く。
いつも机の上で使っている将棋盤を地面の上に置くのに抵抗があったけど、仕方がない。駒箱から駒を出すと木の軽い音が小さく響いた。「うわ、木製」っと彼女が嬌声をあげる。

「あんたの駒だから、あんたが王でいいよ。」

「じゃあ……」

私は盤面の一番下の段のど真ん中に王を置く。ぴしり、と鳴る。

彼女は、玉。

そして私は、その隣に金を。

一手一手呼吸を合わせるように、初形を並べていく。
金、銀、桂、香、角、飛。
そして、歩を九つ並べる。

並べた後、真ん中から五つ取って手の中で振る。
盤の上に投げると、歩が四枚。

私が先手。

「よろしくお願いします」

ぱん。

とチェスクロックが叩かれる。

角道を開いて、桂を跳ねる。先手になったらそうしようと決めていた。

「鬼殺し? 同じことが通用すると思ってるの?」
定跡どうりの手。

「同じことは二度としない。」

「ふっ。あんたにオリジナルの手が作れるのかね?」

それ以降は、お互いに何も言わなかった。

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!